Translations of German Poetry in American Magazines 1741-1810 Edward Ziegler Davis 1834 downloads.pdf

274 pages · Make another flipbook

Page 1

Page 2

Page 3

『1741年から1810年までのアメリカの雑誌に掲載されたドイツ詩の翻訳』
プロジェクト・グーテンベルグ電子書籍

この電子書籍は、アメリカ合衆国および世界のほとんどの地域にいるあらゆる人が、一切の費用を支払うことなく、ほとんど制限なく利用できます。この電子書籍に同梱されている、またはwww.gutenberg.orgで入手可能なプロジェクト・グーテンベルグライセンスの条件に従えば、コピーしたり、他人に譲ったり、再利用したりすることができます。アメリカ合衆国にいない場合は、この電子書籍を利用する前に、ご自身がいる国の法律を確認する必要があります。

タイトル:『1741年から1810年までのアメリカの雑誌に掲載されたドイツ詩の翻訳』
著者:エドワード・ジーグラー・デイビス
発行日:2008年3月12日 [電子書籍番号#24815]
最終更新日:2021年1月3日
言語:英語
その他の情報やフォーマット:www.gutenberg.org/ebooks/24815
制作担当:デイヴィッド・スターナー、イルマ・スペハール、およびhttps://www.pgdp.netにいるオンライン分散校正チーム

*** プロジェクト・グーテンベルグ電子書籍の始まり ***
『1741年から1810年までのアメリカの雑誌に掲載されたドイツ詩の翻訳』
AMERICANA GERMANICA

Page 4

新シリーズ

『ドイツとアメリカの
文学的、言語的及びその他の文化的関係に関する
比較研究』をテーマとした専門書シリーズ

編集者
マリオン・デクスター・リアーニッド
ペンシルベニア大学

『アメリカの雑誌に掲載された
ドイツ詩の翻訳』
1741–1810年

その他のゲルマン語圏の詩の翻訳や、
ドイツ諸国を題材としたオリジナル詩も収録

エドワード・ジーグラー・デイビス博士
ペンシルベニア大学 ドイツ語講師、元ハリソン・リサーチ・フェロー

Page 5

フィラデルフィア
アメリカーナ・ゲルマニカ・プレス
1905年

1966年、デトロイトのギャル・リサーチ・カンパニー、ブック・タワーにより再版

著作権:1905年
エドワード・ジーグラー・デイビス著

本版で使用されている用紙は、
酸に強く耐久性の高い上質な用紙で、
一般的に「300年耐久用紙」と呼ばれている。

この作品に対して示してくださった関心と励ましに感謝し、
私の両親へ。

Page 6

序文

本書は、哲学博士号の取得条件の一部を満たすためにペンシルベニア大学哲学部に提出した論文を発展させたものである。その目的は、読者にドイツや他のゲルマン諸国に関する情報を提供していたアメリカの初期雑誌に掲載された資料を扱うことにあった。主な焦点は、このテーマに関連する詩の翻訳や原詩の検討に置かれているが、関連する散文記事もすべて列挙されている。使用されている雑誌の多くは極めて珍しく、ほぼ唯一無二のものであるため、こうした情報を一般に利用可能にするために、それらからの文章が再録されている。しかし、一部の翻訳や詩はトーマス・キャンベル、サー・ウォルター・スコット、ウィリアム・ワーズワース、トーマス・グレイなど、その作品がほぼどの図書館にでも存在する人物のものであるため、これらの場合には再録する必要はなかった。M・G・ルイスの『恐怖と驚異の物語』は、多くの初期版のほか、1887年にヘンリー・モーリーによって新たな版が出版されており、アメリカの雑誌に掲載されたその中の詩は、いくつかの異形がある「エル王」を除き、題名のみが記載されている。「スイスの放浪者」のような長編詩は(それ自体で小冊子になるほどの長さだが)、再録されていない。

第II部から第V部までは、ドイツの影響が徐々に拡大していく様子を示すために時系列に沿って構成されている。したがって、翻訳や詩は最初に掲載された日付に従って再録されており、後に雑誌で再掲載されたものは単に題名のみが記載され、最も早い掲載日が注記として添えられている。本文はアメリカの初期定期刊行物に掲載されたままそのまま再録されているため、1世紀前の読者が受け取ったのと同じ形でドイツに関する情報が提示されている。誤りは、ドイツ語の人名や単語に対する無知を示す好例としてしばしば興味深い。校正されたのは、「sweep」の代わりに「spweep」といった、最も明らかな植字上の誤りだけであり、「blissful」の代わりに「bilssful」、「sustain」の代わりに「fustain」といった誤りはそのまま残されている。18世紀の正書法による違いもそのまま保持されている。

Page 7

この研究対象は1840年まで調査されているが、本巻では1810年をもって終わる時期のみを扱っている。しかし、完全な一覧を得るために、より後の時代の詩も時折言及されている。第II部から第V部にわたって、再録に用いられた出典の記載を除き、著者自身による注釈は括弧内に示されている。各図書館での資料入手にあたってご協力いただいた方々、特にアメリカ議会図書館のアラン・B・スローソン氏に深く感謝する。有益な批評を寄せてくださったペンシルベニア大学のダニエル・B・シャムウェイ教授、そして本研究で取り上げられている時期におけるイギリスにおけるドイツ文学の影響に関する貴重な情報や、序文の作成に際しての改善案を提示してくださったフィラデルフィア・セントラル高校のジョン・L・ヘイニー教授にも感謝したい。特に、ペンシルベニア大学のマリオン・D・ラーニッド教授には深く恩義を感じている。本研究は彼女の提案と示唆によって進められたのである。
エドワード・Z・デイビス
フィラデルフィア、1905年1月

Page 8

目次

I—はじめに 1

Page 9

II—ドイツ詩の翻訳 21

Page 10

III—オランダ語、デンマーク語、
ノルウェー語、アイスランド語の詩の翻訳、
および
ドイツ諸国を題材とした
原詩95篇

Page 11

IV—ドイツ語散文の翻訳一覧
および191のドイツ諸国に関する原稿一覧

Page 12

V―調査対象雑誌一覧 215

Page 13

インデックス225

Page 14

はじめに
ドイツ文学がアメリカの文化や文学に与えた大きな影響は、19世紀初頭から続いている。この影響は、ある程度、18世紀後半にイギリスで存在していた関心や活動の延長線上にあった。1790年以前には、ゲラート、ヴィーラント、クロップシュトック、レッシング、ゲーテ、シラーらの作品の翻訳が時折出版されていたが、ノリッジ出身のウィリアム・テイラーが執筆を始めて初めて、コールリッジやカーライルらの作品によって頂点に達したこの動きは、明確な形を取るようになった。[1]

当時のアメリカ文学は依然としてイギリス文学に従属しており、ドイツからの新たな文学的影響が大西洋を越えて受け入れられたのも不思議ではない。この外国の影響は、ヨーロッパとの直接的な接触によってさらに強化された。前世紀の20年代か30年代になると、海外で学ぶアメリカ人学者たちの研究が、我々の知的発展において重要な要素となった。1819年、エドワード・エヴェレットはヨーロッパから帰国し、ハーバード大学でギリシャ語の教授となった。彼はゲッティンゲン大学で学び、そこでドイツの学問的方法に熱意を抱くようになった。ヨーロッパにいる間に彼はハーバード大学に多数のドイツ語の書籍を入手し、これらはすぐに同大学の学生たちの刺激となった。1823年、W・E・チャニングは『国民文学についての所見』の中で、アメリカ文学がイギリス文学から独立した地位を築くためにはフランスやドイツの作家たちの作品を研究すべきだと主張した。[2] その2年後の1825年、カール・フォレンがハーバード大学でドイツ語の講師として職務を開始した。[3]

しかし、エドワード・エヴェレットが海外で学びに行く前から、アメリカの学者たちはすでにヨーロッパの学問の中心地でより広範な文化的利益を求め始めていた。[4] 彼らの多くは神学の学生、あるいは外交官業務と何らかの形で関わりのある人々だった。後者の中でも最も著名な人物がジョン・クインシー・アダムズであり、彼は数年間ヨーロッパに滞在した。彼がドイツ文学に興味を持っていたことは、次の事実から明らかである。

Page 15

ヴィーラントの『オベロン』を翻訳したが、ソtheby’sによる翻訳がちょうどロンドンで出版されたため、それは刊行されなかった。[5]
その少し後の1809年には、アレクサンダー・ヒル・エヴェレットが公使館の書記としてロシアへ行き、大陸の様々な都市で数年間を過ごした。[6]
ジョージ・ティックナーはハーバード大学の現代語教授としての職務に備えるため1815年にドイツを訪れ、ジョージ・バンクロフトは1817年に大学を卒業した後、ゲッティンゲン、ハイデルベルク、ベルリンで5年間学んだ。ヘンリー・E・ドワイトは1824年から1828年までゲッティンゲンに滞在し、翌年ニューヨークで『1825–26年のドイツ北部旅行記』を出版した。ちょうどこの頃、ジェームズ・フェニモア・クーパーが1826年から1833年まで続くヨーロッパ旅行を始めた。[7] このように、ロングフェローやエマーソンが初めて海外へ行く以前から、アメリカの学者たちは直接ドイツの思想や文化を吸収していたのである。これら二人によって、文学分野におけるロングフェロー、そして超越主義哲学分野におけるエマーソンを通じて、アメリカにおけるドイツの影響力は頂点に達した。
これが、この国でドイツ文学が知られるようになった第二の経路であった。第一の経路は、すでに述べたように、間接的にイギリスを通じてであった。そこでは1790年以降、この分野で活発な活動が見られ、翻訳書が出版され、雑誌にはドイツ語からの短い作品が多数掲載されていた。1810年末までのアメリカの定期刊行物に見られるのも、主としてこの関心の反映である。
アメリカでも同様に、ドイツ文学は書籍形態や雑誌を通じた翻訳によって英語圏の読者に知られるようになった。書籍形態での翻訳については、先に述べたウィルケンスの最近の論文で扱われている。彼はドイツの戯曲、小説、詩、哲学、神学、教育学について論じ、付録として「1826年以前にアメリカで印刷されたドイツ文学の翻訳一覧」を掲載している。しかし、これらの書籍はドイツの作家をアメリカの読者に紹介する最初の手段ではなかった。この外国文学に関する最初の言及は、通常、雑誌の中に見られる。そこにはドイツ人作家の生涯に関する多くの報告、彼らの著作に対する批評、(英語またはアメリカ語の)版に関する情報、さらには詩や短い散文作品の多くの翻訳がある。もちろん、これらの記事や翻訳は、同じ作品がイギリスで初めて登場する時期より前のものではないが、ドイツ文学に関する情報が提供されていたという点は確かである。

Page 16

アメリカの雑誌に掲載された作品は、こちらに輸入されて販売される英語の書籍よりも早くアメリカの読者の手に届いた。多くの読者は、レビューや抜粋を読んだだけでは全巻を購入しようとは思わない雑誌を通じて外国文学を知るようになった。これは特に詩に当てはまる。散文作品は通常雑誌に再掲載するには長すぎるため、批評や要約を通じてしか紹介されなかった。しかし、『N.Y. Weekly Mag.』I-16号(1795年、ニューヨーク)に掲載されたシラーの『Geisterseher』や、同誌II-4号に掲載されたチンクの『Magical Delusionの犠牲者』のように、比較的長い作品もいくつか掲載された。また、『The Mirror of Taste and Dramatic Censor』第1巻(1810年)にはファニー・ホルクロフト嬢によって翻訳された『エミリア・ガロッティ』も収録されている。これらの散文作品は長いため号を追って連載されたが、詩の場合はそうする必要はなかった。クロプストックの『メシア』やゲスナーの『アベルの死』のような長編詩は雑誌には抜粋としてしか掲載されず、一方でほとんどの抒情詩は短いため、翻訳された形のまま全文が容易に再掲載されることができた。例外はほとんどなく、ドイツ人作家による短詩は書籍として出版されるよりも前に雑誌に掲載されていた。例えば、ウィルケンスが言及したゲスナーの『牧歌集』の最初の出版は1802年であったが[8]、単独の牧歌は1774年、1775年、1792年、1795年、1798年、1799年に雑誌向けに翻訳され、1793年には2篇、1796年には3篇、1801年には5篇が翻訳されていた。同様に、M・G・ルイスの『Tales of Wonder』のアメリカでの最初の出版は1801年のニューヨークであったが、その中の5篇の抜粋は既に1798年から1799年にかけて『Weekly Mag.』(フィラデルフィア)に掲載されていた[9]。これらに加えて、1811年以前のアメリカの雑誌には、ビュルガーからの翻訳が10篇、ゲラートからのものが8篇、レッシングからのものが5篇、ハラーからのものが4篇、ゲーテからのものが3篇、ヤコビ、クロプストック、マティッソン、シッカネーダーからそれぞれ2篇ずつ、そして「アデリオ」、「ビュルデ」、「コッツェブー」、「パッツケ」、「シェラー」、「ヴァン・ヴァンダー・ホルダークロゲス」からそれぞれ1篇ずつが掲載されていた。さらに、原作者の名前が記載されていない翻訳もいくつか存在した。これらの作品は1826年以前に書籍として出版されたものはなかった[10]。したがって、アメリカで初めて印刷されたドイツ詩の翻訳は雑誌の中に見出されるべきものであり、またアメリカの一般大衆がドイツの文学者たちの生涯について初めて知る機会もここで得られたのである。本稿の目的は、初期のアメリカの雑誌におけるドイツの影響、特にドイツ詩の翻訳について考察することである。

Page 17

それらに掲載されている。[11] 第III部には、これらと共に、ドイツ語と多かれ少なかれ密接な関係にある他のゲルマン語圏の文学作品の翻訳も収められている。すなわち、オランダ語、デンマーク語、ノルウェー語、アイスランド語の詩の翻訳や、ドイツの文学、歴史、伝記などに関する創作詩であり、例えば「プロイセン王が最近得た勝利に寄せる頌歌」、「ヴェルターの魂に捧げるシャーロットの独白」、またほとんどのドイツ・ロマン主義のバラードが書かれている文体を風刺した作品などがある。さらに、ドイツ語の散文の翻訳一覧や、ドイツに関する創作記事の一覧も加えられており、これによってこれらの雑誌におけるドイツの影響を総合的に評価することができる。本書の対象範囲は、1811年以前に発行されたアメリカの雑誌である。「アメリカの雑誌」とは、アメリカ国内かカナダで英語で発行されたすべての雑誌を指し、ドイツ語、スペイン語、フランス語その他の外国語の定期刊行物は除外されている。本研究は主として文学に焦点を当てているため、対象が極めて広範にわたるため、新聞、官報、歴史専門の定期刊行物、宗教雑誌、年鑑などの非文学的な出版物は省略せざるを得なかった。このような除外方法は容易なものではない。というのも、考察対象となる時期には雑誌と新聞が互いに近づきつつあり、前者はニュースを、後者は通常短い詩などの文学作品を掲載していたからだ。時には、雑誌に掲載された翻訳が先に新聞に掲載されていたこともあった。例えば、「クロップストックが将来の恋人に宛てた頌歌を模倣したもの。トーマス・キャンベル作」と題された「The Name Unknown」は、フィラデルフィアの『The Evening Fireside』II-165に掲載される3年前の1803年に、ニューポートの『Newport Mercury』に既に掲載されていた。これは、特に後者がドイツに関する多数の記事も含んでいたことから、この文脈における新聞の重要性を示している。しかし、これは別途研究すべき分野であり、文学雑誌と比較して二次的な位置づけとなる。同様に、宗教雑誌にもしばしば本研究の対象となる詩が掲載されているため、こうした出版物の一部も含める必要があった。例えば、ボストンの『Boston Observer and Religious Intelligencer』I-152、1835年には「Trust in God」という詩が「ドイツ語から翻訳」として掲載されており、また『The Literary and Theological Review』1834–39年、ニューヨークや『The Monthly Miscellany』などは表紙でその二重の性格を示している。

Page 18

『Religion and Letters』1839年、ボストン、および『The Monthly Mag. of Religion and Literature』1840年、ゲティスバーグ。しかし、宗教雑誌の大部分は1810年以降のものである。最後に、年鑑の中にも現在の議論の範囲にほぼ含まれるものがある。というのも、古い年鑑には詩や興味深い情報が含まれており、一般大衆によって丁寧に読まれていたからだ。これらのほとんどは文芸雑誌が隆盛を極める前に流行し、したがってドイツ文学の影響が及ぶ以前の時代を示している。調査したものの中には、第V部に掲載されるリストに含めるに足る内容を持つものはなかった。前述のタイプの定期刊行物が見つかった場合、それらはさらなる検討から除外された。しかし、今回の調査には他にも2種類の出版物が含まれている。第一に、この国で再版された英語の雑誌である。後述するように、アメリカの雑誌におけるイギリス人による翻訳をすべて排除することは不可能であるため、大西洋を越えて実際に出版されたすべての定期刊行物を選定の基準とするのが現実的だった。我々の対象期間内に該当するこの種の例としては、1803年、フィラデルフィアで出版された『The Mirror』第1–2巻(1779–1780年にエディンバラで発行された同名の雑誌の再版)、1803年、フィラデルフィアで出版された『The Connoisseur』第1–4巻(1755年、ロンドン発行)、そして1810年にロンドンで印刷されニューヨークで再版された『The Quarterly Review』第1–4巻がある。場合によってはアメリカ版の内容が英語版と異なるため、この種の定期刊行物を含めることが不可欠である。もう一つの種類の出版物として挙げられるのが雑録である。これには詩、散文の抜粋、そして多岐にわたるテーマに関する記事が含まれていた。これは単に発行の規則性が低いという点で雑誌と異なっていた。しかし、これは現在のコレクションに貴重な追加資料を提供する。[13] このように、無関係な出版物をすべて除外しても、その対象範囲は広く、重要な資料に富んでいる。初期のアメリカ雑誌に関するいかなる調査においても、その写本を見つけ出すことの困難さは明らかである。これらの定期刊行物の多くは版数が少なく、特に重要性の低い文学の中心地から発行されたものではなおさらであった。そのため、100年が経過した今では、それらの冊子を見つけることは極めて困難である。

Page 19

また、これらの出版物が消滅する一因となったのは、その短い存続期間であった。『アメリカン・ミュージアム』や『ポート・フォリオ』のような定期刊行物が数年間続けば、よく知られるようになり、その各号は丁寧に保存された。図書館は完全なセットを手に入れようと努め、そうすることで後世の人々がそれらの雑誌にアクセスできるようになったのである。しかし、多くの雑誌は1年程度しか不安定な状態で存在し続けることができず、資金不足のために廃刊してしまった。実際、この種の文学的試みが次々と失敗に終わる中で、なぜ他の試みが行われ、そしてなおも年々新たな雑誌が成功を期待して市場に登場したのか疑問に思わせる。これは、この種の文学に対する広範な需要があったことを示しており、もし提供される内容が読者の好みに合わなければ、気まぐれな大衆は絶えず古いものを捨てて新しいものを求めたのである。

さらに、調査者はこれらの出版物に関する明確で信頼できる情報が欠如しているため、調査の進行が妨げられている。議論されている時代に発行されたアメリカの雑誌の完全なリストは存在しないが、1800年までの時期については研究がなされている。ポール・レスター・フォードは『18世紀に印刷されたアメリカの雑誌の一覧』(1889年、ニューヨーク州ブルックリン)を出版した。これは、入手可能かどうかにかかわらず、あらゆる作家が言及したすべての出版物をリストアップしようとする試みであった。しかし、今回の調査では、フォードが知らなかった35〜40冊の雑誌(新しいタイトルも20冊含む)が発見されただけでなく、ある程度の文学的価値を持つ新聞もいくつか見つかった。ただし、後者は意図的にその一覧から除外されていたようだ。

18世紀におけるアメリカの文学の中心地であったフィラデルフィアの雑誌でさえもリストアップされていない。「フィラデルフィアの雑誌の完全なリストを作成することは不可能だ。多くの雑誌が消滅し、痕跡さえ残していない。ペンシルベニア州の歴史を専門に研究する人なら、ここに記載されていないものがいくつかあることに気づくだろう。なぜなら、ここで行われた調査はすべて直接行われたものであり、私が入手できなかった雑誌については、より幸運な調査者の目を通して調べようとはしなかったからだ。」[14] フィラデルフィアについて述べられていることは、1世紀前のボストン、ニューヨーク、ボルチモア、その他の文学活動の中心地にも同様に当てはまる。

Page 20

先に述べた困難にもかかわらず、長期にわたる調査の結果、当該時期の雑誌をほぼ完全な形で網羅するのに十分な数の冊子が見つかった。もし何かが欠けているとしても、それはほとんどが無名で重要でない出版物であり、この種の文献の大規模なコレクションに収録されるほどの注目を集めることができなかったものである。アメリカの雑誌が保存されることにつながった要因の一つは、フィラデルフィア図書館協会やアメリカ哲学協会など、これらの出版物が多く発行されていた時代に存在していたいくつかの機関があったことだ。これらの機関によって、当時の文献をかなり代表的な形で収集することが可能になったのである。一方、ボストン公共図書館や米国議会図書館といった比較的新しい機関では、熱心な収集活動が行われた結果、現在ではこれらの初期の定期刊行物に関する素晴らしいコレクションが揃っている。

したがって、本研究の計画としては、必要な書籍が多数所蔵されている図書館を訪れ、さまざまな場所で得られた資料を組み合わせることによって、できるだけ完全な情報を得ることを目指した。ある図書館が別の図書館の不足分を補い、ある雑誌の全巻を見るためには3、4つの図書館を訪れる必要があることもしばしばだった。各冊子の所在については記録が残されているが、同じ分野または類似の分野で研究する人々にとっては有用かもしれないものの、第V部に掲載されている雑誌一覧に記載するには複雑すぎると判断された。[15] ここに収録されている資料は、128種類の異なる雑誌からなる約300冊の冊子を直接調査したものに基づいている。

アメリカの雑誌におけるドイツの影響を論じる際には、この初期段階において雑誌が占めていた位置を考慮することが重要である。当時の状況の違いにより、雑誌は現在とは全く異なる役割を果たしていた。18世紀には、今日と比べて無料の図書館が少なく、読者は購入または貸借できる本に大きく依存せざるを得なかった。当時もまた、多くの本が海外から輸入されなければならなかったため本は高価であり、国内で印刷された本も現在ほど安く販売することはできなかった。こうした状況は、安価であり、オリジナルの記事に加えてヨーロッパの優れた文学作品の再版も読者に提供していた雑誌に有利に働いたのである。

Page 21

当時の人々を時代の流れに合わせていき、現在、数多くの図書館や手頃な価格で購入できる書籍が置かれている場所を提供したのである。
100年前の雑誌がそれほど激しく競争しなければならなかったもう一つの要素は新聞であった。現代の新聞はますます大きくなり、日々、人々の時間と関心をより多く要求している。18世紀や19世紀初頭にはそうではなかった。確かに多くの新聞や官報、広告が存在したが、そのサイズは比較的小さく、通常は4ページか6ページ程度だけであった。「アメリカ独立戦争当時、ジャーナリズムはまだ効果的な段階には達していなかった。特にアメリカでは、新聞は質が悪く、内容も貧弱で、編集記事を専門に扱う部門はほとんど存在しなかった。」[16] 多くの編集者は、毎日発行するのではなく、週に一度発行すれば十分なニュース量だと考えていた。これは驚くべきことではない。現代の電信、電話、海底ケーブル、蒸気鉄道がなかったため、遠方からニュースを得る手段は大幅に制限されていた。また、当時の人口は今よりもずっと少なかったため、最も重要な国内ニュースも数ページで伝えられた。こうした状況が新聞の規模を適度なものに保ち、新聞の数は多かったものの、読者の時間を奪って真面目な文学作品から注意をそらすほどではなかった。そのため、人々には雑誌をじっくり読むための十分な余裕があり、雑誌は多くの場合ニュースの要約を提供することで、新聞の必要性を減らした。広告やビジネスに関する情報については官報や広告主が主な情報源であったが、一般的な情報や時事に関する内容については、人々は新聞にそれほど多くの注意を払う必要はなかった。
分かっている限り、この初期の時代においては雑誌は今日以上に真剣に扱われていた。それは暇つぶしのためのものではなく、さっと目を通して捨ててしまうようなものでもなかった。逆に、編集者たちはオリジナル作品であれ再版作品であれ、自分たちが持っている最良の文学作品を提供しようと努め、学識のある読者が受け入れるような内容を選んで一般大衆の趣味を向上させようとしたのである。「昔の雑誌と最近の雑誌との間には顕著な違いがある。」

Page 22

「100年前の雑誌には、いわゆる『軽文学』と呼ばれるものがほとんど見られないのである。」[17]
タイラーも同様の点を指摘している。「我々の植民地時代のジャーナリズムは、やがてそれ自体が非常に重要な文学的力となった。単なる噂話の伝播手段や広告を掲載する媒体として永遠に留まることはできなかったのだ。たとえ弱小な編集者たちの間であっても、批判的で勇敢な議論を行う本能は強く、表現の機会を求めて絶えず努力していた。さらに、各編集者の周りには、活発な頭脳を持ち、発言する傾向のある友人たちの集団がおり、彼らは手紙、エッセイ、逸話、警句、詩、風刺文など、さまざまな形で記事を寄稿し、新聞に活気やさらには文学的価値を与える役割を果たしたのである。」[18]
これらの事実を考慮すると、当時の雑誌が人々の文化的発展において、今日よりもはるかに重要な役割を果たしていたことがわかる。当時は今ほど雑誌の数も多くなく、各号の発行部数も少なかったが、人口もはるかに少なかったため、比較的に同じ数だったとしても十分であった。一つ確かなことは、他の読み物がほとんど存在しなかったため、雑誌は家庭に持ち込まれ、家族の各メンバーによって丁寧に読まれていたということだ。やや早い時期の暦に注がれた関心を思い出せばよい。それらの暦でさえ、雑誌ほど多くの娯楽的な文学作品を提供しようとはしなかった。アメリカの思想や文化の発展におけるこれらの文学雑誌の重要性はしばしば見過ごされがちだが、アメリカ文学史においては確実に認識されるべきものである。
これらすべては本題と密接に関連している。ここに再録されている翻訳や詩が、ドイツのものをアメリカの大衆に紹介する上で果たした重要性は、当然、それらが紹介される媒体の重要性に依存している。先に述べたことから明らかなように、当時の雑誌は今日よりも幅広く自由な活動範囲を持っていただけでなく、当時の状況において可能な限り高い文学的・学術的基準を維持しようと努めていた。したがって、そのページに掲載される内容には相当な重みと影響力があり、雑誌が流通する範囲内ではすぐに知られるようになったのである。このため、これほど多くのものが登場したのである。

Page 23

ドイツ諸国に関する詩や散文記事はますます重要になり、その後の数十年間でこうした関心は何倍にも高まっていった。アメリカの雑誌におけるドイツ詩の翻訳が掲載されるようになったことは、二つの側面を示している。第一に、ドイツ文学を読み、それを高く評価し、外国の詩を理解するだけでなく同胞のために翻訳する能力も持つ少数の人々の積極的な関心と熱意があったことを示している。原文を読める人がどれほどいたかは分からないが、これらの翻訳者はドイツ語を理解するアメリカ人の中では明らかにごく一部に過ぎなかった。第二に、雑誌にドイツ詩が掲載されるようになったことは、一般大衆のドイツ文学に対する理解が深まっていったことを示している。翻訳の数が年々増えていった事実から、それらが読者に好まれていたことが推測できる。個々の雑誌の発行部数が少なかったとしても、これほど多くの雑誌があればその総合的な影響力は相当なものだったはずだ。

一見すると、扱われた範囲に比べて収録された詩の数は比較的少ないように思える[19]。しかし、見過ごしてはならない制約がある。各雑誌のうち詩に割かれる部分はごくわずかであり、オリジナル作品や英語の詩の再掲載(当然ながら優先的に扱われた)の後では、ドイツ文学は他の外国文学と共にわずかな割合しか得られなかったのである。これらの雑誌の詩のセクションには、実に多くの外国文学の翻訳が掲載されている。ラテン語、フランス語、ドイツ語、オランダ語、デンマーク語、ノルウェー語、北欧語(アイスランド語)、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、アイルランド語、ウェールズ語、ギリシャ語、ラップランド語、ペルシャ語、トルコ語からの翻訳がある。この膨大な量の翻訳の中で、ドイツ語は量の点ではおそらく第三位に位置し、ラテン語とフランス語にしか及ばない[20]。ただし、これは1810年終わりまでの時期に限った話である。その後の30年間の状況は全く異なっており、それについては後ほど論じる。

これらの雑誌にドイツ語の翻訳がもっと掲載されなかった理由はもう一つある。考察対象となる時期はドイツ文学の古典時代と非常に重なっており、多くの

Page 24

傑作たちはほぼ時代の終わりになってようやく出版された。『ヘルマンとドロテア』は1797年に、『ワレンシュタイン』はその3年後に登場し、『ヴィルヘルム・テル』は1804年になってようやく完成した。そして完結版の『ファウスト』(第1部および第2部)は、この時代が終わってから23年後に出版された。ドイツ古典文学の多くの作品の出版時期からして、時代の3分の2が過ぎるまで翻訳される可能性はなかった。これらの作品がいかに価値があろうとも、大西洋のこの側ですぐに知られることはなかったのも不思議ではない。こちらのドイツ人にとっては原作だけで十分だったのであり、英語を話す人々がこれらの書物の価値を理解し、翻訳を求めるようになるには当然時間がかかったのである。こうした理由から、雑誌におけるドイツの影響力がより大きなものになることはなかった。

本稿で扱う時代は1741年から1810年までである。1741年が文学的性質を持つアメリカの定期刊行物の始まりとして選ばれている。より早い時期に出版されたものの中には、ほとんどがニュース専門のものか、文学的な内容を含まない暦帳のみであった。例えば、1706年ボストンで発行された『ニュー・イングランド・カレンダー』第1巻や、1728年ボストンで発行された『ニュー・ウィークリー・ジャーナル』などである。これらはリストから除外されている。したがって、我々の研究対象とする時代は1741年にこそ本当に始まるのである。この広範なアメリカ文学の分野の先駆けとなる2つの雑誌は、前年にすでに告知されていた。『フィラデルフィア・ウィークリー・マーキュリー』(1740年10月30日号)には、ジョン・ウェッブが編集しアンドリュー・ブラッドフォードが印刷する雑誌の概要が掲載されていた。一方、『ペンシルベニア・ガゼット』(1740年11月13日号)では、フランクリンがアメリカの全イギリス植民地向けの『ジェネラル・マガジン・アンド・ヒストリカル・クロニクル』の創刊を発表していた。間もなく激しい論争が起こった。フランクリンはウェッブが自分の計画を盗んだと主張し、ウェッブはフランクリンが郵便長官としての地位を利用して『マーキュリー』を郵送から排除したと非難した。両雑誌は1741年1月に発行された。ウェッブの雑誌『ザ・アメリカン・マガジン;またはイギリス植民地の政治状況に関する月次報告』は3ヶ月間、フランクリンの雑誌は6ヶ月間続いた。[21] こうして、本テーマに関する調査が始まるのである。前述の通り、本研究の範囲は1840年末まで拡大されている。それ以降は、数多くの翻訳書や模倣作品が存在することからも明らかなように、ドイツ文学が我々の知的発展において重要な要素として確立され、雑誌の重要性はこの点において低下していった。この時代

Page 25

ここで扱われているのは1810年の終わりまでのみである。この時期には、この分野における運動の始まりと、活発な活動が見られた最初の時期があった。1810年直後の数年間では、アメリカの雑誌におけるドイツ文学の影響力は低下した。[22] これらの翻訳や詩が示すように、アメリカにおけるドイツ関連の文学活動の規模を正確に評価するためには、翻訳者に関するかなりの情報が必要となる。もし翻訳者がイギリス在住で、その作品が単にアメリカの雑誌に再掲載されただけなら、その文学活動はアメリカよりもむしろイギリスのものと言える。しかし、その詩が再掲載されたという事実は、ここの読者に外国の詩を紹介したいという願望を示しており、唯一の違いは影響が直接ドイツからではなくイギリスを経由してきた点だけである。出版された作品がアメリカ人の手によるものであれば、それはその作家がドイツ文学を理解する能力を持っているだけでなく、アメリカの大衆にそれを紹介しようとする積極的な意欲をも示しており、その場合、翻訳は完全にアメリカの産物となる。ここでこのような仕事をしているイギリス人について言えば、彼らが単なる旅行者や一時滞在者なのか、それとも我々の文明の一部と見なされるほど長期間ここにいたのかを知ることは有益であろう。この情報がいかに有用であっても、ほとんどの場合入手不可能である。ほとんどの翻訳には著者名の表示がなかった。これには、初期の雑誌が模倣や盗用を好む傾向があったことも一因であろう。以前に他の定期刊行物(アメリカやイギリスのもの)に掲載された詩が多数見つかったが、その出所については何の記載もなかった。著者名さえも隠されていた。ある例では、編集者が1、2年前に同じ雑誌に掲載された詩を再び掲載したにもかかわらず、読者にはそれが新しいものとして受け取られたのである。[23] このような場合に唯一識別できる方法は、既に出版されている翻訳集と比較することである。このようにして、いくつかの翻訳がサー・ウォルター・スコット、M・G・ルイス、ノリッジのウィリアム・テイラーなどの作品であることが明らかになった。多くはイギリスの雑誌からの再掲載であり、現時点ではより正確な情報を提供することは不可能である。イギリスの定期刊行物についてはまだ調査が行われておらず、その数がアメリカのものよりはるかに多いため、そこに掲載されたドイツ語の翻訳の一覧を作成するには別途研究が必要である。したがって、現在の議論から翻訳を除外することは現実的ではない。

Page 26

また、イギリス人による詩も含まれている。なぜなら、著者の名前が記載されているか、あるいはその翻訳がある雑誌のために行われたという注記がある場合にのみ、それがアメリカで作られたものかどうかを確認できるからだ。重要なのは、その翻訳がアメリカで発表され、アメリカの読者にドイツ文学の特定の作品を知ってもらうのに役立ったという点である。
資料の選定にあたっては一定の制限が必要だった。ドイツ関連の散文翻訳や記事のリストには、直接または間接的にドイツに関連するものすべてが記載されている。ドイツの散文作品、伝記、歴史、そして詩についても知りたいという願望があったため、関心の度合いを正確に把握する上でこれは重要だ。しかし、ここに再録されている翻訳のリストからは、叙情的な雰囲気を持つ歌や短い場面などの一部を除き、戯曲の翻訳はすべて除外されている。再録されている戯曲の大部分では、引用部分が長すぎて再掲載するには適さないか、あるいはその趣旨が完全に戯曲的で叙情的ではないからだ。したがって、本研究の対象は、具体的にはアメリカの雑誌に英語で掲載されたドイツの叙情詩である。
ここで「詩」という言葉は広義に解釈されており、単にドイツの詩の翻訳だけでなく、それ以上のものも含まれている。原作が散文形式であっても内容が詩的な翻訳も存在し、翻訳者たちはそれを容易に認識し、韻文で表現している。例えば、『ヴェルターの悲嘆』の第61通が韻文で翻訳されており、ゲスナーの散文風景詩4篇も韻文に翻訳されている。また後期にはクルンマッハーの散文寓話『苔のバラ』が5回(1819年、1822年、1823年、1829年、1831年)韻文で、2回(1827年、1833年)散文で掲載されている。同様に、ドイツの詩の散文翻訳も含まれており、例えばゲレルトの寓話2篇(1796年)、ハラーの『朝』(1793年)、そしてスイスの歌『Ranz des Vaches』(1805年)などがある。[24]一方、ゲスナーの散文風景詩の散文翻訳は題名のみが記録されている。別の種類の詩についても触れておく必要がある。調査した資料の中でアメリカで書かれたドイツ語の詩は1篇しか見つからなかった。それは「アデリオ」による『Hoffnung』であり、注記には「フィラデルフィア・リポジトリーのために」と書かれていた(1804年2月18日、フィラデルフィア)。最後には「詩的な」という言葉が記されていた。

Page 27

「翻訳が求められている。」とあった。次の日付(2月25日)の項目には翻訳が記載されていた。
特に注目すべきもう一つの詩群として、フランス語から翻訳されたものがある。これらには二種類ある。第一に、フリードリヒ大王の詩や『Ranz des Vaches』のように、ドイツ人やスイス人によってフランス語で書かれた詩がある。後者については、原文が何であるかを明確にするために、フランス語の詩句とその翻訳が二度にわたって示されている[25]。他の場合には出典について言及されていない。スイスの住民の一部は常にドイツ語話者であったため、この歌のドイツ語版も存在した可能性が高い。したがって、翻訳者がこの版を用いたのかフランス語版を用いたのかを断定するのは難しい。題名はフランス語だが、これはドイツ語の詩節のためにそのまま残されたのかもしれない。
フランス語からの翻訳の第二のカテゴリーには、通常ドイツ語で作品を書いていた作家たちの作品が含まれる。例えば『Navigation』、「Gessnerのフランス語版から」(1803年)、『The Usurer』、「Gellertのフランス語版から」(Port Folio, XVI-245, 1823年)などである。これらはドイツ語のフランス語訳から取られたのかもしれない[26]、あるいは「フランス語」という表現が誤りである可能性もある[27]。この第二のグループはドイツ語詩の翻訳(第II部)に分類されているのに対し、フランス語からの第一のグループは第III部に属する。
ここでは、当時のアメリカ人がドイツ文学に対してどのような評価を下していたかについて論じる試みは行われていない。それにはすべての散文記事を検討する必要があるが、本研究は完全に詩に焦点を当てている。第IV部に掲載されている一覧から、そのような情報が得られることが期待される。ドイツの文学者に関する数段落に加えて、各詩の前にはしばしば、翻訳された原作を称賛する序文が置かれている。18世紀にさかのぼっても、人々は古典と対比して現代語の有用性を考えていた。例えば『American Museum』はフランシス・ホプキンソン氏による『学術的言語についての講演』を掲載しており、その結論部分では「最も広く使われている言語こそ、実際に最も知っておくべき有用な言語である」と述べられている[28]。

Page 28

一方で、ドイツ人やその文学を嘲笑する冷淡な作家たちもいた。『マンスリー・マガジン』には「ドイツ人の文芸界」と題された手紙が掲載され、彼らの無益な方向へと向かう学問的態度が非難されている。[29] このような攻撃はパロディの形でも表現されており、以下のような作品が見られる:『水の王』や『火の王』などを風刺した『狼の王』(1802年)、『雲の王』や『火の王』などを滑稽化した『絵の王』(1809年、1833年)、『ファウストゥスに反対して』(1804年)、「恐怖小説の真実かつ正統的な原則に従ってドイツ語から模倣した物語」である『キーキー鳴く幽霊』(1808年、1809年、1810年)、ビュルガーの『ウォルター伯爵』のパロディ(1807年)、「グレイの『逆境への頌歌』のパロディ」である『ドイツ演劇への頌歌』(1806年)、そしてほとんどのドイツ・ロマン主義のバラードが書かれている文体を滑稽化した作品(1799年、1801年)。これらの中には、実際の敵意ではなく、単に詩人が賢そうに見せようとした試みに過ぎないものもある。注目すべきは、これらの雑誌に掲載された詩のいくつかがまとめられており、特定のテーマに対する特別な関心が示されている点だ。各グループは一種の連作となっており、個々の詩は通常異なる人々によって書かれている。これらのグループの一つは、アメリカ独立戦争以前からフリードリヒ大王の人気が高かったことを示している。彼の詩の翻訳には、「戦争の緩和」(1758年、1795年、1798年)、「プロイセン王の頌歌の韻文翻訳」(1758年)、「プロイセン王の頌歌の直訳」(1758年)、「プロイセン王からヴォルテール氏への手紙の翻訳」(1759年)、「死への頌歌」(1786年、1806年)、「詩人たちのためのフリードリヒ二世の祈り」(1805年)、そして「歌」(1811年)がある。フリードリヒに関する元の詩には、「偉大なるフリードリヒの高貴な功績」に言及した詩『冬』(1758年)、『完全な勝利について』(1758年)、『プロイセン王が最近収めた勝利についての頌歌』(1758年)、『輝かしい勝利について』(1758年)、「プロイセン国王陛下を暗示した」第三の詩篇の解釈(1758年)、『新聞を読んで……』についての詩(1758年)、「プロイセンの偉大なるフリードリヒ」に言及した『王の彗星』(1758年)、そして「ヴォルテール氏からプロイセン国王陛下への手紙の翻訳」(1758年)がある。別のグループは、ドイツ文学によく見られる自然の要素の王たちを扱っている:『木の王』(1798年、1833年7月、1833年9月、1835年、1836年、1838年、1839年)、『木の王の娘』(1798年)、デンマークのバラードである『水の王』(1798年)、『水の王』を風刺した『狼の王』、『火の王』など(1802年)、『冬の王』または『フリム・トール』(1802年)、『幽霊たちの王』フリム。

Page 29

(1802年)および、『雲の王』や『火の王』などを風刺した作品である『絵の王』(1809年、1810年、1833年)。このような奇妙な要素への関心が、1798年、1801年、1804年、1823年、1836年、1839年、1840年に翻訳版が出版されたビュルガーの『レノーレ』の人気を説明している。スイスについては、その生活や風景のあらゆる側面を扱った様々な詩が書かれている。その中でも最も有名なのが「スイスの歌」であり、これは『Ranz des Vaches』、『牛飼いの歌』、『異国にいるスイス人の歌』として様々に翻訳されている(1805年10月15日、10月29日、11月1日、11月8日、12月17日、1808年、1809年6月、1833年に2回、1835年に1回)。翻訳作品に加えて、同じ詩の模倣作も4つ存在する:『スイスの亡命者の歌』(1835年)、『アメリカからのスイス人の帰還』(1836年)、『故郷を思うスイス人の歌』(1837年、1838年)、『スイスの移民の故郷への夢』(1840年)[30]。次に挙げる詩群は、ゲーテの小説『若きヴェルターの悩み』に関するものである。これはアメリカでも明らかに人気があったが、ドイツで見られたような広範な熱狂や感傷主義を引き起こすことはなかった。当時、この本はアメリカで6回にわたって翻訳版が出版され、また英語の模倣作である『ヴェルターと交際していたシャーロットの手紙』もアメリカで3度再版された[31]。これら、そしてイギリスから輸入された翻訳作品によって、ヴェルターはこの国でよく知られる存在となったに違いない。したがって、雑誌にこのテーマに関する8篇の詩が掲載されているのも驚くにはあたらない。それらとは、第3節にヴェルターに言及した『ナルキッサ』(1787年)、ヴェルターの魂に向けられた『シャーロットの独白』(1787年)、『ヴェルターの死』(1787年)、『ヴェルターの墓碑銘』(1787年、1791年、1805年)、『ヴェルターの悩みを読んで』(1790年)、『ヴェルターの悩み』の第61通の詩形化版(1791年)、『ヴェルターのシャーロットへの別れ』(1798年)、『ヴェルターの墓前のシャーロット』(1809年)である。つまり、初期のアメリカの雑誌は、ドイツ文学、特にドイツ詩をアメリカに広める上で重要な役割を果たしたのである。書籍としての需要が生まれるずっと以前から、雑誌はある作家の個々の詩の翻訳を掲載することが可能だったのだ。この点に関しては、既にゲスナー、ビュルガー、ゲラート、レッシングらが言及されている。雑誌を通じてアメリカの読者に紹介された詩人が誰々だったのかを見てみるのも興味深い。ゲスナーとビュルガーが最も人気があり、前者は1811年までに25回、後者は10回掲載されている。

Page 30

ゲスナーはおそらく、アメリカで最もよく知られていたドイツ人詩人であった。この時期に彼の『アベルの死』は少なくとも16回もアメリカで出版され、4つの模作も作られた。また、彼の『牧歌集』の翻訳版は1802年に2度、1807年に1度、書籍として出版された。[32]一方、ビュルガーは雑誌に掲載されたこれらの詩や、輸入された書籍を通じてのみ知られていた。この時期のアメリカで彼の詩の翻訳集が出版された記録はない。

それ以降、ゲラート、レッシング、ハラーも翻訳や批評を通じてある程度認知されるようになった。前述の通り、ゲーテは『ヴェルター』の著者として知られていた。彼の叙情詩に関しては、『エル王』(1798年)と『フリードリヒとアリス』の2作のみが現れた。後者は「ゲーテの『クラウディーネ・フォン・ヴィラ・ベラ』に収められた断片を翻訳したのではなく、模倣したもの」であり(1807年)、出版された。[33]ヤコビ、クロプストック、マティッソン、コッツェブー、パッツケ、ビュルデといった他の詩人たちも時折賛美する人々はいたが、彼らの特徴を一般大衆に明確に伝えるための努力は十分ではなかった。これらに加えて、多くのパロディ作品やオリジナルの詩も存在し、それらがドイツ文化の重要性を際立たせるのに役立った。さらに、この影響は、当時の雑誌に散見される散文作品の翻訳や、ドイツ文学・歴史・伝記に関する記事によっても強化された。アメリカの雑誌は、この国におけるドイツ文化の発展に大きな貢献を果たしたのである。ここで始まった動きは数十年後に広範囲にわたる重要性を持つようになったが、1810年末までの時期はその出発点として興味深い。これこそがアメリカにおけるこの種の文学活動の最初の時代だったのである。

脚注:
[1] ジョン・L・ヘイニー、「1790年以前のイングランドにおけるドイツ文学」、『Americana Germanica』第4巻第2号。
また、ヘイニー博士の専門書『サミュエル・テイラー・コールリッジに与えたドイツの影響』(フィラデルフィア、1902年)も参照。
ゲオルク・ヘルツフェルト、『ウィリアム・テイラー・フォン・ノリッチ』、ハレ・アン・デア・ザール、1897年。
[2] 『ウィリアム・E・チャニング著作集』、ボストン、1849年。ジョージ・D・チャニング、第1巻–277ページ。
また、フランシス・ホプキンソンのコメント、194ページも参照。

Page 31

[3] 1754年にはすでにウィリアム・クリーマーがペンシルベニア大学のフランス語およびドイツ語の教授に任命され、その職を21年間務めた。1780年には同大学にドイツ語文献学の教授職が設置された。初代教授のJ・C・クンツェはラテン語やギリシャ語についてドイツ語で講義を行った。1784年以降は彼の後任であるJ・H・C・ヘルムートが同様の方針を続けた。参照:M・D・ラーニッド、「ペンシルベニア大学ベックシュタイン図書館開館式での演説」、1896年3月21日。

[4] ベンジャミン・フランクリンのゲッティンゲン大学訪問については、1766年9月13日付の『Göttingische Anzeigen』に記述があり、同年7月19日に開催された王立科学協会の会合が例年よりも印象的だったとされている。「二人の著名なイギリス人学者、王室医師のプリングル氏、そしてちょうどその時ドイツ旅行中にゲッティンゲンを訪れていたペンシルベニア出身のベンジャミン・フランクリン氏が、同協会の会員として席に着いた。」参照:E・J・ジェームズ博士の記事(『The Nation』、1895年4月18日、296ページ)。この記事は、1897–98年の教育長官報告書第1巻604–607ページに掲載されたB・A・ヒンズデールの論文「アメリカにおける外国の影響」に再録されている。また、L・ヴィエレックの『アメリカの学校におけるドイツ語教育』(同上、1900–1901年、第1巻543ページ)も参照。

[5] アダムスは1800年7月のシレジアへの旅についても記録を残している。それは旅の途中に兄弟に宛てて書かれた29通の手紙と、ベルリンに戻った後に追加された13通の手紙から成っている。これらは私的な通信ではあったが、『Port Folio』の編集者はそれらを自誌に掲載するために入手し、著者が出版を知っていた場合には必ず削除したであろう個人的な表現もそのままに匿名で印刷した。「これらの文章が関係者の目に触れたかどうかは定かではない。当時のアメリカの出版物の紙面に留まっていた限り、否定的な見方が有力だった。しかし実際にはそうではなかった。さらに、著者の知らない人物が、事実をよく知りながら、著者の同意もなく、その手紙集を『Port Folio』から持ち出し、1804年にロンドンで自分のためにオクターヴォ判の本として印刷した。この写本からドイツ語に翻訳され、翌年ブレスラウでフレデリック・アルバート・ツィマーマンによって注釈付きで出版された。そして1807年にはJ・デュピュイによるフランス語訳がパリのデントゥ社から出版された。このようにして、本来は単なる親しい間の往復書簡であったこれらの手紙は、著者の一切の関与も、修正や改訂の機会もなく、ヨーロッパの広範な地域で自由に流布することになったのである。」『ジョン・クインシー・アダムスの回顧録』、チャールズ・フランシス・アダムス編、全12巻、フィラデルフィア、1874年、第1巻240–241ページ。

Page 32

このアメリカの出版物は、1801年1月3日にフィラデルフィアで『Port Folio』I-1号として創刊された。英語版に関するレビューについては、ロンドンで1804年12月に発行された『The Monthly Review or Literary Journal』XLV-350号を参照のこと。
[6] 「彼[A・H・エヴェレット]は、ドイツ語の影響が強く、言語や文学の学習に最も好都合な条件が整っていたサンクトペテルブルクでジョン・クインシー・アダムスと共に過ごしていた間におそらくドイツ語を学んだのであろう。ニューヨークで発行された『United States Magazine and Democratic Review』第X巻(新シリーズ)、1842年、461ページには、彼がサンクトペテルブルクで現代語などを学んだと記されている。」
フレデリック・H・ウィルケンス、『Americana Germanica』第III巻第2号、155ページ。
[7] M・D・ラーニッド、『American Educationにおける文化要素としてのドイツ語』、ミルウォーキー、1898年。
[8] S・ゲスナー著『New Idyls』、フィラデルフィア、1802年。
[9] ブルガー、『Leonora』[Wm・テイラー――異なる表記あり]、第I巻221ページ。
ブルガー、『The Chase』[サー・ウォルター・スコット]、第II巻413ページ。
——、『The Water King』[M・G・ルイス]、第III巻92ページ。
ゲーテ、『The Erl-King』[M・G・ルイス]、第III巻93ページ。
——、『The Erl-King's Daughter』[M・G・ルイス]、第III巻94ページ。
ただし、最後の3作品はルイスの『Ambrosio or the Monk』(フィラデルフィア、1798年)にも収録されている。
[10] ウィルケンスのリストによれば、ブルガーの作品から2篇、ゲーテの作品から2篇がルイスの作品集に収録されているが、彼らの詩のみを集めた版は出版されていない。クロップストックの『Messiah』は1811年までに3回出版されたが、彼の短詩は出版されていない。
[11] ウィルケンスは何十種類かの雑誌について付随的に言及しているが、この分野について詳しく調査した試みはなされていない。
[12] 1764年にフィラデルフィアで発行された『Universal American Almanack, or Yearly Mag.』には『PythagorasのGolden Verse』という題の詩が収録されている。
[13] 『Curiosities of Literature』、1793年、フィラデルフィア。
『Miscellanies』、1796年、バーリントン。
『A Book』、定期刊行物、1807年、ニューヨーク。
『The Thistle』、1807年、ボストン。
『Charms of Literature』、1808年、トレントン。
『The Hive』、1810年、ハートフォード。
[14] アルバート・H・スミス、『The Philadelphia Magazines and their Contributors, 1741-1850』、フィラデルフィア、ロバート・M・リンゼイ、1892年、序文、5ページ。
[15] 参考にした図書館の一覧は第V部の冒頭に記載されている。

Page 33

[16] M. C. タイラー『アメリカ独立革命の文学史』第1巻、1763–1776年、ニューヨーク、1897年、18ページ。
[17] スミス、前掲書、20ページ。
[18] M. C. タイラー『アメリカ文学史』第2巻、1676–1765年、ニューヨーク、1878年、304・305ページ。
[19] 当時の雑誌には、ドイツ詩の翻訳が71篇、その重複版が10篇あり、他のゲルマン語圏の詩の原作や翻訳が68篇、その重複版が24篇存在した。
[20] これらの雑誌におけるラテン語やフランス語からの翻訳の一覧は作成されていないため、現時点ではドイツ語からの翻訳との数値的比較は不可能である。
[21] ジョン・バック・マクマスター『文学者としてのベンジャミン・フランクリン』ボストン、1887年、129ページ以降。
[22] 1810年以降のイギリスにおいても、ドイツ文学の影響力の同様な衰退が見られた。
[23] 『ザ・モス・ローズ』、クルマッハーのドイツ語原作より。『ザ・ミネルヴァ』、第1巻40号、1822年5月4日、および第2巻296号、1823年12月20日、ニューヨーク。
[24] 『ザ・ランツ・デス・ヴァッヘ』にも4つの韻文版がある:1833年――『ザ・レディズ・ブック』第6巻164ページ、1833年――『ザ・ジュヴェナイル・ランブラー』第2巻84ページ、1835年――『アメリカン・モンスター・マガジン』第5巻424ページ、1809年――『ザ・ビジター』第1巻72ページ(「カウボーイズ・チャント」と題されている)。
[25] 『ボストン・ウィークリー・マガジン』第3巻60ページ、1805年2月2日、ボストン。『ザ・ビジター』第1巻72ページ、1809年6月3日、リッチモンド。
[26] 大英博物館の目録には「寓話と物語[主にC. F. ゲレルトのドイツ語原作からの翻訳など]、1754年」と記載されている。
[27] 『ザ・アースズ・ディビジョン』、「L. E. L.によるゲーテからの翻訳」、ワルディーズ・ポートフォリオ、第1部123ページ、1835年4月11日、フィラデルフィア。また、『ベネボレンス』には「ゲレルトのドイツ語原作からの寓話」、1802年。
[28] 『アメリカン・ミュージアム』第3巻、1788年1月–6月号、539ページ。第4部194ページも参照。またW. E. チャニングの所見、第1部1ページも参照。
[29] 「プロイセンの州であるポメラニアのシュテッティンにおいて、ドイツ人作家L. W. ブルッゲマンが25年間の歳月を費やして英語で著作を出版した。その中には、古代ギリシャ・ラテン作家のすべての英語版、翻訳、図版に関する記述が含まれている。この著作を完成させるために彼は多額の費用をかけ、多数の英語の書籍を購入し輸入しなければならなかった。これは学問的な忍耐力と労力の非常に興味深い例である。自分の母国語ではない言語による古代作家の翻訳を一生かけて記述するとは!これは最も困難で、骨の折れる、人気のない、そして利益の少ない分野の一つである。」

Page 34

しかし、ドイツにはこのような文学的勤勉さの例が無数に存在する。ライプツィヒには、中国語、アビシニア語、コプト語、シリア語の著作の版や解釈書が豊富に揃った出版社がある。」Mo. Mag. and Amer. Rev., II-8, 1800, N.Y.
[30] シラーの『ウィリアム・テル』における「Ranz des Vaches」の翻訳は、The Constellation, III-266, 1832年7月7日, N.Y.に掲載されている。
[31] Wilkens, 前掲書, 164頁以降。
[32] Wilkens, 前掲書, 108頁以降および164頁以降。
イングランドでも同様に、これらの牧歌集は絶えず書店で販売されており、『アベルの死』は1800年までに20版も出版された。Herzfeld, 前掲書, 6頁を参照。

Page 35

II.

ドイツ詩の翻訳

老人
ゲスナー作より。
『ロンドン・マガジン』1773年10月号より。

【散文訳】
『ロイヤル・アメリカン・マガジン』1774年1月号、14ページ、ボストン。
【『ロンドン・マガジン』1773年9月号、437ページからの再録、ロンドン。表題の前に「『ロンドン・マガジン』へ」とある。】
ザロモン・ゲスナー著『パレモン、牧歌集、第1巻』。ゲスナーの散文訳については16ページを参照。

『ペンシルベニア・マガジン』向けに

ミルティランド・ティルシス
牧歌。

ドイツ語原作より。
【散文訳】
『ペンナ・マガジン』1775年8月号、I-359ページ、フィラデルフィア。
【S.ゲスナー著『ミルティランド・ティルシス、牧歌集、第1巻』】
プロイセン王の元彫刻家であったジョン・オーガスタス・ナール氏によって制作された、有名なランハンス夫人の墓の描写(優美な版画付き)。この墓はベルンから2里離れたヒンドルバンクの教区教会の聖歌堂内にある。
有名なM.ド・ハラーが書いた墓石の碑文や詩句は、版画に適切に掲載することができなかったため、ここにドイツ語原文からの自由訳として掲載する。

聞け!その壮大な音色を!トランペットの音だ!

Page 36

驚愕する墓々がその獲物を手放すのを見よ!
ああ、神よ!私の救い主よ!聞こえるのはあなたの声です!
私は子供と共に永遠の日へと向かいます。
我が子よ、目を覚ませ。今こそ目を開けよ。
この死すべき肉体の汚れを捨て去り、
我が子よ、立ち上がれ。あなたの救い主のもとへ。
ついに地上で与えられなかった喜びを味わえ。
彼の御前では、死は命に屈しなければならない。
真の喜びへの希望……そこでは罪から清められ、
悲しみや争いの後に平安が訪れ、時は飛ぶ……
永遠が始まる。
この祝福された希望の中で、
自分の救い主が約束を果たしてくださると確信し、
この墓の中で安らぎを得ている。
優しく悲しみに満ちた夫に守られて――
メアリー・マグダレン・ワーバー、
1723年8月8日生まれ。
1751年復活祭の前夜にこの世を去った。
ヒンデルバンクで福音を説いたジョージ・ランガンスの妻。
ボストン・マグザイン、I-56、1783年12月、ボストン。

バッカナリアン。
(ドイツ語から翻訳)

雷が暗い空を恐ろしく轟き渡る。
急いで地階へと避難する。
雷から逃げ出したいと思っているわけではない。
いや――最高のワインを探しに行くのだ。
ユニヴァーサル・アシュラム&コロンビアン・マグザイン、IV-253、1790年4月、フィラデルフィア。

第61通 韻文によるウェルターの悲しみ

ホメロスが私の若き心に火をつけたとしても、

Page 37

私の繊細な心は深く傷つき、
悲しみが私を苦しめる前から――
しかしオッシアンは彼の姿を描き出し、
彼の悲しみに満ちた歌が、厳かな美しさと共に、
今や私の心を占めている。

あの恐ろしい世界へと、
その偉大な詩人は私の心を導き、
荒野や未開地をさまよわせる。
そこでは激しい旋風が平原を吹き荒れ、
月明かりも弱々しくしか輝かず、
幽霊たちが昼間でさえも現れる。

険しい山々の向こうから、
深い洞窟から聞こえてくる、
水の悲痛な轟音を聞く。
また、自分を深く愛してくれた戦士の墓の上で、
嘆き悲しむ乙女の声を聞く。

私はこの銀髪の詩人に出会う。
彼は荒涼とした谷間をさまよい、
悲しみが彼の心を蝕んでいる。
彼は父親の足跡を辿ろうとするが、
時がそれを消し去ってしまい、
彼が見つけられるのはただ墓だけだ。

青白い月が波間に沈み、
彼は月が海で髪を洗う様子を眺める。
永遠に過ぎ去った時代を思い返し、
危険が彼を奮い立たせ、
すべての敵を追い払った日々を。

灰色の夕暮れ時に彼が戻ってくると、
月明かりが彼の戦利品を照らし出す。
彼の表情から、私は理解する。

Page 38

彼の心は深く根付いた悲しみで満たされている――若さがあまりにも早く衰えてしまったからだ。

あの輝かしい栄光が、こんなにも早く消え去り、夜の中に沈み、やがて墓へと向かっていくのを見るとき、そして周囲を見回して、自分が死ぬ運命にあるその冷たい大地を見るとき、それは勇敢な者でさえも同じ運命にあるのだ。

「旅人が来るだろう」と彼は叫ぶ。「私の美しさが花開いたのを見た者が来て、必ず尋ねるだろう。詩人であり戦士でもあった者はどこに行ったのか、フィンガルの偉大な息子はどこにいるのか、彼はどこへ去ったのかと。」

そして、野原や牧草地を探し回った後、彼は軽々と私の墓の上を歩むだろう。しかし、彼は私を決して見つけることはない。その時、私は、真の騎士のように、剣を抜いて彼を守り、彼の不安な心を慰めるのだ。

そうして、悲しみに打ちひしがれながらも、私は自分の胸の中にその悲しみを深く埋め、彼のために血を流す覚悟をするのだ。今、半神のような存在であり、フィンガル家の英雄であり、私の手によって解放された彼に従うのだ。

Universal Asylum and Columbian Mag., VI-50, 1791年1月、フィラデルフィア。
【ゲーテ『若きヴェルターの悩み』。1772年10月12日付の手紙】

アミンタス。[α]
牧歌的断章。

【散文訳】

Page 39

『マサチューセッツ・マガジン』、IV-351、1792年6月、ボストン。
[S.ゲスナー、「アミントアス」。「早朝、哀れなアミントアスがやってきた……」『牧歌集』第1部]

『牧歌的エクローグ』
テュルシスとクロエ
[散文訳]
『マサチューセッツ・マガジン』、V-195、1793年4月、ボストン。
[S.ゲスナー、「テュルシス」。W.フーパー医学博士による翻訳、『ゲスナーの新しい牧歌集』、1776年、ロンドン。25ページ、テュルシス]

『アミントアス』
ゲスナー作の牧歌的断章
『ニューヨーク・マガジン・オア・リテラリー・レポーズ』、IV-584、1793年10月、ニューヨーク。
[『マサチューセッツ・マガジン』、IV-351、1792年6月、ボストンにも掲載]

『朝』
ハラー作

月は退き――自然の暗いベールがもはや空や大地を覆わず――きらめく星々も消え、復活する太陽の暖かさがすべての生き物を目覚めさせる。
すでに空は太陽の紫色やきらめくサファイア色で彩られている。昼の美しい前触れである夜明けが優しく微笑みを与え、その額に飾られたバラの輝きが夜の霧を払いのける。
世界の光は東の方から進み出し、天の川の輝きを踏み越えて進む。天のルビーで覆われた雲々が雷光を放ってそれに立ち向かい、金色の炎が地平線全体に広がっていく。
バラたちは恵みの露を持って太陽に挨拶し、百合たちは滑らかな葉から心地よい香りを放つ。
勤勉な雄鹿は働きに向かう野原へと飛んで行き、注意深く、喜びをもって地面を突き破る鋤を操る。その間、彼の耳は喜びに満ちている。

Page 40

その美しい音色で空気や森を甘美に満たす吟遊詩人たちのおかげで、慈悲深き天は労苦の重荷を和らげてくださるのです!ああ、創造主よ!私が見るすべてはあなたの力の結果に他なりません。あなたこそが自然の魂であり、万物を動かしておられるのです。あの天体の定められた周期や輝き、そして回転する太陽の絶え間ない炎も、すべてあなたの手から生じ、あなたの御業を示しているのです。あなたは暗闇の中で私たちを導くために厳かな月を照らし、目に見えない風に翼を与え、夜には実り多き露で大地を豊かにしてくださいます。

塵からは高々とそびえる山々を、砂からは金属を創り出しました。あなたは広大な天空を広げ、雲で覆って、人間の視線によって汚されないようにしてくださったのです。川を溢れさせ、渦を生み出し、尾を振るごとに破壊を広げる魚の体の構造も、あなたが見事に創り出したのです。象もまたあなたが創り、その巨大な体に命を与えて、まるで動く山のようにしました。あなたは広大な虚無の上に天の壮大なアーチを支え、ご自身の言葉によって混沌からこの素晴らしい宇宙を創り出し、秩序をもって満たし、その壮大さ以外に限界を設けなかったのです。

偉大なる神よ!創造された存在たちはあなたの御業の栄光を語るにはあまりにも取るに足らないものです。私たちはその広大さの前に自分を見失ってしまいます。それを語る者は、あなた自身のように無限でなければなりません。私は謙虚に、自分に与えられた範囲内に留まります。理解しがたき存在よ!あなたの輝かしい栄光は、傲慢な人間の目を眩ませます。そして、大地がその存在を得ているその方は、虫の賛美など必要としないのです!

N. Y. Mag. or Lit. Repos., IV-720, 1793年12月、ニューヨーク
[アルブレヒト・フォン・ハラー、『Morgen-Gedanken』、第25日、1725年3月]

朝。
ハラー作。
Phila. Minerva, 第1巻、1795年5月30日、フィラデルフィア
[N. Y. Mag. or Lit. Repos., IV-720, 1793年12月、ニューヨークにも掲載]

Page 41

詩の翻訳。
ニューヨーク・マガジン向け。

『ゼフィルス』、牧歌。[α]。
(ゲスナーのドイツ語原作をW・ダンラップが翻訳。)

【散文訳】
N.Y. Mag. or Lit. Repos., VI-760, 1795年12月、ニューヨーク。
[S.ゲスナー、『Die Zephyre』]

詩の翻訳。
ニューヨーク・マガジン向け。

ゲスナーの最初の牧歌。
(ウィリアム・ダンラップによるドイツ語原作からの翻訳。)

『ダフネ―クロエ』。
【散文訳】
N.Y. Mag. or Lit. Repos., 新版、49ページ、1796年1月、ニューヨーク。
[S.ゲスナー、『ダフネ・クロエ』。「見よ、もう月が黒い山の向こうに昇ってくる……」最初の牧歌―第二部、1772年。]

『老人』。
ゲスナーのドイツ語原作からの翻訳。
Phila. Minerva, I, 1796年1月16日、フィラデルフィア。
【また、The Royal Amer. Mag., 1774年1月14日、ボストンにも掲載。】

寓話
ゲレルトのドイツ語原作を模倣して作成。

夜鶯が森の中で歌っている間、周囲の丘や谷々はその素晴らしいメロディーに喜びを感じていた。すべての野鳥たちは歌うのを忘れ、感嘆しながら耳を傾けていた。アウロラは丘の後ろでその音楽的なリズムに耳を傾けており、フィロメルは女神を敬って通常以上に甘美な歌声を響かせていた。その時、夜鶯は歌うのをやめ、雲雀が代わりに歌い始めた。

Page 42

彼女にそう語りかける機会があった。「あなたの音楽は高く評価されています。その多様性、明瞭さ、そして音符の優しさは比類のないものです。しかし、一つだけ私が優位に立つ点があります。私のメロディーは途切れることがなく、毎朝、私の祝福がもたらされます。それに対して、あなたの歌はめったに聞かれることがありません。夏の数週間を除けば、特別な注目を受ける資格はありません。」
「あなたは」とナイチンゲールは答えた、「私が優れている理由そのものをおっしゃったのですね。私は自然の声に耳を傾け、それに従います。自然の促しによってのみ歌い、また、強い願望であっても、インスピレーションのないものには決して屈しません。」
フィラ. ミネルヴァ、第2巻、1796年4月23日、フィラ。
[C. F. ゲラート『ナイチンゲールとツグミ』より。最初の詩節の自由訳。寓話の応用が含まれる第二の詩節は省略。]

寓話
ゲラートのドイツ語作品から翻案。

クラリーヌは夫を心から愛していました。なぜなら彼こそが彼女にとって理想の夫だったからです。二人の願望や嫌悪も同じでした。クラリーヌの務めは、夫の気持ちに沿うことであり、疲れることなく夫の望みを先回りして叶えることでした。「こんな妻なら」と結婚を考えている男性読者は言います。「私もこんな妻が欲しい。」――そして、あなたもそんな妻を得ることができるのです。クラリーヌの夫は病気になりました。危険な病気でした。「希望はない」と医者は言い、恐ろしい姿勢を見せました。クラリーヌは激しく泣きました。「ああ、死よ!」と彼女は叫びました。「ああ、死よ!お願いです、私の代わりに犠牲にならせてください。夫を助けてください。」死神はそれを聞き、現れました。「何だ」と冷酷な幽霊は尋ねました。「お前の願いは何だ?」「ほら」とクラリーヌは絶望して言いました。「彼がそこに横たわっています。苦しみのあまり、早急な救いを懇願しています。」
ナイチンゲール、第1巻199ページ、1796年6月16日、ボストン。
[C. F. ゲラート『優しい妻』より。序文の詩節は翻訳していない。]

美しい村の娘
ビュルガーのドイツ語作品から。
フィラ. ミネルヴァ、第2巻、1796年12月17日、フィラ。
[G. A. ビュルガー『タウベンハインの牧師の娘』より。W. テイラー『Monthly Magazine』第1巻223ページ、1796年4月、ロンドンより。]

Page 43

また、1830年にロンドンで刊行されたテイラーの『German Poetryの歴史的概観』全3巻のII-32ページにも、「The Parson’s Daughter」という題で掲載されている。

**VIRTUERE WAERDED:**
牧歌的な物語。
(ゲスナーのドイツ語作品より)

【散文訳】
『Phila. Minerva』、1796年12月17日、フィラデルフィア。
【S.ゲスナー『Daphne』、W.フーパー『ゲスナーの新しい牧歌集』33ページ、Glicera】

その他
フェルディナント・ヴァルハイム著

**願い**
(マッティソンを模して)

もう一度だけ願えばよいのに、私の幸せな魂が
冥界という静かな住処へと沈む前に!
幼い頃、夢の中で私の額の周りで遊んでいたあの場所に再び行けたら…

私の故郷の低木は、その枝々が
鳥の巣を覆っており、私の友を優しく包み込む。
それは、世界の偉大な征服者たちの塵の上にあるすべての月桂樹の森よりも優しい。

子供の頃、そこの小川で早くもスミレを摘んだあの場所の小川は、
かつて父が植えたヤナギの木々の間で、銀色のブランドゥシアンの噴水よりも心地よく流れている。

若くて陽気な若者たちが集まるあの丘…

Page 44

美しく花咲くポプラの幹の周りで踊り、
その喜びは、薔薇色に輝くアルプスの高みよりも
私の心を奮い立たせた。

だからこそ、私の幸せな魂が
冥界の安らかな住処へと沈む前に、
幼い頃に夢の中で私の周りで遊んでいたあの場所に
再び戻りたいと願うのだ。

そうすれば、死の神が突然やってきても、
人生の灯を消してしまっても、私は喜んで急いで
クセノフォンやプラトンの思索の場、
そしてアナクレオンのミルトルが生い茂る庭へと向かうだろう。
『Lit. Museum』または『Mo. Mag.』、1797年1月、ウェスト・チェスター、47ページ。
[F.マティッソン、「Salisへの願い」。「もう一度、冥界に入る前に……」]

**慈悲**
寓話。ゲラートのドイツ語作品を模倣している。

ハワードの墓の上で、優しい同情の涙が流れ、
彼女の愛する人の運命を嘆いている。
そこで詩人は、同じような善行を行う力を求めて助けを請うのだ。

彼のように苦しみに共感し、
彼のように傷ついた心を癒し、
苦悩に屈した人々を支える——
ベリンダの寛大な心がそう望んでいる。

しかし、運命の悪さにより、何度も、
彼女の慈悲深い思いは阻まれてしまう。
なぜなら、残念ながら、善を行う力がなければ、
意志だけでは何の役にも立たないからだ。

彼女の叔父が亡くなり、姪を残していった。

Page 45

年間2,000ポンドという明確な額だ。
「ああ!今こそ、」彼女は叫ぶ、「私は本当に幸運だわ。
できる限り、貧しい人々を助けるつもりよ。」

彼女がそう言うやいなや、彼女の家の戸口に、
老い衰えた哀れな人が現れた。
杖に寄りかかりながら施しを乞い、
その涙で彼女の同情を誘った。

ベリンダは彼の苦しみを気の毒に思い、
ため息をつき、首を振った。
そして、この老いた悲しみの子に向かって、
カビの生えたパンのかけらを差し出した。
『アメリカン・ユニバーサル・マガジン』第1巻28号、1797年1月2日、フィラデルフィア。
[C. F. ゲレルト『善行』より]

**愛国心について**
ブルガーのドイツ語作品から。

美徳、自由、人権のために命を落とすことは、
勇敢な者にふさわしいことだ。それは救世主の死である。
英雄の中でも最も純粋な者だけが、
自らの血で戦場を染め上げるのだ。

そして、この誇り高き死は、
同族や祖国のために命を捧げる者に最もふさわしい。
この偉大な勝利の中で名声を得る者たちの中から、
300人のスパルタ人がそうであった。

善良な君主が負う死は偉大であり、
慈悲深い手で権力を握る者にふさわしい。
高貴な者が剣を抜いて戦い、命を落とすことで、
その土地の祝福を得るのだ。

友人、親、子、または愛する人のための死は、
それほど偉大ではないかもしれないが、見るに美しいものだ。

Page 46

これこそ心の激しい動揺が認めるものであり、
金銭を払わずして死へと至る道なのだ。

しかし、単なる威厳のために傷を負うなど――
それを偉大だとか栄光だと考える者は間違っている。
それは甘やかされた犬の怒りに他ならず、
嫉妬や怒り、あるいは鞭によって呼び起こされるものだ。

そして暴君のために地獄へ行くなど――
それは地獄だけが享受する死であり、
そのような英雄が倒れる場所というのは、
絞首台、殺人者の戦利品、略奪者の獲物に過ぎない。
『Amer. Universal Mag.』I-141、1797年1月23日、フィラデルフィア。
[G. A. ブルガー『Die Tode』より]

正義の哲学者。
ブルガーのドイツ語原作より。
『Amer. Universal Mag.』I-211、1797年2月6日、フィラデルフィア。
[『Phila. Minerva』II、1796年12月17日、フィラデルフィアにも掲載]

壊れた壺。
ゲスナーのドイツ語原作より。

[散文訳]
『The Key』I-69、1798年3月10日、フレデリックタウン。
[S. ゲスナー『Der zerbrochene Krug』より]

レオノーラ。[α]。
ブルガー作のバラード。
数年前に行われたこの有名な作品の翻訳であり、既に他の翻訳も存在し、今後も新たな翻訳が出る予定だが、この翻訳には非常に特別な魅力と内在的な価値があるため、読者の皆様にご紹介できることを嬉しく思います。

[翻訳は以下の通り]
『Weekly Mag.』I-221、1798年3月17日、フィラデルフィア。

Page 47

【G. A. ブルガー、『レノーレ』。ノリッジのWm.テイラー、『レノーラ』。『Mo. Mag. and British Register』、I-135、1769年3月、ロンドン。M. G. ルイス、『Tales of Wonder』、1801年、ロンドン。この翻訳は上記の著作に匿名で掲載されたが、後に『Taylor’s Historic Survey of German Poetry』、II-40にていくつかの修正を加えて『エレノア』という題名で再録された。またM. G. ルイス編『Tales of Terror and Wonder』にも収められており、ヘンリー・モーリーによる序文が付いている、1887年、ロンドン。序文を参照。】

小さな魔法使いへ。
レッシングのドイツ語作品より。

さあ、私にキスをしてください、小さな魔法使いよ。
キスがあなたを傷つけるなどと思わないで。
与えられたキス、受け取ったキスは、
もはやあなたの恐れを呼び覚ますことはない。
では、百回もキスをしてください。
その最も甘美な喜びを数えてみて。
そして、私の命にかけて真実を告げます――
十倍にして返しましょう、当然の報いを。
もしキスを奪う勇気があるなら、
そして私の愛する人が十歳年上だとしても。

『Weekly Mag.』、II-30、1798年5月5日、フィラデルフィア。
【G. E. レッシング、『An eine kleine Schöne』】

『Weekly Magazine』向けに。

忠実な者。一つの寓話。
(レッシングのドイツ語作品より。)

信じてください、友よ。この広大な世界は哲学者や詩人にはふさわしくないのです。
我々は彼らの真の価値を理解できず、一方彼らもまた、残念ながら、それを何の価値もないものと交換してしまうほど弱いのです。
昔、ツバメはナイチンゲールと同じく美しく旋律の良い鳥でした。しかしやがて、勤勉な農夫や無垢な羊飼い以外からは誰の賞賛も得られない孤独な森での生活に飽きてしまいました。彼女は質素な友人たちを離れ、町へと移り住みました。そこで何が起こったのか……

Page 48

その結果は?街の住民たちが彼女の神聖な歌声に耳を傾ける暇がなかったため、彼女は徐々にそれを忘れてしまい、代わりに建物を建てることを学んだのである。
『ウィークリー・マガジン』、II-82、1798年5月12日、フィラデルフィア。
[G. E. レッシング『スワルベ』より]

**追跡**
ゴットフリート・アウグストゥス・ビュルガー著。
『ウィークリー・マガジン』、II-413、1798年7月28日、フィラデルフィア。
[G. A. ビュルガー『狂える狩人』、サー・ウォルター・スコット『狂える狩人』。1796年に『ウィリアムとヘレン』と共に出版され、『追跡』と題された。M. G. ルイス『不思議の物語』。ウォルター・スコット作『狂える狩人』。1798年3月17日付『ウィークリー・マガジン』I-221のレオノーラに関する注釈も参照。]

**エル王**
(原作は『ヴェルター』の作者ゲーテによる。)

誰がこんなに速く森の中を駆け抜けているのか?
夜が周囲を覆い、冷たい風が吹き荒れているのに。
それは、幼い息子を腕に抱き、自分のマントでしっかりと温めている父親だ。

「どうして私の愛しい子は震えているの?なぜ怖がっているの?」
「お父さん!エル王が近づいてきています!長く白い髭を持つエル王です!」
「ああ、君の目は夜の霧に惑わされているのだ。」

「もしよければ、私と一緒に行きましょう。素敵な服をあげます。一緒に楽しい遊びをしましょう。白や赤、青の美しい花々が咲いていますよ。」

Page 49

あの川のほとりに、すべてがあなたのものよ。」

——「お父さん!お父さん!エルク王が私の耳元で
そっと囁く言葉が聞こえないのですか?」——
——「もう静かにしなさい、我が愛しい子よ。恐怖心は
なくなるわ。風が枝々の間を通り抜ける音だけが
聞こえるのよ。」——
——「もしよければ、愛しい人、一緒に来てください。
私の娘があなたを優しく世話してくれます。
紫色と金色の衣をまとった私の娘が、
あなたを抱きしめ、キスをして、眠るまで歌ってあげます。」——
——「お父さん!お父さん!見えないのですか?
エルク王とその娘が私を待っているのよ!」——
——「恥を知りなさい、我が最愛の子よ!恐怖心が
あなたを盲目にしているのよ。
風に揺れる暗い柳の木しか見えていないのね。」——
——「あなたを愛しています!あんなに美しい顔が大好きです!
どうしてもあなたを手に入れます。力ずくで
あなたを私のものにします!」——
——「お父さん!お父さん!お願い、しっかり抱きしめて!
彼が私を引っ張って、痛めつけて、ついには
私を奪おうとしています!」——

父親は震え、さらに速く馬を走らせた。
丘を越え、森を抜けて、黒い馬を駆り立てた。
しかし自分の城の門に到着した時、
可愛い赤ん坊の胸の中ではもう命の鼓動はなかった。

『Weekly Mag.』第3巻93号、1798年8月12日、フィラデルフィア。
【ゲーテ『エルク王』
M・G・ルイス『不思議の物語』、1801年、ロンドン】

Page 50

しかし、上記のテキストはルイスの『アンブロシオ、または修道士』(1795年)からのものであり、この作品にはいくつか異なるバージョンが存在する。『修道士』の最初のアメリカ版再版は、1798年にフィラデルフィアで出版された第4版英国版をもとにしている。[序文を参照。]

エルク王の娘
(原作はデンマーク語だが、私はドイツ語訳で読んだ。)
『ウィークリー・マガジン』、第III巻94ページ、1798年8月18日、フィラデルフィア。
[J. G.ヘルダー著『Stimmen der Völker in Liedern』第4巻「Nordische Lieder」所収の「Erlkönigs Tochter」。デンマーク語からの翻訳。M. G.ルイス著『Tales of Wonder and The Monk』。『The Erl-King』の注釈を参照。原作は『Kiampe Viiser』に収録されている。]

アミントアス、牧歌物語 [β]
(有名なゲスナーのドイツ語作品からの翻訳。)
【散文訳】
『ウィークリー・マガジン』、第III巻347ページ、358ページ、1799年3月23日、30日、フィラデルフィア。
[S.ゲスナー著『Mycon』。フランス語版では「Amyntas」という題名。W.フーパー著『New Idylles』、18ページ。]

友情
ドイツ語からの翻訳。ラスによって音楽化された。

人生の短い期間に限定されることなく、
神聖な友情は輝き続けるだろう。
墓の向こうでも、熱心な心は、
最高の喜びを知り続けるのだ。

幸せな場所よ!そこではもはや悩みはなく、
天がその炎を認めてくれる。
そこでは心は喜びだけで鼓動し、
永遠に生き、愛し続けるのだ。

そこでは友情の比類なき愛が輝き続ける、
(私たちのような心にとっては、とても大切なものだ!)

Page 51

そこには天使たちがその神聖な力を持っている。
その本来の住処は、まさにそこだ!

というのも、この地上では、たとえ友情の魅力が
優しい喜びをもたらしてくれても、
私たちのような心は、依然としてより明るい日を切望しているからだ!

フィラデルフィア・レポーズ、第1巻、付録(1800年11月15日~1801年11月7日)、フィラデルフィア。
【上記は『ミュージカル・アプェンドィックス』に掲載された。】

オリジナル詩

リカス――庭園の情景
ゲスナーの牧歌から試みて作ったもの。

嵐の冬が私たちを緑豊かな場所から追い出し、
景色を飾る花さえ残さない。
風が強く吹き荒れ、
ふわふわした雪片を舞い上げる。
しかし想像力は優しく飛び立ち、
美しいイメージを集めていく。
春に咲く花々の姿、
夏の暖かな日差しの中で実る甘美な果実、
秋の豊かで多様な果実たち――
それらが惜しみなくその宝を開示してくれる。
その中でも最も美しいものを丁寧に選び出し、
あなたのために花輪を作ろう、私の愛しい乙女よ!
愛する羊飼いが、愛する人のために
美しい花を摘んで彼女の髪を飾るように。
庭園の美しさが私の質素な詩を彩ってくれるだろう。
もしダフネが微笑んでくれれば、私の努力も報われるだろう!
若き日の朝、ある羊飼いが
地面を飾るこの素晴らしい技術を発見した。
こここそが、恋に夢中なリカスが叫ぶ場所だ。
若くて優しく、賢明なリカス――
この榆の木の下で、美しいアデライードが初めて
自分の忠実な恋人に愛のキスを与えたのだ!

Page 52

彼が情熱的な声で恋人に語りかける間、
心は高鳴り、身体も不安定だった!
ここで、私の愛しい人は力なく倒れ、
私の熱い胸の上で安らぎを得たのだ!
「リカス」と彼女は泣きながら言った、「
恋する乙女の秘密を受け取ってください。
この心を動かそうとするすべての若者の中で、
アデライドが愛せるのはリカスだけです!
静かな森よ、孤独な泉よ――
私は何度もあなた方に自分の秘密を打ち明けました。
そして、優しい花々よ、私の若さを蝕んだその情熱の真実を証してください。
あなた方の葉は、私の周りに茂り、
私の熱い涙を朝露のように吸い取ってきました。」
私の心は満たされています――なんと素晴らしいことでしょう!
なぜなら、愛が私の胸の中にその玉座を築いたからです。
この場所は永遠に愛の聖地として残り、
私の手によって豊かな美しさで飾られるでしょう。
木々の中でも最も日陰の多いこのウルムの下で、
バラは風に香りを運びます。
その幹の周りにはキンポウゲも育ち、
白や紫色の花を空高く咲かせます。
春の宝物がここに流れ込み、
ユリのそばでヤマナデシコが花開きます。
丘を越え、牧草地を歩き回り、
咲き誇る花々を喜びを持って家に持ち帰ります。
紫色のスミレやピンク色の花も加わり、
香り高い低木たちがその甘美な香りを合わせます。
そうして、心地よい庭園が生まれ、
その香り高い花々で空気を満たすのです!
そして、この小さな幸運な島の周りに、
優しく曲がりくねった道を通って、あの銀色の泉を引き寄せます。
エグランティンやトゲのある植物が、
侵略者から守る垣根となります――
羊や山羊がこの場所を荒らし、
私たちの未来の喜びを台無しにしないように。
ああ、では、愛に恵まれた者たちよ、近づいてきてください!

Page 53

おいでなさい、優しい鳩たちよ、ここに住みましょう!
あの広がる枝々の上、高くとまりながら、
繰り返す鳴き声で恋人のため息を迎え入れてください!
そして陽気なスズメたちがバラの周りで遊び、
しなる花びらの間から喜びに満ちて歌います!
金色の羽をまとった蝶たちは、
バラの花壇の上で舞い踊り、楽しんでいます!
ここで、百合の揺れる茎の上で休み、
夕暮れの散歩に新たな美しさを加えましょう。
そうすれば、心配から解放された羊飼いが通りかかり、
そよ風が香りを空気中に運ぶ時、
その香りを吸い込み、感動して叫ぶでしょう――
「これはどんな神聖な場所だ?近くにはどんな女神がいるのか?」
この楽しくて魔法のような場所はヴィーナスのものなのか?
それとも狩りに疲れたダイアナが、
最も素晴らしい甘美なものが溢れる場所を選び、
この神聖な土地で眠っているのか?
P. D.
ポート・フォリオ、I-54、1801年2月14日、フィラデルフィア。
[S. Gessner, Lycas, oder die Erfindung der Gärten.]

ポート・フォリオ用。

ミルティッロ
ゲスナーのドイツ語作品をもとに試みた牧歌。

静かな夕暮れ時、ミルティッロは湖へと向かった。
月明かりが湖面を照らしていた。
その光に照らされた静かな場所、
ナイチンゲールの魅力的で優しい歌声によって、
彼は恍惚の状態に陥っていた。
やがて目覚め、家路についた。
緑豊かな庭で、絡み合ったつる植物が彼の孤独な住まいの前に
質素な形のポーチを作っていた。
そこで彼は、尊敬すべき両親――白髪の父親――が深く眠っているのを見つけた。

Page 54

彼の腕に支えられながら、葉の間から
月明かりが彼の顔に輝きを注いだ。
両腕を交差させ、胸を高鳴らせて、
彼は父の前に立った――長い間そうして立ち続け、
敬虔な眼差しで賢者を愛おしそうに見つめ、
やがて孝行の涙に濡れた目を上げ、
照らされた葉の向こうに天を仰ぎ、
感謝の涙が濡れた頬を伝った。
「おお、あなたよ!」とついに彼は叫んだ。「神々に次いで私が敬う、我が父よ――ああ、あなたの安らかな眠りはなんと穏やかなことか!正しく善き人の眠りはなんと静かなことか!あなたのふらつく足取りは、きっとここへ向かっていたのだ。静かな祈りを捧げるために、夕暮れ時を過ごすために。しかし、義務という任務の最中に眠気が襲い、私のためには愛の祈りが空へと飛んで行ったのだ。私の運命はなんと幸運なことか!慈悲深い神々はあなたの切なる願いを聞いてくださるに違いない。でなければ、なぜ私たちの小屋は枝々の間に安全にあり、実をつけた木々に囲まれているのか?なぜ、私たちの健康で日々成長する家畜たちに、このような祝福が与えられているのか?なぜ、私たちの畑の黄金色の作物にも祝福が降り注ぐのか?あなたが私を見て喜びの涙を流し、弱り果てた老いた体を大切に支えてくださった時、あるいは天を仰ぎ、息子を祝福してくださった時――ああ、その時、あなたの祝福はどんな言葉で表せただろうか!私の胸は喜びで膨らみ、涙が輝く頬を溢れ出した――昨日の朝、あなたは私の腕に寄りかかりながら、私たちの小屋を離れ、暖かな太陽の光を浴び、周りで戯れる家畜たちや実でいっぱいの木々、そして周囲に咲き誇る豊かな土地を眺めました。『私の髪は平和の中で白くなっていく』――それがその時のあなたの言葉でした。」

Page 55

我が青春の故郷よ、永遠に祝福されんことを!
私の目はもう衰えつつあり、もう長くは
あなたの心を喜ばせる光景を見ることはできない。
もっと幸せな場所のために、
私はあなたを捨てなければならない――空の向こうの平原のために。
ああ、最愛の父上、どうしてこんなに早く
あなたを失わなければならないのか!最も親しい友よ!――悲しい思いだ!
あなたの墓のそばで、孝心をもって、私は
質素な祭壇を築き、熱心に祈り続ける。
抑圧され苦しむ人々の苦しみを和らげるために、
善を行う機会がある毎日、
私は親の墓に甘い乳を注ぎ、
その神聖な場所に花を散らすのだ――
彼は言葉を止め、涙に濡れた目を
その善良な老人に向けていた。そしてため息をつきながら言った。
「彼はどんなに静かに横たわり、眠りの中で微笑んでいることか!」
彼の善行のいくつかが、
平和な夢の中で彼の心を満たしているのだろう。
月明かりが彼の禿げ上がった輝く頭や銀色の髭に降り注ぐ。
ああ、夜風や露が
あなたに害を与えないように。
そして彼は優しく彼の老いた額にキスをし、
そっと彼を起こし、柔らかい毛皮の上で
より安らかな眠りにつかせた。
——P. D.
ポート・フォリオ、I-70、1801年2月28日、フィラデルフィア。

ポート・フォリオへ。

ミルティランド・ダフネ
牧歌。
ゲスナー作をもとに試みたもの。

ミルティル。
姉よ、なぜそんなに早く、太陽が
あの丘の向こうから昇り始める前に出かけてしまうのか?

Page 56

夜明けの光が差し込む中、
ツグミはさえずりを奏でる。
美しい羽を持つ早朝の雄鶏も、
まだかすかにしか黄金色の朝を告げていない。
一方、あなたは何か見知らぬ魅力に導かれるように、
急ぎ足で木々の露を踏みしめている!
今日はどんな祝日なの?花でいっぱいのかごからは香りが漂っている。

ダフネ:
親愛なる兄弟よ、お帰りなさい。こんな寒く湿った早朝に、どこへ向かっているの?
その新しく作られた小屋から、何の目的で、夕暮れ時の静かな時間に出てきたの?
私のために――私はスミレやバラを摘んで、
私たちの家の周りに生えている花々を探したの。
両親が安らかに眠っている間、私はそれらを彼らのベッドの上に散らすの。
そして太陽の光が香り高い空を照らすと、
彼らは目を開けるでしょう。
花々に囲まれているのを見て、彼らの心は喜びで満たされるでしょう。

ミルティル:
最愛の人よ、姉妹の愛がなければ、人生そのものでも私を幸せにすることはできない。
昨夜、私たちが出会った時、ちょうど太陽が金色に沈んでいました。
両親は私たちの大好きな丘で休んでいて、私たちは彼の願いを注意深く見守っていました。
「あそこに木陰のある小屋を作って、悩みから解放されて休むのはなんて素敵なことだろう!」と彼は言いました。
私は彼の願いを聞いたようで聞いていないような気がしましたが、心はその場所に固定されていました。
そして夜明けの光が差し込む前に、私は急いでその丘へ向かいました。

Page 57

そして花壇を作り、その緑豊かなそばには、
揺れるヘーゼル色の枝々をしっかりと結びつけた。
見て、姉さん、見て、やっと仕事が終わったのよ。
彼の祝福を得るまでは私を裏切らないで、
彼自身がそこへ足を運ぶまでは。
ああ、その時には喜び合ってこの日を祝おう。

ダフネ:
兄さん、遠くからその花壇が彼の目に映った時、
彼がどれほど驚くことでしょう!
でも、急いでそっと彼らのベッドの上に、
朝の香りを捧げましょう。

ミルティル:
彼らがその香りに包まれて目覚めた時、
優しい笑顔で互いに挨拶を交わすでしょう。
そして「これは私たちのダフネの作品だ、可愛い子よ」と言い、
私たちの愛が朝の時間を楽しくしてくれるのです。
私たちが眠っている間も、こんなに丁寧に世話をしてくれるなんて、
本当に嬉しいですね。

ダフネ:
ええ、兄さん、彼がいつもの時間に窓を開けてあなたの花壇を見た時、「きっと私の目が誤っているのだ。あの丘に花壇があるなんて。そう、それはミルティルの作品だ。彼は甘い眠りを失い、夜の寝床を離れてきたのね。それが彼の思いやり深い計画で、そうして彼は私たちの年老いる姿を慰めてくれるのよ。」そして私たちが喜び合って朝日を迎え、この幸せな日を祝う時、今日始めたすべての仕事はうまくいくでしょう。そしてすべての場所に平和と喜びが満ちるのです。

P. D.
ポート・フォリオ、I-80、1801年3月7日、フィラデルフィア

Page 58

[S・ゲスナー『ミルティルとダフネ』]

ゲスナーの詩からの翻訳。

デリアよ!恋人の瞳に、
お前が近づくとそこに柔らかな輝きが宿り、
魅了された耳で、お前の甘い声に耳を傾け、
彼は心躍る歌を聴く。
最も悲しい光景でさえ喜びに変わり、
冬でさえ春の微笑みを浮かべる。

お前と共に牧草地を歩けば、
新しく刈られた干し草の香りは一層濃厚になり、
お前のそばで花々を集めれば、
蕾は誇らしげにより鮮やかに膨らみ、
お前の雪のような手に触れようと身を屈め、
あるいはお前の足元で情熱的に絡みつく。

しかし、お前の腕の中に抱きしめられる時、
長く長いキスで私を祝福してくれる時、
ああ!その時は、最も美しい花々でさえ
その心地よい香りの力を発揮しても無駄だ。
自然が甘い花をもたらしても無駄で、
冬でさえ春の微笑みを浮かべても無駄だ。

その時、デリアよ!この世にお前以外何も見えず、感じられない。
愛の狂気に支配され、
震える心はお前の胸に打ち付けられ、
至福に圧倒されて優しく沈み込み、
デリアのキスだけが私の存在意義となる。

Q. V.
ポートフォリオ、I-87、1801年3月14日、フィラデルフィア。

レオノーラ。[β]。
ドイツ語からの物語。

Page 59

「ああ、ウィリアム!あなたは裏切り者なの?それとも死んだの?」
ベッドの上からレオノーラが叫んだ。
「あなたが二度と戻ってこないのではないかと夢に見ました。」
ウィリアムはプラハでフレデリックの軍と戦っていた。もし負けたり、裏切ったりしたら、彼の運命がどうなるのか、彼女にはわからなかった。

ハンガリーの女王とプロイセンの王は、争いに疲れ果て、ついに戦いを終わらせることに決めた。そして両軍は歌や歓声、シンバルや太鼓、フルートの音を奏でながら、それぞれの道へと帰っていった。

木の枝で飾られた隊列が進む中、老若男女が家々から飛び出して兵士たちを迎えた。
「神様に感謝します」と子供も親も叫び、長い間離れていた友人に会うかのように、「ようこそ、ようこそ」と多くの花嫁たちも言った。

みんなが喜んでいる中、貧しいレオノーラは悲しみに暮れていた。彼女はキスを与えることも、受け取ることもできず、ウィリアムの行方も誰にもわからなかった。彼女は手を叩き、髪を引き裂き、やがて深い絶望の中で意識を失い倒れてしまった。

すぐに母親が駆け寄ってきて、「ああ、お願いです、慈悲の名において、この激しい悲しみは何なのですか?」と叫んだ。
「母さん、もう終わりよ。すべての希望は消え去ったの。神様には慈悲はなく、ウィリアムは死んでしまったの。私の悲しみにはもう救いはないわ。」
「どうか許してください、主よ!私の子よ、祈りを通して彼の愛を呼び求めなさい。全能の神は決して間違えることはないのでは?」

Page 60

ああ、お母さん!お母さん!無駄な言葉よ、
「私の運命を案じることなどできるだろうか、
私の祈りを一度も聞いたことのない人が?」

「我慢しなさい、子よ。神を信じなさい。
神はできる限り、助けてくださる。
その力に信頼し、努力しなさい。」

「ああ、お母さん!お母さん!すべては無駄よ。
何の信頼が命を取り戻せるというの?
過去は永遠に過ぎ去ったのよ。」

「彼がまだ生きているかどうか、誰にわかるでしょう?
もしかすると、遠く離れた場所で生きていて、
もうあなたのことなど思っていないのかもしれない。

忘れなさい、その信じられない若者のことを。
悲しみを捨てて、心を慰めなさい。
ウィリアムが偽りの人だと証明されたのですから。」

「お母さん、私の心からはすべての希望が消えました。
過去は過ぎ去り、神は冷たい。
なぜ私に命を与えたのでしょう?
ああ、この憎むべき光が
永遠に私の目から消え去ってくれれば…
来なさい、死よ、歓迎します、死よ!」

「慈悲深い父よ、私の子をお許しください。
彼女の苦しみが彼女を狂わせてしまったのです。
彼女は自分が何をしているのかわかっていません。

娘よ、この世の愛を忘れなさい。
天に君臨する方を仰ぎなさい。
そこでは悲しみの後に喜びが続くのです。」

「お母さん、今、私にとって喜びなど何があるというの?
ウィリアムがいれば、地獄でさえ天国のように思える。
彼がいなければ、天国でさえ地獄のよう。
消え去れ、この憎むべき光よ。
死よ、私を永遠の夜へ連れて行ってください。
愛と共に、すべての希望に別れを告げます。」

Page 61

そうして軽率に、レオノーラは
天の愛の真実を疑おうとした。
彼女は泣き、胸を打ち、
死を願って祈った。やがて月と星々が
静かに輝き、世界を安らかに眠らせた。

すると、聞け!外から何か音がする!
地面を踏む足音が聞こえる、
どうやら騎手が近くにいるらしい!
彼は立ち止まり、鈴を鳴らす。聞け!その音が
次第に遠のいていく中、聞き覚えのある声が
彼女の耳に届いた。

「目を覚ませ、レオノーラ。眠っているのか、
無思慮に笑っているのか、それとも絶えず泣いているのか?
ウィリアムが無事に帰ってきたのか?」

「親愛なるウィリアム、あなた!戻ってきてくれて本当によかった!
私は目を覚まして泣いていました――でも、どうして、ああ!教えてください。
こんな夜更けに、どうして来たのですか?」

「真夜中にしか出歩く勇気がないのだ。
プラハから、遅くとも君のために来たんだ。」
「私のために?ここに留まって休んでください。
荒れ狂う風が荒野を吹き抜けていく……
ああ、親愛なるウィリアム!なぜそんなに急ぐの?
まずは私の腕の中で温まってください。」

「風が荒野を吹き抜けていくがよい。
私の義務が急ぐよう命じているのだ。
早く、私の馬に乗りなさい。
朝になる前に、二百里も走って、
結婚の床にたどり着こう。」

「え、ウィリアム!新婚の部屋のために、
家からこんなに遠くまで夜道を旅するのですか?」

「レオノーラ、それが運命なのだ。」

Page 62

「愛しい人よ、周りを見てごらん。月は明るく輝いている。
死者たちは速く進んでいく。恐れることはない。
私たちはやがて結婚の床にたどり着くのだ。」

「ああ、ウィリアム!どこへ急ぐの?
何ですって?こんな遠く離れた結婚の床へ?」
「レオノーラ、遅れてはいけない。
そこはここから遠く、しかも寒くて狭い場所だ。
床は六枚の板だけでできている。
客人たちが待っている。早く行こう!」

彼女は軽やかに馬に乗り、白い腕をウィリアムの周りに回した。
まるで百合の花輪のようだった。
二人は最速の速さで走り去り、周囲に石や火花が飛び散った。
息を切らしながら進んでいった。

周囲の景色は次々と過ぎていき、橋は轟音を立てていた。
「私の愛しい人よ、怖いのですか?
死は速くやってくる。月は明るく輝いている。
死者をレオノーラは恐れるのですか?」
「ああ、違います!なぜ死者の名前を口にするのですか?」

聞いてください。彼らが急いで進む中、鐘の音や厳かな葬送歌が聞こえてきた。
かすれたカラスの声もそれに混じっていた。
彼らは担架の上の棺を見た。神父や弔問者たちもいて、ゆっくりと平原を進んでいた。

悲しげな葬送歌が聞こえてきた。
「主が与えたものは、また取り去ってしまう。
人生とは一瞬の影に過ぎない。
語られる物語、落ちる花のようなもの。
死は、最も予期せぬ時に訪れ、私たちを自分の床へ連れて行くのだ。」

Page 63

「待て!」とウィリアムは厳しい声で叫んだ。
「私は美しい花嫁を連れて帰るのだ。
さあ、結婚の宴に来よう。
嘆き悲しむ者たちよ、去れ、お前たちの歌は不要だ。
そして私たちが急いで進む間、
神父よ、祝福を与えてくれ。

人生というものは儚い影のようなものだ。
語られる物語や、すぐに枯れてしまう花のようだ。
そのような歌こそが喜びをもたらすのだ。
そして、私たちが部屋に戻った時には、
死者を泣き悲しみながら埋葬せよ。
その儀式はこの夜にふさわしい。」

ウィリアムが話している間、彼らは静かに立っていたが、
やがて命令に従って走り出した。
しかし、怒りに満ちた勢いで、
泡を吹く馬が前へと駆け出し、
火や石がその後を追いかけ、
竜巻のように周囲を襲った。

左右に、左に右に、
木々や丘、町々が彼らの視界を通り過ぎていった。
息も絶え絶えに進み続ける中、
明るい月明かりの下、死のように速く進む。
レオノーラは死者を恐れているのか?
「ああ!死者を安らかにしておけ。」

見よ、月明かりの淡い光の中で、
車輪や絞首台がかすかに光っている。
手を取り合った群衆が、
悪魔や幽霊たちが近くを漂っている。
あるいは、衰え果てた者の周りを飛び回っている。
その時、ウィリアムが大声で呼んだ:

「こっちへ来い、この空気の中を飛ぶ愚か者どもよ。
私が家に着くまでついてきなさい。
私たちは結婚の舞を必要としているのだ。」

Page 64

枯れ木の葉が、そよ風に揺らされるように、
つぶやく精霊たちが前進していく。

しかし間もなく、一行は急ぎ足で進み続けた。ウィリアムは恐怖に駆られた乙女を抱きしめ、
矢や風よりも速く飛んでいった。地面から火が噴き上がり、空を裂く稲妻のようだった。

景色だけでなく、雲や星までもが動いているように見えた。
「このように丘や荒野を越えて、
我々は死のように駆けていく。ねえ、美しい乙女よ、
月明かりの中で死者を恐れるのか?」
「ああ!もう死のことは言わないで。」

「鶏が鳴いた――行け!行け!
潮が引いていく。もう夜が明ける。
さあ、ここを離れよう!
やがて我々の運命の道は終わる。
死者たちも速く駆けていく――万歳!もう終わった、
結婚の床が近い。」

高い鉄の門が彼らの行く手を塞いでいたが、無駄だった。ウィリアムが馬の手綱を緩めて急かすと、門の錠が外れて開いた。そこには陰気な教会の墓地が見えた。彼らの道は死者たちの上を通ることになった。

今の月のように、雲に半分隠れた月が弱い光を放ち、墓石がかすかに見える中、新しく掘られた墓が二人の行く手を阻んだ。ウィリアムは叫び、乙女を抱きしめた。
「我々の結婚の床はここだ。」

Page 65

彼が言葉を発した途端、恐ろしい光景が現れた。彼の肉体はまるで火に触れた木のように崩れ落ち、目も頭から消えてしまった。ウィリアムの代わりに残ったのは、空っぽの頭蓋骨と裸の骨だけだった。少女を捕らえたのは死神だったのだ。

猛烈な炎を吐き出しながら、その怪物は姿を現し、煙に包まれて消えていった。哀れなレオノーラは倒れ込んだ。恐ろしい幽霊たちが周囲を飛び回り、彼女は地下から深いうめき声を聞く。そして地獄から悪魔たちが現れる。

彼らは踊りながら、恐ろしい叫び声で言った。「彼女は自分の魂のために慈悲を求めない。彼女の地上での人生は終わったのだ。愚かで不敬な人間どもが神と争い、絶望を選ぶとき、我々は彼らを自分たちのものとするのだ。」

しかし、より穏やかな声が聞こえてきた。「まだ命があるうちに主に祈りなさい。心を主と一つにしなさい。人が悔い改め、諦めるとき、神はその苦しむ心を慰め、来世の幸せを与えてくださるのだ。」

「不敬で神と争い、絶望を選ぶ者たちは、我々のものだ」と再び幽霊たちが叫んだ。「人が諦めれば運命の脅威も無駄になる。神は苦しむ心を慰めてくださるのだ」と、より優しい声が答えた。

意識を失う前に、レオノーラはかすかに叫んだ。「主よ、あなたの御心のままに。どうか怒りを収めてください。」

Page 66

風に乗って祈りの声が運ばれていった。
幽霊たちは空中に消え去り、
すべてが静寂と平和に包まれた。

今や空は赤みを帯び、
金色の筋が夜明けを告げる。
夜は追い払われ、太陽が昇り、
新たな温もりと希望、喜びをもたらす。
自然全体が生き返り、
この輝かしい日を迎える。

もはや恐ろしい幻影は近づかない。
愛とその微笑みが現れ、
最も美しい花々を摘んで、
若者の道に散らし、
真実と美しさが力を発揮する時に、
花嫁の寝床を飾るのだ。

ああ、もしあなた方の力で、
幸福を脅かす災いを防げるなら——
情熱が永遠に続くなら!
親愛なる魔法使いよ、教えてください。
天国が与えうる、これ以上純粋な喜びとは何でしょうか?
深い愛情の光によって、
私たちの胸が膨らむ時ほどでは?

優しい精霊たちが空の杖を振り、
二つの忠実な心があなた方の配慮を求めている。
見よ!あなた方の魅力に導かれ、若者が平原を駆け戻ってくる。
希望に満ちた胸が焦がれている。
希望は常に虚しいものではない。

「レオノーラ、目を覚ませ!愛のために目を覚ませ!
彼は君のために、最も美しい花輪を編んだのだ。」
死神の矢も無駄だった。
過去はすべて夢に過ぎず、彼女は目を覚ました——
彼は生きている。話したのはウィリアム自身で、
彼女を自分の胸に抱きしめたのだ。

Page 67

『バルト』。週刊誌、I-280、1801年4月29日、バルト。
[G・A・ビュルガー著『レノーレ』。最後の8節は翻訳者による創作である。]

ポートフォリオへ。
旧派の先生へ、
もし怠け者があなたの文学学校を覗き見ることを許していただけるなら、私は平謝りの印として、急いで書いたこれらの詩をお届けしたく存じます。もしこれを無駄に過ごした時間への当然の罰として焼き捨てることを選んだとしても、私は決して怒りません。
いずれにせよ、あなたが下す判決には異議を唱えません。
心からの願いを込めて、
著者より。

『ダモンとダフネ』、牧歌、
(結婚をテーマとするもの)
ゲスナー作をもとに試みたもの。

Page 68

ダモン。
暗く荒れ狂う嵐はもう過ぎ去り、
雷の恐ろしい音ももう聞こえない。
だから、私の娘よ、恐れることはない。
暗雲の向こうからは、もはや稲妻の光が放たれないのだ。
さあ、この避難所を離れて、青い空を迎えよう。
見てごらん、安全な場所を求めてきた羊たちが、
今、体から雨粒を振り落とし、
再び明るい草地に散らしている。
では、この素晴らしい避難所を離れて、
この心地よい時の美しさを味わおう。
太陽の光が湿った地面を照らし、
その豊かで輝かしい光をあたりに放っているのだ。
洞窟から手を取り合って歩き出すと、
優しいダフネは恋人の手を握り、
その誠実な手に自分の瞳を注いだ。

ダフネ。
「なんて美しいの、この明るく笑顔に満ちた大地」と彼女は言った。
散り散りの雲の間から青い空が現れ、
私たちの不安をすべて払いのけてくれる。
雲は空を素早く通り過ぎ、
その影を輝く草むらの上に落とす。
見て、ダモン、今、あの向こうの丘の上から、
雲の影が家畜や小屋の上に落ちている。でも、見て!雲はすぐに消えてしまい、
花々に覆われた草地を駆け抜ける間に、
再び丘は太陽の光に照らされるのだ。

ダモン。
虹の姿が丘から丘へと広がり、
その輝かしい弧が笑顔に満ちた大地を覆っている。
灰色の雲の中にも幸運の兆しが見える。
平和と安全の中で、すべての色が輝いている。
静かな谷はその光の下で微笑み、
流れる川がその美しさを映し出しているのだ。

Page 69

ダフネは優しい腕で恋人を抱きしめ、
叫んだ。

ダフネ:
見なさい、心地よいそよ風が再び吹いている。
花々と共に戯れ、楽しみながら、
雨粒や日差しによって美しく飾られている。
色とりどりの羽を持つ蝶たちや、
飛び回る虫たちも喜んで日陰を離れ、
そのベルベットのような翼を素早く震わせている。
そして近くの湖面では、
雑草や柳の枝々から汚れが洗い流され、
震える枝々が再び輝いている。
農夫は再び、
空の青さや広がる木々を目にするのだ。

ダモン:
ダフネ、あなたの優しい腕で私を抱きしめてください。
私の胸は神聖な喜びで満たされています。
どこを向いても、目には素晴らしい光景が広がり、
尽きることのない喜びが湧き上がってきます。
小さな植物から、自然を照らす明るい星まで、
すべてが私たちの感嘆を呼び起こし、
私たちの声を賛美の調べに合わせさせます!
あの山の頂から、
下に広がる大地を眺めると、私の心は膨らみます。
また、草原の中で、木々の下に身を横たえ、
様々な花や植物、そしてそこに住む微細な生き物たちを眺めるときも同じです。
夜の静かな時間に、
星々が空を照らし、季節の変化や植物の成長を示してくれるときもです。
これらすべての驚くべき光景が私の感覚を通して流れ込んでくるとき……

Page 70

彼らは私の高鳴る魂を純粋な畏敬の念で満たす。
思いは次々と速やかに生まれ出で、
私は泣きながら、大地を創った方の前にひざまずく。
光と生命、あらゆる至福の父よ、
私の賞賛をあなたに捧げます。
それ以外に、私の魂を同じ喜びで動かすものはない――
ダフネの愛を知る喜び以外には。

ダフネ:
ダモン、私の周りにも驚きが満ち、
私の胸を甘美な驚きで満たしている。
さあ、優しい抱擁で互いを結び合い、
夜明けがその赤らんだ顔を現し、
穏やかな夜がより優しい美しさを見せ、
月明かりが空気を通してその光を放つ時、
そんな情景に私たちの思いを寄せましょう。
互いの鼓動する胸に耳を寄せ、
途切れ途切れの声で自分たちの驚きを表し、
心を天の永遠の玉座へと向けましょう。
こんなにも優しい愛がこうした感動と結びつく時の喜びは、
言葉では表せないほどです。

P. D.
ポートフォリオ、I-171、1801年5月30日、フィラデルフィア。
[S. Gessner, Damon. Daphne.]

ポートフォリオ用。

蝶、一つの寓話。
ゲレルトのドイツ語作品より。

昆虫にも思考力と発話能力があるということは、
今日ではほとんど説明を要しない。
ギリシャ語でも子供たちに愛されるエソップも、
数千年前にすでに同じことを述べている。
フランス語で書いたフォンテーヌも同様の主張をしている。
では、爬虫類にもその能力があると否定できる者は誰だろうか。

Page 71

学者たちにとって、この世はあまりにも軽蔑されているのだ。
考える価値すらないほど、だと思わないか?

ある寺院の中では、建築家の技術によって、
壮大さと優雅さが一体となっていた。
至る所で適切な比率が保たれ、
シンプルな美しさが堅固な強さと結びついていた。

そんな寺院の壁の高いところに、
真面目で思索的で哲学的なハエがとまっていた。
ハエたちは、その厳粛で知的な雰囲気を持ち、
片足で頭を支え、額をしわめることがよくある。
それは深い思索を行っているからだ。
そして、この世の万物の起源を知るために、
底まで潜り込むのだ。

そうして、深い思索にふけりながら、
額に数本のしわを寄せたそのハエは、
周囲を見回し始め、
この建物はどこから、どのようにしてできたのかと疑問に思った。

「この作品の創造主は見当たらない」と彼は言った。「存在するとしても、信じがたい。
そんな創造主がいるはずがない。」
すると蜘蛛の賢者が言った。「芸術が、あなたが見ているこの作品を創ったのです。
どこを見ても、一定の法則や秩序があるのです。
ですから、この建物は芸術の手によって作られたのだという結論になります。」
これを聞いて、ハエは自分の考えを誇りに思い、大声で笑い、
軽蔑的な態度で答えた。「偉大なる方よ、私は何度もその芸術を見ようと試みましたが、
一度もその姿を捉えることはできませんでした。
ますます考えるほど、あなたの言う芸術というのは、単なる心の作り話に過ぎないと思います。」

Page 72

さて、この神殿がどのようにしてできたのか、私から学びなさい。
かつて、偶然にも無数の小石が一緒に飛んできて、そこに積もり、この空洞の殻を形成したのだ。ここが、あなたや私、つまり蜘蛛の友よが住む場所なのだ。
言ってみなさい、これ以上明らかな真実があるだろうか?
このような理屈ならば、ハエくらいなら許せる。しかし、もし偉大な天才たちが生きており、この世界の秩序正しい構造はすべて盲目的な偶然から生じたものだと考え、自分たちの人生の創造主として偶然を挙げ、神の永遠の御座にひれ伏すことを拒むのであれば、このような信条が認める唯一の言い訳は、その信者たちが正気を失っているということだけだ。
L.
ポート・フォリオ、I-192、1801年6月13日、フィラデルフィア。
[C. F. ゲレルト『Die Fliege』より]

ポート・フォリオ用。

自殺
ゲレルトのドイツ語作品より。

ああ、若者よ、今私が語ることから、優しい涙があなたの目を濡らす間に、恋人の不幸な運命を嘆き、愛からどのような苦しみが生じるのかを学びなさい。

模範的な美徳を持つ若者であり、年老いた父親の慰めであった彼の美徳は、若くして現れ、最も美しい希望を抱かせるに十分だった。

しかし美の強烈な魅力に打ち負かされ、クロエは深い悲しみを感じた。彼女もまた熱心に愛を告白したが、彼の懇願は虚しいものだった。

Page 73

彼女の足元で彼は情熱を訴えるが、
残酷なクロエは彼に去るよう命じる。
「そうだ!」と彼は叫ぶ、「ああ、侮辱的な女よ、
もう二度と私のため息を聞くことはないだろう。」
そして剣に手を置き、
絶望が彼の身振りからにじみ出る。
剣を抜き――その致命的な刃先を見つめ、
そして再び鞘に収める。
U.
ポート・フォリオ、I-192、1801年6月13日、フィラデルフィア。
[C. F. ゲレルト『自殺』より]

ドイツ語からの翻訳。

あの生気に満ちた昼の光球が
ウィリアムにその光を与えている間、
彼は他のどんな娘のもとにも行かず、
忠実なアンナをも軽蔑しない。
ウィルは情熱を込めてナンスにそう言い、
私思うに彼は約束を守り、
太陽が沈むまで、
緑の野原でソフィーに会うことはなかった。
ポート・フォリオ、I-280、1801年8月29日、フィラデルフィア。

ポート・フォリオのために。

ゲレルトのドイツ語作品からの翻訳。

踊る熊
寓話。

長い間パンのために踊ってきた一頭の熊が、
ある朝飼い主から逃げ出し、
故郷の森へと戻っていった。

Page 74

そして、兄弟である熊たちに優しく迎えられた。
彼を見て彼らは喜び、森中が騒ぎ立った。
彼らは彼の脚をなめ、爪で撫でた。
そして、一匹一匹の熊が隣りの熊を見ると、
「やあ!我らのブルインがまた戻ってきた!」と声を上げた。
すぐに、旅人の若者は自分の冒険話を始めた。
異国で見たこと、したこと、聞いたことをすべて語った。
そして、踊る姿について話す番になると、
彼はまるでかつての主人の鎖が再び首に巻き付けられたかのように、
軽快に踊り出した。

森の熊たちは滅多に踊りを習わない。
しかし、ブルインが手足を振り回すのを見て、
他の熊たちも自分たちも踊ろうという気持ちになり、
不器用にでも彼の動きを真似しようとした。
子熊たちのほとんどがすぐにつまずき、
よろめきながら倒れてしまった。
彼らが失敗するほど、ブルインはますます軽快に跳ね回り、
彼らの拙さを笑い、自分の技術を示した。
しかし今や、彼の遊びに怒りを感じた熊たちは、「行け!この転ぶ愚か者め!」と叫び、
「本当に、お前は私たち全員より賢くなるつもりか?」と言い、
一斉に彼を追い払った。

隣人の憎しみを避けたいのなら、
その才能を超えないように気をつけろ!
そして、自分の能力が高まるほど、
それをより一層慎重に隠せ。
というのも、最初は名声の声が

Page 75

天にあなたの功績を讃えよう。
やがて誰かがあなたの名を妬み、
あなたの最も美しい才能を最も邪悪な罪へと変えてしまうだろう。
L.
1801年11月27日。
ポート・フォリオ、I-400、1801年12月12日、フィラデルフィア。
[C. F.ゲレルト、『ダンツバー』]

善行。一つの寓話。
ゲレルトのドイツ語作品を翻案。
バランス・アンド・コロンビアン・レポーズ、I-132、1802年4月27日、ハドソン(ニューヨーク州)。
[ゲレルト、『善行』。また『アメリカン・ユニバーサル・マガジン』、I-28、1797年1月2日、フィラデルフィアにも掲載。]

アミンタ。
ゲスナー作の牧歌。

【散文訳】
ウィークリー・ヴィジター・オア・レディーズ・ミスク、I-20、1802年10月23日、ニューヨーク州。
[S.ゲスナー、『ダフネ』。
メアリー・コリヤー、『ゲスナーの牧歌集』、1802年、リヴァプール。II-121、『アミンタ』]

喜びへの招待。
ドイツ語からの翻訳。

言ってみよ、若さと春がこの世界を彩る中で、
なぜ悲しみに暮れ、与えられる喜びを軽蔑し、
恩知らずな心と不機嫌な表情でいられるのか?
笑顔と微笑みを浮かべた喜びが現れるのを見よ。
バラが曲がりくねった道に散らばっている。
人生の祝宴を、私たちの旅の足跡が辿るどこでも、
彼女は私たちに分かち合わせてくれるのだ。

そしてその森は依然として涼しく緑豊かで、
清らかな泉が流れ続けている。

Page 76

夜の華やかな女王は依然として輝き続ける、
まるでかつて楽園で姿を現した時のように。
ブドウはその紫色の甘露を注ぎ出し、
悲しみに押しつぶされた心を和らげる。
そして依然として、孤独な夕暮れの花々が
盗まれたキスを招き、守ってくれる。

フィロメラの優しい歌声もまた、
絶え間ない風に応じて、
胸の痛みを和らげ、
静かに耳を傾ける人々を魅了する。
創造の世界は広がり続ける——
なんと素晴らしく、明るく、美しい光景だろう!
死の冷たい手が私の目を閉じるその時まで、
この豊かな恵みを分かち合わせてください!
『Weekly Visitor』または『Ladies’ Misc.』、I-64、1802年11月27日、ニューヨーク。

オリジナル原稿。
ポートフォリオ用。

『THE AMERICAN LOUNGER』
サミュエル・サウンター氏著
第XLIII号

Et vos, O lauri, carpam, et te proxima myrtus,
Sic positae, quoniam suaves miscetis odores.
——ウェルギリウス

サミュエル・サウンター氏へ
先生、

「Connoisseur」誌に掲載されたコールマンやソーントンの計画、また「Literary Leisure」誌に掲載されたご親族のソロモン・サウンターの計画と同様に、詩と散文の両方を取り入れることができ、まるでパンとチーズを交互に食べるように利用できるという点に気づきました。そこで、レッシングのドイツ語訳からの翻訳文と、いくつかのオリジナル原稿をお送りします。

敬具、
ハーレイ

Page 77

ある幸せな日、私は愛しい人に尋ねました。
「私の恋人を、どんな名前で呼べばよいのか?
ローマやギリシャの美しい名前で――イフィゲニア、クレリア、クロリス、
ラウラ、レスビア、デリア、ドリス、
ドリメネか、それともルクレツィア?」

「ああ」と優しい彼女は答えました。
「愛しい人よ、名前などただの空虚な響きに過ぎないわ。
好きな名前を使いなさい――クレリア、イフィゲニア、クロリス、
ラウラ、レスビア、デリア、ドリス――
でも、必ず私のことも『あなたのもの』と呼んでね。」

ポート・フォリオ、III-25、1803年1月、フィラデルフィア。
[レッシング『名前』より]

**航海**
ゲスナーのフランス語訳からの翻訳。

飛ぶ!船が飛んでいく、遠い岸へと――
五月のように美しい私のダフネを連れて行く。
愛する者たちよ、彼女を守りなさい。
荒れ狂う風にも動じず、ゼフィルスだけが帆を満たすのを許しなさい。
波々よ、静かに船のそばを流れ去りなさい。
彼女は物思いにふけりながら、あなた方がゆっくりと進むのを見つめている。
ああ、静かに進みなさい、彼女の夢想を長引かせてあげなさい。
そうすれば、神々よ、その時こそ彼女は私のことを思うのです。
岸辺を覆う木々の近くに来たら、
鳥たちよ、あなた方の最も美しい歌声を彼女に捧げなさい。
聞こえるのは、心を和ませるような音だけでよい。
海よ、あなたの青い水面を穏やかに保ってください。
あなたの娘たちが水の中の住処を求めて以来、
これほど美しい使命があなたの波々に託されたことはありません。
彼女の澄んだ、明るく汚れのない美しさは、
百合の白さやバラの新鮮さを思わせます。
ヴィーナスでさえ、これほどの魅力や美しい姿は持っていませんでした。

Page 78

海の輝く泡から姿を現したとき、
彼女は微笑みながらまず銀色の馬車に乗り、
朝の星のように眩しく輝いた。
魔法にかけられたトリトンたちは騒がしい遊びをやめ、
青く美しいニュームたちも水晶の宮殿で静まった。
彼らの不機嫌な顔や嫉妬の笑みなど気にせず、
美の女王は皆の目を魅了した。
彼らは見つめ、極めて楽しい恍惚状態に陥り、
彼女が滑らかな水面を進む姿を追った。
H *** T.
『ボストン・ウィークリー・マガジン』、1-72号、1803年2月19日、ボストン。
[S.ゲスナー著『La Navigation』。『Die Schiffahrt』のフランス語訳。]

ホーガン氏へ、
オスカーという名前で送られてきた以下の作品は、州の遠方に住むある紳士の作品です。これらは彼の暇な時間を楽しませるためだけに書かれたものです。もしこれらを掲載する価値があると思われるなら、『Repository』誌に掲載しても構いません。
——購読者より

賛美の朝の歌。
パッツケのドイツ語作品より。
「主を賛えよ!朝の太陽よ。」

ああ、主を賛えよ!朝の太陽よ、
眠りから喜びに満ちた若者を目覚めさせ、
万物の喜びが再び、新たな流れとなって私たちのもとに訪れる。

ああ、主を賛えよ!最も甘美な川々よ、
最初の香りを主に捧げよ。
鳥たちよ、美しい歌声を響かせ、
野原や畑で主を賛えよ。

ああ、主を賛えよ!——砂漠の獣でさえも、
自分の巣から主を賛える。
そして、ああ、私の魂よ、なおさらに、
あなたは賛美の歌を歌うべきではないか?

Page 79

—オスカー
フィラ。Repos., III-152、1803年5月7日、フィラ。

春への頌歌
ドイツ語からの翻訳。
「喜びが空気の中を舞う。」

喜びは風と共に笑いながらやってくる;
楽しみがあたりに広がる;
鳥たちが木々の間でさえずる;
自然は地面を美しく飾る。

天は最も豪華な衣をまとい、
きらめく星々――青い空;
妖精たちは奇妙な仕草で踊り、
または喜びながら朝露を飲む。

優しく微笑むそよ風が、
緑豊かな木立の間を漂い、
あちらのライラックと戯れ、
こちらでは咲き誇るバラと戯れる。

ブンブン飛ぶ蜂たちは、
丁寧に花々の間を飛び回り、
自分たちの領域を探し回り、
蜜を集めて帰る。

刺繍のように美しい紫色の谷で、
愛は美の女神たちに囲まれて、
優しく魅力的な物語を語り、
赤面する美しい人々は顔を隠す。

この喜びと楽しみに満ちた時代に、
創造物はなんと美しいことか?
すべてが生命であり、活気に満ちている;
私たちの喜びを妨げるものは何もない。

—オスカー

Page 80

フィラデルフィア・レポーズ、III-152、1803年5月7日、フィラデルフィア。
【序文については、前掲の「朝の賛美歌」を参照のこと。】

普遍的な賛美の歌。
サッピックス風の頌歌。
ビュルデのドイツ語作品より。
「息をするものすべて、主を賛えよ!」

生き、息をする者たちよ、主を賛えよ!
喜びと歓喜の聖なる流れによって、
私たちの魂は満たされる。

おお、味わい、見よ、主がいかに偉大で、いかに良き方かを!
主の愛と慈悲、真理と恵みだけが、
私たちを永遠の喜びへと導くのだ。

主に仕える魂たちよ、
ケルビムよ、セラフィムよ、天使たち、霊たちよ!
愛こそがあなたがたの幸せなのだ。

私たちの魂よ、生ける流れを渇望しなさい。
祝福され、聖なるその方を、永遠に愛しなさい!
愛によって私たちを創造された方を。

そう、私たちは主を愛し、崇めます!そう、塵もまた
自らの贖い主を愛します。そして私たちのすべての涙も、
主ご自身が拭い去ってくださるのです。

——オスカー
フィラデルフィア・レポーズ、III-152、1803年5月7日、フィラデルフィア。
【序文については、前掲の「朝の賛美歌」を参照のこと。】

靴紐の痛み。
靴職人ウィリアムの歌。
コッツェブー作より。

怠け者たちが暴れ回り、食べ飲みし、
柔らかな枕に身を沈めている間も、

Page 81

彼らもまた苦悩から逃れることはできない。
なぜなら、すべての人には
苦難が必ず訪れ、
どこで靴が足の指を締め付けるかを
自分で知らねばならないからだ。

雨の日には賢者もブーツを履くが、
天気が良い時に靴を履き、
状況に応じて行動する。
一度でも靴を履いたことのある人なら、
それが本当に快適で、
足の指を締め付けないとは言えないだろう。
『バランス・アンド・コロンビアン・レポーズ』、II-288、1803年9月6日、ハドソン(ニューヨーク州)。

**善意――一つの寓話**
ゲラートのドイツ語作品を翻案。
『ポート・フォリオ』、III-352、1803年10月29日、フィラデルフィア。
【また『アメリカン・ユニバーサル・マガジン』、I-28、1797年1月2日、フィラデルフィアにも掲載】。

**貧しき者への助け**
【散文訳】
『フィラデルフィア・レポーズ』、IV-4、1804年1月7日、フィラデルフィア。
【S.ゲスナー『花の花束』、W.フーパー『新しい牧歌』、37ページ】

『フィラデルフィア・レポーズ』向けに。

**希望**

朝の明るい光が
夜の暗闇を切り裂き、
世界全体を
昼間の輝きで満たすように、

大きな悲しみが——
人々に喜びを与えず、
絶望と苦痛がある時も同様だ。

Page 82

かの弱く、不安に満ちた心が安らぐ。

希望の太陽が昇り、
悲しみに満ちた胸の中でその光が流れ始めると、
悲しみは消え去り、
胸は喜びでいっぱいになる。

絶望や不安、苦痛から
その不安な心は解放される。
ああ!希望の太陽がもたらすのは、
至福と大きな喜びなのだ。
——アデリオ

⁂ 詩的な翻訳をお願いします。
フィラ・レポジトリー、第IV巻56号、1804年2月18日、フィラ。

フィラデルフィア・レポジトリーのために。

前号のフィラデルフィア・レポジトリーに掲載された
アデリオのドイツ語詩の翻訳。

希望。

朝の輝かしい光が
夜の暗闇を払いのけ、
全世界が
昼の素晴らしい光景に喜ぶように——

同様に、運命が人間に与えるのは苦悩だけだと定め、
絶望と痛みが
苦しむ心に与えられる時——

その時、希望の太陽が静まっている胸の中を通り抜ける。
そうすると逆境は消え去り、
後には幸福だけが残る。

Page 83

恐怖から免れるのは胸だけ。
絶望と苦痛も安らぎに沈む。
希望の太陽が喜びをもたらし、
至高の幸福が輝くのだ。
翻訳者:フィラデルフィア・レポーズ、IV-64、1804年2月25日、フィラデルフィア。

クロプストックの『メッシア』より一節。

そうして真夜中の時刻が、眠っている都市に近づいてくる。
疫病が。広げた翼の上で潜み、城壁の下で待ち構えるのは、息を殺す死神だ。まだ平和に暮らす人々は警戒していない。賢者は夜の明かりのそばで見守り続け、高貴な友たちは、香り高い木立の中で、聖ならざる酒を飲みながら、魂や友情について語り合い、その永遠の持続時間を考えている。しかし間もなく、恐ろしい死神が、苦難の日に彼らの上に襲いかかるのだ。嘆きと苦悩の日に……。花嫁が手を絞りながら新郎のために大声で泣き叫ぶ時、すべての子供を失った絶望的な母親が、自分が生まれた日を激しく呪う時……疲れ果てた目で、死体の山の中をよろめきながら歩く葬儀屋でさえも……やがて降りてきた死の天使が、雷雲を背景に、すべてが孤独で静まり返っているのを見つめるのだ。

Page 84

広大な荒涼とした景色を見つめ、墓の上で長い間思いを巡らせる。
「おそらく他の何者かが、この素晴らしい情景を見事な自由詩に仕上げ、クロプストックの美しさが奇妙さなくして自然に受け入れられ、彼の特異性が作為なく保持されうること、新語が必然的にもたらす風変わりさが天才にとっては不要であり、優雅さにとっても有害であること、六行詩は慣れるまでは人を遠ざけ、慣れても煩わしく感じさせるものであり、音の調和のとれた秩序が欠けていること、そしてその気まぐれで速いリズムが厳粛な威厳の歩みに反し、クロプストックの天上の幻景よりもテオクリトスのありふれた風景にふさわしいことを、人々に納得させるだろう。」
『クロプストックのメシアに関する批評』より。
Lit. Mag. and Amer. Reg., I-468, 1804年3月、フィラデルフィア。
[F. G. クロプストック、メシア]

ガーディアンス・スピリット
マッティソンのドイツ語作品より。

日の光が消えゆく瞬間、
微笑む姿が私の愛する人に挨拶をし、
せせらぎのそばでうろつき、
木立の下を滑るように移動する。
ああ!その時、私のヘンリーの霊が見ている——
柔らかな喜びと平和をあなたにもたらすのだ。

月明かりの静かな光の中で、
もしあなたが愛や私のことを夢見ているなら、
松林を風が吹き抜け、
かすかな旋律を囁くように——
優しい感情がため息を誘う時——
あなたのヘンリーの霊が近くにいるのだ。

心の中に優しい思索が忍び込む時、
あなたが楽しい過去を思い返している時——
もしあなたが優しい圧力を感じたなら、
まるでそよ風のキスのように唇や手に触れるように——
そして灯りの光が消えていったなら——
その時、あなたのそばに恋人の影がいるのだ。

真夜中の厳かな時刻に、
星々が静かに輝く時——

Page 85

エオルスのハープのように、そばのあなたの寝台で、
あなたはその言葉を聞く――「永遠にあなたのもの!」
そして甘く眠りなさい、私の魂もそこにいる、
平和と喜びが私の愛しい人にもたらされる。
フィラ。Repos.、IV-160、1804年5月19日、フィラ。
[フリードリヒ・マティッソン『遠き地からの歌』]

ビュルガーの『レオノーラ』。[γ]
[ビュルガーの『レノーレ』に関する記事の中で、スペンサー訳の8行ずつ3節と、スタンリー訳の6行ずつ2節が掲載されている。
W. R. スペンサー『レオノーラ』。G. A. ビュルガーのドイツ語訳からの翻訳。ロンドン、1796年。
J. T. スタンリー『レオノーラ』。ドイツ語訳からの自由な翻訳。第2版、ロンドン、1796年。]
Port Folio、IV-167、1804年5月26日、フィラ。

ソネット
ヤコビの作品からの翻訳。

教えてください、どこへ消え去ったのか、
かつてあんなに美しく咲いていたそのスミレは?
美しいフローラの足元で芽吹き、
最も素晴らしい香りを与えてくれたあの花は?
若者たちにとって春の季節は過ぎ去り、
もうスミレは咲かないのです。

教えてください、どこに隠れているのか、
その赤らむバラは?
香り高い朝の誇りであり、
美しい人の眉にふさわしい飾りで、
丘や谷を彩っていたあの花は?
優しい乙女にとって夏の季節は過ぎ去り、
もう希望のないバラは枯れてしまったのです!

では、私をあの小川のほとりへ連れて行ってください、
かつてあんなに自由に流れていたあの川へ。
その岸辺ではたくさんの水仙が輝いていました――
太陽と風がその水を使い果たしてしまったのです。

Page 86

あの小川はもう流れていない!

私を船首の日陰へ連れて行ってくれ、
バラが咲き誇る夕暮れ時へ。
若者と乙女たちの愛する場所で、
恋の歌を歌いながら――
嵐と雷が激しく襲い来て、
葉の落ちた木々が悲しみに震える!

あの村の乙女はどこに隠れているのか、
昔はあの小屋を飾っていた彼女よ。
何度も森の中で彼女に出会った、
朝のように美しく清らかな彼女よ。
若者よ、美しさの花はいかに短いものか、
草むらの墓の中で彼女を探せ!

田園の喜び、バラやスミレ、小川や平野を歌った、
優雅な調べを奏でるその歌い手はどこへ行ったのか?
乙女よ、人生の幻影はあっという間に消え去り、
死が詩人の目を閉ざしたのだ。
『Companion and Weekly Misc.』I-104、1805年1月26日、バルト。
[J. G.ヤコビ『Vergänglichkeit』。ノリッジのW・テイラー、同書II-106、エレジー。(第5節の異形)。]

以下はラインガウ地方で流行していたドイツの飲酒歌であり、おそらくそれを讃える古い「ホック」という酒の創作のインスピレーションとなったものである。

葉で飾られた、愛らしく満たされた杯を、
楽しく飲み干そう;
ヨーロッパ中の貴族の皆さんよ、
このようなワインはもう存在しないのです。

それは祖国がその豊かさからもたらすもの、
他ではどうしてこんなに美味しかったのか?
他ではどうしてこんなに高貴で静かだったのか?

Page 87

それでもなお、力と勇気に満ちているのか?

ライン川のほとり、ライン川のほとり、そこで私たちのブドウが育つ。
ライン川よ、祝福されよ!
そこではブドウが岸辺に沿って育ち、
私たちにこの素晴らしいワインを与えてくれる。

さあ、飲みましょう。そしてどうか、私たちが常に喜びに満ちていられますように。
もし誰かが悲しんでいるのを知ったら、
その人にワインを与えましょう。

ワインで満たされた杯を手に、
その心地よい果汁を飲みましょう。
ヨーロッパ全体でも、
これほど素晴らしいブドウを産む場所はありません。

そう、ドイツこそが、
最も優れたワインの豊かな源泉です。
とてもまろやかで、気前が良く、力強く、
心をこれほど喜ばせてくれるものは他にありません。

ラインガウだけが、このようなブドウを誇ることができます。
万歳!ライン川万歳!
そして、この乾杯を軽視する愚か者は、
ワインの味を忘れ去ることでしょう。

さあ、飲みましょう。そして楽しく過ごしましょう。
こんなに素晴らしい甘露があるのですから、
果たして誰かが悲しみに囚われることがあるでしょうか?
私たちはワインで彼を慰めましょう。

ポート・フォリオ、V-110、1805年4月13日、フィラデルフィア。

エピグラム
G・E・レッシングのドイツ語作品より。

Page 88

エデンの園でしばらくの間、
彼は新しい生活を楽しんでいた。
しかし彼はうたた寝をしているところを捕まり、
三度にわたって彼の肋骨から妻が作られた。

かわいそうな父アダムよ、なんという客だろう!
この最悪の運命が、
あなたの安息の最初の瞬間を、
永遠の眠りへと変えてしまったのだ。

しかし地上には一度に一人の悪女しか現れない。
誰もが彼女を手に入れたと思い込むのは――確かに驚くべきことだ。

遠く離れて――ルシンダが男たちを魅了する。
彼女が近づいてくると、
はっきりと見えるようになり、
また遠く離れていても、人々は再び彼女を欲しがるのだ。
フィラ。『Repos.』第5巻128節、1805年4月20日、フィラ。

コーガン博士の面白くてユーモラスな『ライン川沿いの旅行記』の中には、
「夕暮れ」に捧げられたドイツ語の頌歌が収められている。
思索にふける吟遊詩人としてのテュートンのミューズを見てみたいと思う人々は、ここでその願いが叶うだろう。

来なさい、静かな夕暮れよ、
私たちの小さな野原へ。
私たちの歌があなたに響き渡る、
自然よ、あなたはなんと美しいことか!

すでに夕焼けが
涼しい谷間へと降りてきている。
やがて優しい赤色に輝きながら、
太陽の最後の光が現れるのだ。

Page 89

あたり一面、静寂が支配している。
ただ、鳥たちの合唱だけが、
暗い枝々から高く響き渡り、
夜へと歌を送っている。

さあ、静かな夜よ、再び戻ってきてほしい。
私たちの小さな家の姿を。
私たちの歌を聞いてください。
自然よ、あなたはなんて美しいのでしょう。

太陽は向こうの丘の向こうに沈み、
海の中に消えていく。
優しくて温かい光を放ちながら、
ああ、赤面する乙女よ、あなたに向けて。

太陽はその穏やかな光をあなたに譲り、
すべての者に休息を促す。
鳥たちはあなたの胸の上で歌いながら、
この幸せな日を締めくくる。

さあ、静かな夜よ、再び戻ってきてほしい。
私たちの小さな家の姿を。
私たちの歌を聞いてください。
自然よ、あなたにふさわしい歌です。

ポートフォリオ、V-149、1805年5月18日、フィラデルフィア。

レッシングのドイツ語作品より。

ああ!なぜ私はこんなにも儚いのか、と美しき者はユピテルに尋ねた。
「儚いものだけが美しいのだ」と神は微笑みながら答えた。

Page 90

愛も、若さも、春も、流れる水も、
露も、みなそれを聞いた;
ゆっくりと彼らは背を向け、ユピテルの
玉座の前で涙を流した!
ポート・フォリオ、I-40、1806年1月25日、フィラデルフィア。

木製の脚。[α]。
ヘルヴェティアの物語。
ゾロモン・ゲスナーのドイツ語原作より。

【散文訳】
ポリアンソス、I-192、1806年2月、ボストン。
【S・ゲスナー『木製の脚』、W・フーパー『新しい牧歌』、78ページ】

北方のミューズたちが、次の歌のようにこれ以上甘美に歌うことはめったにない:

歌――ドイツ語原作より。

私が十六の夏を過ごし、
故郷の谷間を彷徨ったこともなく、
私の思いも草木や流れる水に覆われた緑地帯を超えることはなかった。

ある時、見知らぬ若者が現れた;
私は彼を望んだり探したりはしなかった;
彼はどこから来たのか私には分からず、
愛が彼に教えたことを語った。

彼の髪は優雅な巻き毛となって揺れ、
それを見る者は皆魅了された、
そして彼の美しい肩にかかり、
そこでは気まぐれなそよ風がそれを揺らした。

彼の青みがかった瞳は
常に優しく訴えかけてくるようで、
そんなにも澄んで青い瞳は、

Page 91

乙女の破滅のために輝くことはなかった。
彼の顔は美しく、頬は赤く、
常に赤みが残っていた。
彼の言葉はすべて巧みに語られ、
私の知識をはるかに超えていた。

どこへ行っても、その若者は近くにいて、
その眼差しは優しい悲しみを表していた。
「可愛い乙女よ」と彼は言い、見つめてため息をつき、
まるで心が壊れそうな様子だった。

ある時、彼がうつむいているのを見て、
私はその意味を尋ねたかった。
すると彼は私の首に腕を回し、
優しい涙で自分の悲しみを語ってくれた。

こんな自由な態度は今まで一度もなく、
今はもう迷惑にはならなかった。
恥ずかしさで頬が赤くなり、
私は目を下に向け続けた。

私は何も言わず、彼は私の表情を読み取り、
まるで怒っているかのようだった。
いや、一言も発せずに去っていった。
ああ、彼が戻ってきてくれれば…。
ポート・フォリオ、I-189、1806年3月29日、フィラデルフィア。

牧歌詩。ゲスナーの『新しい牧歌集』より。

ゼフィルス。[β]
【散文訳】
ウィークリー・ヴィジタント、I-158、1806年5月17日、セーラム。
[S.ゲスナー、『Die Zephyre』。W.フーパー、『New Idylles』、16ページ。]

Page 92

ゲスナーの『新しい牧歌集』より。
断頭刑。
[散文訳]
『ウィークリー・ヴィジタント』I-159、1806年5月17日、セーラム。
[S.ゲスナー『ディー・ネルケ』、W.フーパー『新しい牧歌集』、7ページ]

名前不明。
クロップシュトックが将来の恋人に宛てて書いた頌歌を模倣したもの。『希望の喜び』の著者、トーマス・キャンベル氏作。
『イブニング・ファイア-サイド』または『文学雑録』II-165、1806年5月24日、フィラデルフィア。
[F. G.クロップシュトック『ディー・キュンフティーゲ・ゲリーベット』。上記の模倣作品は、1803年8月30日付の新聞『ニューポート・マーキュリー』第2160号に初めて掲載された、ニューポート]

フラウラー――一首。
オペラ『ディー・ツァウバーローテ』にあるドイツの曲を改変したもの。

私はぞんざいに口笛を吹く若者、
空のツグミの翼で時を過ごす。
この世界中、十マイル四方において、
これほど有名なフラウラーはいない!
ああ、私のように網を広げられる者は誰か?
あるいは、楽しげなフラゲオレットを奏でられる者は?

ではなぜ――なぜ私は嘆かねばならないのか?
すべての渡り鳥は私のものなのだから。
谷間のウグイスやメジロ、
静かな夜に鳴くナイチンゲール、
キジバトやウグイス、そしてツグミも、
私が呼べばみな従うのだ。
ああ、もし巧妙な罠を仕掛けて、
恥ずかしがり屋で愛らしい乙女たちを捕らえることができれば、
キューピッドの繊細な網の中で、
美しい少女たちはみな私のものになるだろう!

Page 93

すべてが私のものだった頃――他の者たちの中から、
私は最も気に入った娘を選んだであろう。
もし私の愛する人が優しく、
微笑み、私にキスをしてくれるなら、
彼女と共に結婚の絆を結び、
私の貧しい寝床を処女の檻とし、
この儚い人生を愛し合って過ごすのだ――
まるでロビン・レッドブレストとその妻のように!

Mo. Anthology and Boston Rev., III-591, 1806年11月、ボストン。
[E.シッカネーダー『魔笛』。モーツァルト作の2幕からなるオペラ。詩はLudwig Gieseckeに基づきE.シッカネーダーが作った。ジェームズ・モンゴメリー『スイスの放浪者とその他の詩』、ロンドン、1806年。アメリカ初版はロンドン第2版からの翻訳、ニューヨーク、1807年、93ページ。]

追跡
『Port Folio』第3号において、我々はビュルガーの次のバラードを非常にユーモラスにパロディ化したものを掲載した。ドイツ語の批評家たちによれば、原作は極めて美しいものだという。その優れた点はかつてイングランドでも高く評価され、多くの翻訳者たちがすぐに世間の好意を得ようと競い合った。我々が思うに、サー・ウォルター・スコット氏によるこの翻訳は、本誌に掲載されるにふさわしいものである。

【以下はスコット氏による翻訳です。】
Port Folio, III-100, 1807年2月14日、フィラデルフィア。
【また『Weekly Mag.』II-413、1798年7月28日、フィラデルフィアにも掲載されている。】

以下の魅力的な歌は、ハーバート氏によってドイツ語から翻訳されたものである。

「おお、東の太陽よ、幸運の光よ!
おお、新たに昇る昼の球よ!
見よ、木々に覆われた高みの向こうから、
あなたの輝く光線が放たれる。
川面でそれがきらめき、
露の滴の上でも光っている!
ああ、甘美な喜びの光が
その純粋な光線とあなたの光線を混ぜ合わせてくれますように!」

Page 94

今、ゼフィルスたちは、戯れるように翼を振りながら、
その瑞々しい巣を離れる。
春の甘美な香りを周囲に撒き散らしながら、
眠っている仲間たちを目覚めさせるのだ。
柔らかな眠りと、それに伴うあらゆる軽やかな姿は、
夜明けと共に飛び去っていく。
ああ、小さな愛の使者たちよ、どうか彼らがクロエの胸の上で遊べますように!
ゼフィルスたちよ、急ぎなさい。すべての花から最も甘い香りを集め、
それをクロエの部屋へ運んでください。もうすぐ彼女が目覚めるのですから!
そして、彼女の香り高いベッドの周りを舞いながら、
そよ風と共に私の愛しい人を呼び寄せてください。
彼女の優雅な髪の周りを戯れ、その金色の髪に香りを与えてください!
そして、優しく彼女の耳元で囁いてください――太陽が昇る前に、
ここの静かな泉のそばで、私がため息と共に彼女の名前を呼んだということを。

『オブザーバー』、I-352、1807年5月30日、バルト。

『選集詩集』

『ハラーの詩の翻詩』
ヘンリー・ジェームズ・パイ著、P.L.

Page 95

誰の歓声が、この孤独な牧草地を洗い流すのか。

ああ、天よ!いつになったら再び私の目は、
かつて私の人生の春が過ぎ去った場所を見ることができるのか。
そこでは、流れる小川の音に応えるように、
シルヴィアや恋人たちが私の素朴な歌を聴いてくれたのに。
ゼフィルスの香り高い風が優しく吹き、
私の思い悩む心に心地よい悲しみをもたらしてくれたのに。
悩みやその恐ろしい影響は遠く離れていた。
静かな森の下で、日差しを感じずに横たわっていたのに。

しかし今は——悲しい逆境よ!——楽しい場所から遠く離れ、
絶え間ない悲しみと戦っている。
悲しみに押しつぶされ、時間だけが過ぎていく。
喜びも安らぎも何も知らない。
自分が生まれた場所から遠く離れ、
両親からも離れ、この世の放浪者となってしまった!
若さの温かい時代には、あらゆる束縛から解放され、
危険な自由の中で自分自身だけに委ねられていた。

ああ、この世の喜びの場所よ!ああ、愛する場所よ!
いつか私の足があなた方の春の野原を歩む日が来るだろう。
ああ、もし慈悲深い天が許してくれるなら、
再びあなた方の静かで平和な場所を訪れることができるだろう!
今でも、想像力の目には、希望が近づいている姿が映っている。
嵐が過ぎ去ると空は青く輝き、
悲しみの後には平穏が訪れる。
新たな喜びの場所よ、繁栄しなさい!
私の恍惚とした視線に向かって、枝を広げてください!
そして、二度と彷徨うことなく、私の疲れた足は、
あなた方の静かな避難所を求めるのです。

今、病気が私の弱った体を蝕み、
知恵や名声への情熱を妨げている。
今、失望に打ちひしがれ、希望も萎えている。

Page 96

放任によって冷え切り、あらゆる楽観的な願いは失われる。
弱き丘の上を厳しい海の波が駆け巡り、
潮ごと破壊を運んでくる。
一方、戦神マルスはその赤き戦車から降りてきて、
激しい手で戦火の炎を煽る。

彼女の優しい助けが慰めを与えてくれる。
すべての人間の悪は速やかに終わりを迎える。
嵐も吹き荒れるたびに収まっていく。
苦しみが過ぎ去れば、安らぎの喜びは増す。
苦悩の重圧を感じたことのない者は、
喜びの激しい感覚も知らないのだ。
苦悩を速い翼で運ぶ時よ、
私の息切れする心を幸福へと導いてほしい。
私は故郷の丘で、
清らかな風の影響を受けることができるだろう。
『オブザーバー』II-95、1807年8月8日、バルト。
[アルブレヒト・フォン・ハラー『故郷への憧れ』より]

詩的描写を愛するすべての人々に今やよく知られているウォルター・スコット氏は、最近一首のバラードを発表しました。この恐ろしいバラードの冒頭の明るさと結末の厳粛さとの対比は、『オトランント城』や『森のロマンス』を好む人々の心を必ず動かすでしょう。

フレデリックとアリス
この物語は、ゲーテの『クラウディーナ・フォン・ヴィラ・ベッラ』に登場する一節を翻訳したのではなく、模倣したものです。そこでは盗賊団の一員が家族の注意を引くために歌を歌い、仲間たちが城に侵入します。この物語が少しでも価値を持つのは、私の友人ルイス氏のおかげです。彼には非常に未完成な状態で送られましたが、彼はそれを大幅に改善した上で自身の著書『不思議な物語集』に掲載しました。

[詩が続く]
『ポート・フォリオ』IV-134、1807年8月29日、フィラ。
[ゲーテ『クラウディーナ・フォン・ヴィラ・ベッラ』第2幕。「ルガンティーノ」(カルロス・フォン・カステルヴェッキオ)の歌。M・G・ルイス『不思議な物語集』]

青い椅子の寓話
ビュルガーのドイツ語作品より。

Page 97

『Charms of Lit.』、1808年、トレントン、103ページ。
【また『Phila. Minerva』第2巻、1796年12月17日号、フィラデルフィアにも掲載】

『木製の脚』[β]。
スイスの牧歌。
ゲスナー著。

【散文訳】
『Charms of Lit.』、1808年、トレントン、401ページ。
【S・ゲスナー著『Das hölzerne Bein』】

ゲスナーのドイツ語原作より。

おお、朝よ、その昇る光線よ、
山の頂を光で照らし、
谷間を流れる小川の中で輝き、きらめく!

喜びと健康、そして楽しみが、
あなたの歩みを待ち受けている。
夜通し花々の中で眠っていた西風は、
新たな力を得て羽ばたき、
温かい寝床から飛び立つ。
かつて人間の疲れた目の周りを舞っていた夢も、今は消え去った。

急げ、風よ、空を駆けて、
すべての花から甘い香りを運んできてください。
そして、あのバラ色の花房で眠っている私の恋人の周りで翼を振ってください。

彼女の唇や頬の鮮やかな色を彩り、
彼女の胸を揺らしてください。
そして、眠りの甘い露を追い払い、
優しく安眠の束縛を解き放ってください。

Page 98

おお、彼女の耳元で囁け、
かつて明るい朝が空を彩った時、
これらの小川は私が涙を流すのを見て、
私が彼女のために嘆きを漏らすのを聞いていたのだ!
『レディーズ・ウィークリー・ミスク』第VII巻-112号、1808年6月11日、ニューヨーク。
[S・ゲスナー作、『モルゲンリート』]

朝の歌。
(モルゲンリート)ゲスナーのドイツ語作品より。

ようこそ、早朝の光よ!
ようこそ、幼き日よ!
木々に覆われた山々の上を越えて、
その光が差し込むのを見よ!
今、せせらぎの上を照らし、
一輪一輪の花から露を吸い取り、
今や輝かしく喜ばしい光で
世界を新たに目覚めさせる。
まずそよ風が、眠っている花々の上で、
自らの居場所を離れて遊び始め、
数え切れないほどのため息と共に花々に息を吹きかけ、
昼の香りを運ぶ。
今や彼女の支配が終わり、
あらゆる幻影が消え去る;
クロエの頬はもはや青ざめず、
キューピッドたちがその周りに現れる。
急げ、そよ風よ、バラから
その最も美しい花々を運んでこい!
急げ、クロエが今休息している場所へ、
彼女を墓から目覚めさせよ!
最も美しい人の寝床へ行き、
彼女の枕の周りで戯れ、
彼女の美しい唇や胸の上に、
最も優しい波を浴びせよ!
彼女はそよ風の囁きによって目覚め、
朝の夢から覚める;
その間、小川は谷を流れていく。

Page 99

初めて彼女の名を呼んだ。
エメラルド、女性名、I-562、1808年9月10日、ボストン。
[S・ゲスナー作、『モルゲンリート』より]

シェラーの「忘れるな」の翻訳
(ドイツ語からの翻訳)

我が愛しい人よ、ああ、私の心は
悲しみに満ちて泣いている。
広大な世界を巡るため、今、あなたは私のもとを去るが、
どうかいつも私のことを思い出してください。「忘れないでください。」

もし美と愛の輪の中で生き、
どこかの可憐な乙女を愛する運命にあるなら、
ああ!その時は私の魂があなたの揺れ動く心を戒め、
優しく囁きます。「忘れないでください。」

もし不幸な運命によってあなたが私から離れてしまうなら、
私の悲しみはいかに深いものになることか。
悲しみの暗い道を永遠にさまよい続け、
もう二度と喜びに微笑むことはないでしょう。「忘れないでください。」

もし人生の若々しい花がまだ咲き誇るうちに、
あなたやこの世界を離れる運命にあるなら、
私の胸から漏れ出る最後のため息はあなたのものです。
その時は、私がどれほどあなたを愛しているかを思ってください。「ああ!忘れないでください。」

たとえ今は別れても、天国で再会できるでしょう。
人生の悲しい運命から解放されて。
喜びに満ちて、愛し合って再会できるのです。
その時はもう、「ああ!忘れないでください」と言う必要はありません。

Z.
グリーナー、I-325、1809年3月、ランカスター(ペンシルベニア州)。

Page 100

ドイツ語からの翻訳。

ヴァン・ヴァンダー・ホルダークロゲスの預言的な韻文作品を読んだことがある者なら、必ずや3697ページにある詩を覚えているだろう。以下はその詩の翻訳であり、冒頭は次のようになっている。
—
Vrom Grouter gruder grout gropstock, Zordur zoop, など。

暗く悲しげなベエルゼブブは、
その手下たちや悪魔たちに囲まれて座っていた。
その時、地獄の外側の門を叩く雷のような音が
門に対して恐ろしく大きな響きを放ち、
エレボス全体がその音に反響した。

若い悪魔たちはすぐに門口へ飛んで行き、
長く暗い通路を開けた。
すると、角の生えた怪物が彼らの目の前に現れた。
その姿はひどく痩せており、色も青白く、
悪魔たちは皆震え上がり、驚愕した。

その目は眼窩の中で腐り果てて緑色になっており、
鼻は突き出て幅広かった。
その体にはほこりっぽいコートがまとわれ、
頭には三つ角の道具を持ち、
両側には二冊の本を抱えていた。

彼の息遣いや言葉はあまりにも汚らわしく、
歯もとうに腐ってなくなっていた。
そして今、彼は悪魔たちに合図を送り、
主人を見せるように命じた。悪魔たちは従い、
ベエルゼブブが横たわっている場所へ彼を連れて行った。

怪物が入ってくると、年老いたベエルゼブブは立ち上がり、
一瞬恐怖に震えた。
なぜなら、二人は見た目がそっくりで親子のように見えたからだ。
ただ一方は足が完全で肌の色が明るく、
もう一方は頭に角があった。

Page 101

「お前はどこから来たのだ?」とベルゼブブが言った。「見知らぬ者よ、名を告げよ。もしサタンでさえ正しく予言できるのなら、お前はきっと有名な首切りの英雄に違いない。お前ほど地獄めいた姿をした霊は、これまでこの地に現れたことがないのだ。」

「私は誰の首も切っていない」とその細長いゴブリンは、空虚で甲高い声で答えた。「私は欺き、いじめ、詐欺を働き、嘘をついてきた。騒乱や偽りをあちこちに広め、悪事を働くことに終わりはなかった。」

「私の名は————」と彼が言い終わるやいなや、ベルゼブブは笑みを浮かべて立ち上がった。彼はその汚らわしい怪物を抱きしめ、怪物もまた再会を喜んだ。そして二人は大声で叫び、地獄中にその音を響かせた。
Ordeal, I-157, 1809年3月11日、ボストン。

THE FOWLER.
歌。オペラ『Dizauberlote』のドイツ語のメロディーを改変したもの。Gleaner, I-374, 1809年4月、ランカスター(ペンシルベニア州)。
[Mo. AnthologyおよびBoston Rev., III-591, 1806年11月、ボストンにも掲載。]

TO C H L OE.
ゲスナーのドイツ語作品より。
[散文訳。]
Visitor, I-154, 1809年11月4日、リッチモンド。
[S. Gessner, An Chloen.]

SONG.
ヤコビのドイツ語作品より。
Boston Mirror, II-88, 1809年12月30日、ボストン。
[Companion and Weekly Misc., I-104, 1805年1月26日、バルトに掲載されたヤコビの「A Sonnet」と同じもの。]

Page 102

以下に「THE WILD HUNTER」の新たな翻訳を掲載する。第一に、他のどの翻訳よりも優れているからであり、第二に、将来の号でこのドイツ人詩人の傑作に特別に光を当てるつもりだからである。

THE WILD HUNTER

男爵は力強くホルンを吹き鳴らす。
見よ、騎馬や徒歩の貴族たちが
耳をつんざく騒音を立てながら
平原を駆け抜けてくる。

荒野を越え、野原を越え、
群れは速く駆け抜けていく。
炎のような色の馬もまた
彼らの後を追っている。

今や安息日の聖なる夜明けが
紫色の光を放ち、
各聖なる神殿のドームも
その光を反射している。

澄んだ鐘の音が響き渡り、
多くの声が天に向かって
賛美と祈りの歌を上げている。

彼らは絶え間なく急ぎ足で進み続け、
叫び声を上げながら走っていく。
見よ!左右に二人の奇妙な騎士が
速い馬に乗っている。

左右の騎士は誰だったのか?
それは私にも分かる。
しかし左右の騎士が誰だったのか?
それは決して言えない。

右側の騎士は、美しく優雅な容姿をしていた。

Page 103

乳白色の駿馬に乗り、
春の空のように穏やかなその顔は
天の輝きに照らされていた。

左側の蹴り棒は炎のように赤く、
炉の炎のごとく燃えていた。
彼は怒りに満ちて立ち尽くし、その目からは
死のような閃光が放たれた。

「我々の高貴な遊びへようこそ。」
男爵は彼らを丁重に迎えた。
「あなた方が憂いを忘れることを
良しとしているのはよくわかっている。」

「狩りに匹敵する喜びはなく、
この世でも天国でも与えられない。」
彼はそう言い、帽子を振りながら
先頭に立って走り出した。

「戻れ!」と、もっと穏やかな騎手が叫んだ。
「角や猟犬から離れろ!
鐘の音も聖歌の声も聞こえないのか?
それらの神聖な音が混ざり合っているのに。」

「それらの音が狩りの騒音を覆い隠す。
おお、今日は狩りをしないでくれ。
悪魔の助言によって
あなたの内なる天使の力を失わせてはならない。」

「狩りを続けろ、続けろ」と仲間が叫んだ。
「あの老人の呪いなど気にするな。
あの騒がしい聖歌や鐘の音など、
我々にとって何の意味があるというのか?」

「狩りがあなたをより楽しませるのなら、
私から学んでほしい。
我々の遊びがいかに勇敢で高貴であり、
偏見や恐怖から解放されているかを。」

Page 104

「よく言った!本当によく言った!お前の中には
英雄の炎が燃えている。
このような愚かな行為では我々は動じぬ、
神官も聖歌隊も気にしない。」

「そしてお前も、信じてくれ、聖人のような愚か者よ、
その偏狭な怒りは無駄だ。
祈りや数珠から、どんな喜びが
狩人たちに得られるというのか?」

彼らは依然として急ぎ足で進み続ける、
谷や丘、平野を越えて。
常に男爵のそばで、
二人の騎士が付き従っている。

見よ、息を切らしながら、見よ、乳白色の鹿が
あの茨の茂みから飛び出してくる。
「さあ、馬も足も速く動け、
角笛ももっと大きく吹け!」

見よ、狩人が倒れる!見よ、死の苦痛で
彼の体が歪んでいく!
「そこに横たわって腐れろ。卑劣な者の死など
我々の高貴な遊びを台無しにするものではない。」

鹿は素早く跳ね回り、
広い土地を駆け抜ける。
今度はもっと近くで、
実りつつある稲が揺れる場所を探す。

見よ、その畑の貧しい持ち主が
涙目で近づいてくる。
「お願いです、お慈悲を、ご領主様方!」
しかし、彼の叫びは虚しい。

「この貧しい者が苦労して稼いだわずかなものを
どうかお許しください!」
今度は、もっと穏やかな態度の騎士が警告する。

Page 105

男爵は戻るべきだ。

しかし、その厳格な仲間を説得することはできず、
彼らは最も残酷な行為に喜びを感じる。
男爵の心を動かすのは彼らであり、
慈悲の叫びなど顧みない。

「去れ!」と権威ある貴族は叫ぶ。
「去れ、我々を自由にしてくれ!
出て行け!さもなくば地獄の力を以て、
お前も追い詰められるぞ!」

「さあ、連中よ!この悪党に証明させよう、
私の脅しは虚しくなかったと:
私の従者たち全員の鞭で、
彼の哀れな顔を激しく打て!」

言われ、実行される。男爵が先頭に立ち、素早く塀を越える。
犬も馬も人間も続き、
空は騒音で満たされる。

彼らの叫び声で空が鳴り響き、
人間も馬も犬も、
容赦なく成熟した耳を踏み潰し、
煙る大地を駆け巡る。

荒野や野原、丘や谷を越え、
近づく叫び声に怯えながら、
追い続けられるもなお逃げ続け、
運命の犠牲者は逃げる。

今、緑豊かな平原で草を食む家畜の群れの中で、
彼は誰の目にも見つからず、
安全な隠れ場所を見つけられるかと望む。

だが無駄だ。今や野蛮な一団が…

Page 106

彼の後を追いかけるのは、飢えた獣たちだ。
見よ、男爵の足元にひれ伏しているのは、
恐怖に駆られた牧人である。

自分が守っている者たちの安全を案じ、
彼の声は震える。
「どうかお許しください」と彼は叫ぶ。「これら無害な獣たちを、
孤児に災いをもたらさないでください。」

「考えてみてください。あなたの怒りによって、
孤独な未亡人のすべてが破壊されてしまいます!」
そう言った。優しい見知らぬ人は、
思いやりの声を強く伝えようと努めた。

しかし、彼の怒りっぽい兄弟はそうは聞かず、
むしろ残酷な行為を喜ぶ。
男爵の心を動かすのは彼であり、
慈悲の声など気にも留めない。

「去れ、厚かましい犬め!」と彼は叫ぶ。
「お前とその子供たちが獣に変わるのを見られれば、
私の心の痛みも和らぐだろう。」

「それなら、天国の門まででも、
誰が私にノーと言えるだろう!
喜んでその哀れな子供たちを狩るぞ。
さあ、仲間たちよ、遅れるな!」

見よ、至る所で殺戮の群れが
多くの致命的な傷を与えている。
虐殺される者たちの中で、見よ、鹿が
血を流しながら地面に倒れている。

それでも彼は、最後の力を振り絞り、
よろめきながら飛び続ける。
彼の銀色の体には、汗と血が混じり合って流れ落ちている。

Page 107

そして今、彼は最後の隠れ家を求めている。
暗く静まり返った谷の奥深く、
木々に囲まれた場所に、
隠者の聖なる庵がある。

ここでさえも、狂おしいほど熱心な一団が
不敬な怒りを抱えて急ぎ進むが、
見よ!説得の言葉を口にした
敬虔な賢者が現れる。

「お前、追跡をやめよ!このようにして
宗教の自由な住処を侵すな。
知れ、苦しむ者の嘆き声は
すでに彼の神のもとに届いているのだ。」

「彼らは天の慈悲の座に向かって叫び、
お前に復讐を願っている。
おお、悔い改めて立ち返れ、
復讐の矢が放たれる前に。」

再び、宗教の名のもとに
その優しき異邦人は懇願する。
しかしまた、悲しいことに、彼の意地悪な仲間が
喜んで犠牲者を連れて行く。

「進め!」と硬直した罪人は叫ぶ。
「お前が我々の遊びを邪魔するのか?
いや!私は大胆にも追跡を続ける、
天の最も奥深い場所まで。」

「お前の敬虔な怒りなど気にかけぬ。
私はどんな人間も恐れない。
たとえ恐ろしい力を持つ神であっても、
私の決意を止めることはできない。」

彼は鞭を振り、角笛を吹き、
部下たちを呼び集める。
見よ!馬も犬も、賢者も庵も。

Page 108

すべてが彼の視界から消え去った。

すべて、まったくなくなってしまった!――熱心な彼の目には、
何一つとして見つけることができない。
そして死のように静まり返った沈黙が、
追跡の騒音を鎮めている。

彼は無駄に馬の脇腹を蹴りつけるが、
前にも後ろにも進まない。
角笛を吹き、大声で呼びかけるが、
返事は一切聞こえない。

今や最も深い夜に閉じ込められ、
静寂な墓のように暗い中で、
彼は荒れ狂う嵐の轟きを聞く――
遠くの波が轟くように。

嵐はますます激しく、
乱れた空気の中を吠え回る。
高みからの万の雷鳴が、
裁きの声を運んでくる。

神々や人間に呪われ、
脅威や祈りにも動じず、
創造主でも被造物でもないお前の狂暴な怒りは、
何もかもを容赦しない。

「創造の主が、その被造物の嘆きを聞いたと思うな。
今この瞬間も、復讐の炎が、
彼の恐るべき玉座の高みで燃え盛っている。」

「さあ、お前の運命を聞け!これから永遠に、
恐ろしい教訓として残され、
悪魔の地獄の獣たちに追い立てられ、
お前の狂った行動を続けるのだ。」

声は止み、硫黄色の閃光が……

Page 109

両極から素早く矢が放たれ、
森全体が揺れ動き、冷たい恐怖が
震える悪党の魂を襲った。

再び嵐が轟き、
再び雷が光り、
手足も神経も
恐怖で凍りついてしまう。

彼は地面から現れる巨人の黒ずんだ腕を見る。
悪魔が自分の頭を掴み、乱暴にひねるのを感じる。

今やあらゆる方向から、
激しい炎の洪水が流れ込む。
押し寄せる波ごとに、
地獄の子らが大声で吠える。

光は暗く恐ろしく輝き、
時に赤く、時に緑色に、時に青色に変わる。
一方、その地獄の一団は
運命づけられた獲物を追い続ける。

彼は必死に叫んでも無駄で、
逃げようとしても無駄だ。
背後では依然として地獄から来た連中が
彼を苦しめ続ける。

昼間は、地球の表面から何千フィートも下で、
夜間は、荒れ狂う空を駆け抜けながら、
彼らは終わりのない追跡を続ける。

目をそらそうとしても無駄で、
恐怖に駆られても無駄だ。
その苦痛の光景からは、
決して逃れることはできない。

Page 110

依然として彼は、その地獄の犬たちが
自分の足元をうろついているのを見なければならない。
依然として彼は、復讐を誓う災厄が
自分の背後に立っているのを見なければならない。

これこそが野性の男爵の狩りだ。
多くの村の若者たちや、
多くの狩人たち(彼らが口に出せるかどうか)も、
この恐ろしい真実を証言できるだろう。

というのも、荒野の中でしばしば、
彼らはあの悪魔的な群れの声を聞くのだ。
時には甲高い叫び声、時には大声の罵声を上げながら、
空を駆け抜けてくるのだ。

どんな力も、その地獄の犬たちを止めることはできず、
またその火の海を消すこともできない。
神の恐るべき最期の日が来るまでは、
世界は滅び続けるのだ!

『Rambler’s Mag.』I-137、[1809]、ニューヨーク。
[G. A. ブルガー『Der wilde Jäger』より]

脚注:
[33] 1807年1月17日付『Port Folio』III-44所収のブルガーの「Earl Walter」をパロディ化したもの。165ページ参照。
[34] これらの書物が何であったかは判明していない。ドイツ語の短い注記によれば、それらの題名は『Dulder Soudth』だったようだ。

Page 111

III.

オランダ語、デンマーク語、ノルウェー語、アイスランド語の詩の翻訳、
およびドイツ系諸国を題材とした独自の詩。

アノポリス・ロイヤルからの報告によると、昨年の冬にはそこの将校や貴婦人たちの娯楽のために戯曲が上演され、その際に作られて朗読されたプロローグの一節が以下の通りであった。

寛大な女王の苦悩を和らげるため、
傲慢で野心的な権力者たちに抑圧されている彼女のために、
我らが王は最も効果的な方法を探し求め、
一部の者たちには平和をもたらし、そこで嵐を鎮める。
そして、より抵抗する者たちに対しては、
彼は自らのブリトン人たちをドイツの戦場へと導く。
そこで、侮辱的な敵は自分の損失を被り、
ブリトン人と土地を争うことの無意味さを知るのだ。
我々は依然としてこの寒い地で平和を享受し、
無害な娯楽によって日々を過ごすのである、等々。
『Amer. Mag. and Hist. Chron.』、I-348、1744年4月、ボストン。

『冬』、詩。
同著者による[すなわち、アナンディウス]。

第十二節:

彼らは三重に幸せだ!しかしなぜ、我が霊感は、
こんな田園的な娯楽に夢中になるのか?
人でごった返す都市が、
氷や雪に覆われた野原よりも多くの喜びを与えるというのか?

Page 112

ここでは人々は機知に富み、上品な服装をしており、
あらゆる形で芸術が創り出す美しい姿が愛でられている――
心地よいお世辞や偽りの言葉、
そして妖精たちが憧れるあらゆるものがここにある。
流行が支配し、様式が優勢であり、
十二ヶ月も経つと再び古くなってしまう。
このように絶えず変化し続けるが、
それでも常に人々を喜ばせる――実に不思議なことだ!
またここでは、ロンドンやリシュリューが何をしているか、
あらゆる秘密の作戦まで、新しいことがすべて語られる。
さらには、皇帝軍を打ち破った偉大なフレデリックの英雄的な功績も。
そうした話題が暇な時間を楽しく過ごさせてくれる。
他に私たちが興味を持つべきものは何もない。
『Amer. Mag. and Mo. Chron.』I-238、1758年2月、フィラデルフィア。

発行者の皆様へ、

紳士の皆様、
父親となった光栄により、私はこの詩を世に送り出したいと思います。これは私自身の、真実で正直で、正当に生まれた作品です。ですから、あなた方のような能力と高潔な人格を持つ紳士方にこの詩を託す以外、より良い方法はないと思います。もし私がこれを抱え続けるなら、それは闇の中で消え去ってしまうでしょう。
フィラデルフィア、1758年2月25日。フィランドレイア。

プロイセン国王が1757年11月5日にフランスおよび帝国軍に対して収めた完全な勝利について
ピンダー風の頌歌

「彼だ!彼だ!遠くから彼の声が聞こえる、
戦神のように轟く声だ!
恐ろしい軍勢を率いて、ロスバッハの平原へ、
神のような英雄が進んでくる!
聞け!太鼓の轟音がする!
彼が来る、彼が来る!」

Page 113

見よ、プロイセンの恐るべき王がここにいる!
彼が語り始めた。皆、注意深く立つのだ!
その有名な声を、勇敢な戦士たちは聞き、
前後に広げた翼を折り曲げて、
彼を半分包み込んだ。
戦の厳しさを帯びつつも穏やかで、
魅力的な優雅さと威厳に満ちた姿――
それがその強大な君主の姿だった。
戦意に燃えた胸から、彼の唇からは力強い言葉が流れ出た――
「我が勇敢な兵士たち、我が親愛で信頼できる友よ、
ついにその時が来た。我々にとって大切なものすべてが、
抜かれた剣や輝く槍にかかっているのだ。
お前たちは未だ生まれていないプロテスタントのために戦うのだ。お前たちの大義は正しく、
これまで多くの血を流しながらもそれを守り続けてきた。
そして、証してほしい。これまでお前たちの君主は、
この栄光ある戦いの中であらゆる危険を共にしてきたのだ。
決して、嫉妬深い者たちの口から、
お前たちの指導者が恐怖や寒さを恐れて逃げ出し、
その重荷を勇敢な老兵たちに任せたなどということは言われないだろう。
おお、違う。我が忠実な部下たちよ!
フリードリヒもお前たちと共にいる。
自由のために、自らの心から流れ出る血を惜しみなく与える準備ができているのだ――」
彼がそう語ると、雷鳴のような大声の歓呼が響き渡り、
近づいてくる敵を畏怖させた。
その狂ったような歓声が、広大な平原全体に響き渡り、
野性的な歓声が飛び交った。
怒りに満ちた各戦士は、息を切らしながら戦いに臨む準備をしている。
そして今、激しい喜びの声が……

Page 114

再び高く広がる空へと響き渡る;
粗野な岩々もその音に反響する——
戦のトランペットの厳かな音色——
「破壊せよ!破壊せよ!破壊せよ!」
山の側面から轟き出す水のように、
その激しい流れが岩を打ち砕く;
そして荒れ狂う勢いで平野を駆け抜け、
羊飼いの小屋や羊たちを連れ去り、
驚愕に満ちた深淵へと運んでいく。
そうして各部隊は、
剣を手に、
敵に襲いかかった;
雷のような音、閃光、激しい衝突——
腕と腕がぶつかり合う——
栄光の力が、
彼らの胸を戦意に満たした。
ああ、なんと悲惨な光景が広がっていることか。
戦士たちが息を引き取る時、
死のうめき声が耳に届き、
彼らは栄光ある死を迎える。
プロイセン軍の怒りに敵は混乱し、
者はよろめき、倒れ、殺され、
者は血と傷で覆われ、
平野に横たわり、
驚きと混乱に包まれ、
恐怖に怯え、半死半生の状態で、
彼らは敗れて逃げ去った。
聞け!聞け!トランペットの音が、
勝利の叫びと共に四方に広がる;
勝利が谷間を満たし、
勝利が丘陵を揺らす!
空を轟く雷鳴の中で……
翼を持つ稲妻が飛ぶのを見たことがあるだろう;
思考の速さで、閃光が一瞬で現れる。

Page 115

果てしなく広大な空間を駆け抜け――
敏捷な戦士たちが飛翔し、
敵を打ち破るとき、
彼らはこの叫び声で敵を追い詰めた。
「追え!追え!追え!」
倒れた英雄たちの死体の上を、
強大な勝者たちは馬で進み、
平原に散らばった鎧が血で真っ赤に染まっていた。
今、彼は敵の背後で轟音を立て、
破壊と死と恐怖をもたらす。
やがて昼も去り、暗い夜が訪れ、
濃い闇の中で、恐ろしい仲間たちが助けに現れ、
敗者を勝者の視線から守るのだ!
『アメリカン・マガジン・アンド・モントランス・クロニクル』、I-240、1758年2月、フィラデルフィア。

プロイセン王によって勝利をもたらされたオデオンに捧ぐ詩
同著者による[つまりアナンディウスによる]。

I.
おお、比類なき君主よ!名声高き王子よ!
あなたの頭は永遠に月桂樹で飾られるでしょう。
それはあなたが勝利を収めたからです!
自由のために、あなたは長い間戦い続けました。
戦場の血塗られた大地の上で、平和が取り戻されるように。

II.
オーストリアと野心に満ちたガリアが、
王国を支配しようとした時、
見よ、プロイセンの強大な王子よ!
警戒心に満ちた目と戦闘的な手で、
彼らを恐怖に震えさせ、立ち尽くさせるのです。
それは天意によって起こったのです。

Page 116

III.
ライオンが頭をもたげるように、
広大な森は恐怖で満たされ、
すべての生き物は自分の巣穴へと逃げ込む。
あるいは、巨大なレヴィアタンが
その姿を現すとき、
海全体が恐怖に震える。

IV.
トゥーリンゲニアの平野で、
スビーズが彼の前に逃げ出した日のことは、
永遠に記憶されるだろう。
ヒルブルクハウゼンの多数の軍勢も、
プロイセンの勇気には抗えず、
恐怖のあまりほとんど死んでしまった。

V.
彼らは急いで逃げ、夜を祝福した。
夜が彼らを勝者の目から隠し、
彼らの退却を助けてくれたのだ。
フライブルクの城壁の近くでウンシュトルート川を渡り、
エッカースベルクの丘で苦しめられながら、
彼らは自分たちの不幸な運命を嘆いた。

VI.
おお、栄光ある君主よ!おお、勇敢な軍隊よ!
飢えや寒さ、苦労に耐え、
勇敢で不屈の心を持つ者たちよ!
誇り高きオーストリアはあなた方に服従し、
ルイも愛情を持ってプロイセン人を友として迎え入れるだろう。

VII.
最も純粋な金で刻まれるべき、
あなたの言葉は戦いの前に記録されるにふさわしい。
すべての兵士は、祖国の権利を守ることのできる、
偉大なフレデリックの友である。

Page 117

激しい敵が侵攻してくる時。

VIII.
このように偉大で慈悲深い君主に仕え、あらゆる危険の中でもそのそばにいる者が、戦いで後れを取るだろうか?
君主の命が危険にさらされる時、どの臣下がその王を見捨てるだろうか?
恐怖に余地などあるだろうか?

IX.
ヨーロッパはあなたに目を向けています、偉大な君主よ!皆があなたに頼り、
正義の均衡を保っているのです。
どうかこの偉大な目的があなたの努力に報いとなり、
あなたが塵の中で眠る時でさえ、あなたの名声が永遠に続きますように。
フィラデルフィア、1758年2月10日。
『Amer. Mag. and Mo. Chron.』、I-240、1758年2月、フィラデルフィア。

著者がこの詩を私たちに送ってくれたのと同じ理由から、たとえすでに資料が山ほどあるにもかかわらず、今月ここに掲載することにします。イギリス人でありプロテスタントとして、プロイセン王のような輝かしい英雄を称える機会は何でも逃してはならないと考えます。そして、たとえ詩の出来が劣っているとしても、宗教と自由のために彼が成し遂げた高貴でほとんど神聖とも言える業績を模倣する気持ちを少しでも呼び起こすことができれば、私たちの目的は十分に達成されるでしょう。

1757年12月5日、シレジアのノイマルク近郊で、英雄的なプロイセン王が帝国軍に対して収めた壮麗な勝利について。

I.
我がミューズよ!再び竪琴を弾こう。
目覚めよ!目覚めよ!お前の詩的な情熱を!
偉大なフレドリックの功績は、依然としてより豊かな賛美を必要としている。
彼の偉大な行為が詩にインスピレーションを与えよう。

Page 118

そして、あなたの歌も美しくあれ。

II.
かつての偉大なハンニバル、
勇敢なカエサル、大胆なスキピオ――
彼らは戦いに勝ち、歴史のページに高く名を刻んだ!
フレデリックの名もまた、彼らと共に語られるべきだ、
その時代の英雄として!

III.
ロスバッハよ!その平野は勝者のものだ!
そこは悲鳴や絶命のうめき声で満ち、
切り裂かれた四肢や砕け散った骨――
山のように積み重なっていた!
敗れたガリア人たちは今なお、
あの不吉な日を嘆いている。

IV.
そう、フレデリックは新たな征服を目指し、
アレクサンダーのように進軍する、
まるで世界全体を征服しようとするかのように――
恐れを知らぬ君主よ!
あなたが真に偉大な英雄であることは、
あなたの一挙手一投足が証明している。

V.
まずシレジアが救済を求める、
そこでの損失が彼の悲しみを深める;
プロイセン人たちとその指導者は、
ベーヴェルンを助けるため急ぎ進軍し、
やがて彼らは見事な働きを見せた。

VI.
見よ!見よ!神のような人物が前進していく!
経験豊富な兵士たちを率いて戦場へ向かう、
苦労や戦いに慣れた者たちだ。

Page 119

強靭なる戦士たち!
かかる兵士こそが真に君主の友であり、
その指導者を栄光づけるのだ。

VII.
トランペットの音と激しい太鼓の音が彼らの喜びを増す。
強制されてではなく自ら進んで戦い、
勇敢に戦い、
祖国のために全力を尽くす。
戦え!戦え!それが彼らの喜びだ!

VIII.
今、彼らは激しい叫び声と共に戦い、
激しく勇敢に戦い、
ついに敵を打ち破る。
そして大声で叫ぶ――
おお、比類なきプロイセン軍よ!決して諦めるな!
追撃せよ!包囲せよ!破壊せよ!

IX.
恐れ知らずの勝者たちは遠く近くにわたり
敵陣に激しい破壊をもたらし、
敵たちは恐怖に震えて武器を捨てる。
かつて傲慢で厳格だった者たちも、
この戦場を自分たちのものだと思っていたのだ。

X.
見よ、彼らが勝利を収め、
輝かしく旗を振りながら帰還する様を!
道沿いには無数の戦利品が並び、
彼らが戻るとき、足元には不幸な敵たちが
悲しみに暮れている。

XI.
見よ、血で染まった平原を。

Page 120

そして、倒れた者たちの鎧は震えている!
彼らの栄光への夢――ああ、なんと虚しいことか?
息も絶え絶えに横たわり、
時には傷の痛みを訴え、
時には力尽きて死んでいく。

XII.
これが人間の運命、
皇帝や王たちの末路だ。
後ろから死が追いかけてくる、
見るに恐ろしい光景だ!
偉大な教皇やホメロスが歌うようなことは、
私にはあまりにも高すぎる。

XIII.
しかし、かつて大軍を率いていたシャルルと勇敢なダウンは退却している。
今、ブレスラウで彼らは集まり、
自分たちの不幸な運命や悲惨な敗北を嘆いている。

XIV.
プロイセンの指導者は素早く追撃してくる。
彼が近づくと、彼らは恐怖に満たされる。
その恐ろしい力に怯えて、
彼らは逃げ出したのだ!
おお、フレデリックよ!比類なき王子よ、前進せよ。あなたの輝かしい道を歩み続けよ!

XV.
英雄たちは彼に都市を明け渡し、
彼をさらに偉大な英雄と見なす。
彼はすぐに城壁を破壊し、敵を打ち負かしたのだ。
どうか彼が長くプロイセンの王冠を戴き、
傲慢な敵たちを抑え込むことができますように。

Page 121

—アナンディウス
1758年3月11日
『Amer. Mag. and Mo. Chron.』第I巻279ページ、1757年3月号、フィラデルフィア

プロイセン王の頌歌の直訳

I.
おお、神よ!全能なる神よ!
打ち負かせず、知られざる方よ!
万物の創造主であり、父なる方よ。
すべての民族があなたに祈りを捧げ、
野蛮人たちは風の中であなたを崇拝する。
私はどの名前であなたに呼びかければよいのでしょうか?
おお、無限で、全知にして永遠なる霊よ!
あなたの聖なる玉座の前で、私は心から頭を垂れます。

II.
唯一の友たちに見捨てられ、
見知らぬ土地で、
冬が私たちを死に至らしめようとしていた。
四方から怒れる敵たちが、
残酷な武器――剣や火を持って、
まるで生贄を捧げるかのように、
致命的な怒りをもってやって来て、
勝利の叫び声と共に私たちを滅ぼそうと急いだ。

III.
しかし、あなたの鋭い洞察の目には、
強大な軍隊も何の役にも立たない!
私は依然として恐れずに戦いに挑む。
私の盾と槍が私の武器だ。
見よ、両軍が衝突する。
敵たちは背を向け、私たちは彼らを罰するために追いかける。

Page 122

我が兵士たちは皆、勝利を収めている。
まるで戦争そのものを背負っているかのようだ。
最も恐ろしい雷のように……。
そして戦闘の激しさの中で、一つ一つの腕は千本の力を持つのだ。

IV.
では、私の成功は運命のおかげだ。なぜか?
正義が私を助けてくれたのだ。
高みから彼女は目を向け、
争っている両者を見て、
双方の正しさを判断するために手を挙げた。
そして均衡が崩れていることに気づくと、剣を振るったのだ。

プロイセン王は平時において次のように過ごしている。午前5時に起き、7時まで仕事をする。その後着替え、9時まで手紙や請願を処理する。9時から11時までは大臣たちと共にいる。その後は衛兵の訓練のために出かける。12時半に数人の将校たちと一緒に食事をし、1時半になると5時まで休む。その後、誰かが読み聞かせをし、7時になると音楽会が開かれる。9時には才能ある人々が訪れ、30分後に食事をし、11時まで話し合う。その後王は退室し、12時に就寝する。彼は政治家であり、軍人であり、作家であり、音楽家でもある。仕事においては疲れを知らず、体系的にすべてを管理し指導する。非常に倹約家であり、虚飾のない態度を持つ。宮廷の怠け者の役人たちは形式的な称号は与えられるが、実際には給料は支払われない。彼らはほとんどが役人であるにもかかわらずだ。

第三の詩篇の要約――プロイセンの君主に捧ぐ賛歌。

神よ、どうか見下さい!私の叫びをお聞きください!
私の希望はあなたにかかっています。
私は敵に囲まれ、味方もいません。どうか私の盾であり、友となってください。
王たちや君主たちが同盟を結び、あらゆる方向から攻撃してきます。暗い陰謀を企てているのです。しかし、あなたなら彼らを追い返すことができます。長い間、私は彼らの合図や頷きを恐れてきました。

Page 123

密かな団体の中で彼らは叫んだ、
「神には彼を救う力はない。
我々が彼の王国を分け合おう。」
彼らの軍隊の恐ろしい光の中で、
あなたは私に内なる力を与え、
私の腕に戦いの技を教え、
私の指に戦う方法を教えてくださった。
たとえ敵軍が私の陣地を包囲し、
戦争の危機に長けていようとも、
私は静かにあなたの守りの腕の中で休息を取るのだ。
彼らの虚しい誇り言葉を恐れることもない。
たとえ何千もの敵が集まろうとも。
あなたが万軍の神であり、
勝利はあなたのものだから。
おお神よ、起き上がり、私のために嘆願してください。
おお、あなたの力によって私を救ってください。
もし私がかつてあなたの掟を敬ってきたなら、
この重要な時に導いてください!
終わった!——彼らは恐怖に震えている。
私の兵士たちは陣地を守り続けている。
見よ!彼らの戦線は崩れ、
我々が勝者として栄冠を得るのだ!
成功は王たちのものではない。
それは天に属するものだ。
速い者が常に勝つわけでもなく、
強い者が必ずしも戦いに勝つわけでもない。
『ニュー・アメリカン・マガジン』第IV-78号、1758年4月、ニュージャージー州ウッドブリッジ。

ブラウンシュヴァイク公の演説
ハノーファー軍およびヘッセン軍へ

勇敢な兵士たちに向かってブラウンシュヴァイク公はこう語った。
「我々は甘んじてガリア人の支配を受け入れるのか?
おお、苦難や戦争の労苦に耐えてきた勇士たちよ、
恥知らずな鎖を引きずるのか?」

Page 124

「振り返って見よ!敵の一団がどこで
あなた方の財産を奪い、土地を破壊しているか。
娘や妻たちも力ずくで連れ去られ、
傲慢なガリアの息子たちの奴隷となり、獲物とされている!
聞け!力ずくで屈服させられた乙女が、
切ない叫び声で父親の助けを懇願している。
苦しみの中で兄の名を繰り返し呼び、
悪党どもを罰し、自分の名誉を守ろうとしているのだ!
立ち上がれ、ドイツ人たちよ!栄光ある復讐を遂げよ。
宗教も、名誉も、自由も、すべてが危機に瀕しているのだ!」
……「もう十分だ」と彼らは叫んだ。「フェルディナンドが先導するなら、我々もついて行く。」
祖国の不正に怒り、彼らは武器を手に取り、
彼女を救うか、死ぬかの覚悟を決めたのだ。
『ニュー・アメリカン・マガジン』第IV-80号、1758年4月、ニュージャージー州ウッドブリッジ

プロイセン軍によって押収されたフランス製の手袋について

厳しい冬と過酷な気候の中で、
ルイス王は各隊長に手袋を配った。
彼は、部下たちが毛皮の手袋なしでは敵に抵抗できないことを知っていたのだ。
指が寒さでしびれてしまえば、誰が銃やピストルを扱えるだろうか?
一方、プロイセンは戦争において異なる戦略を採用している。
彼らの勇敢な兵士たちは手袋なしで突撃するのだ。
凍えるような寒さにも負けず、素手で戦い、勝利を収めるのだ。
ブルボンよ!もし栄光や勝利が目的なら、
もっと賢明な方法で名声を得るべきだ。
他の手段を使って敵を打ち負かすのだ。
鋭い剣ではなく、柔らかい手袋だけでは決して十分ではない。
もしあなたが彼らの心を温める何かを送ってくれるなら、
彼らの勇気以上にその足元が称賛されるだろう。

Page 125

戦いに頻繁に挑み…飛行による疲れはほとんどなく、
敏捷な足で戦いを制するならば、
必ず成功がもたらされるだろう。
『ニュー・アメリカン・マガジン』第IV-80号、1758年4月、ニュージャージー州ウッドブリッジ

プロイセン王の頌歌
私はあなたを模倣します。

1.
すべての父よ!全能の主よ!
計り知れない存在よ!
異教徒にも聖人にも崇められ、
形は異なれども実は一つ。
永遠の王よ、どのような名前で
あなたに呼びかければよいのでしょう?
ああ、どうすれば感謝の気持ちを表せるのでしょう?
ああ、どうすればあなたを讃える歌を歌えるのでしょう?
しかし、おお、全知にして常に正しい神よ、
どうか、塵の一片としてでも、あなたの御座の前でひれ伏すことを許してください。

2.
至る所で友に見捨てられ、
一人きりで苦難に立ち向かい、
厳しい冬の寒さに耐え、
異国の地で過ごす。
四方から敵が襲い来て、
様々な形をした恐ろしい武器を用意し、
それを我々の運命として与える。
天よ!彼らはどれほど激しく攻撃してくるのか。
勝利を喜ぶが、人間が死ぬために生まれてきたことを忘れている!

3.
しかし、「数では何にもならない」と繰り返し語ってきた方が、
私たちが落胆しないように励ましてくださったのです。

Page 126

しかし立ち上がり、戦い、そして勝利を収めよ。
戦いが始まると敵は退き、
我々の優れた勇気によって、
栄光に満ちた日がもたらされ、
戦利品や名誉で飾られた。
プロイセンの兵士一人ひとりが英雄のように戦い、
百人もの敵を倒し、百もの戦果を上げた。

4.
では、この予期せぬ成功は運命のおかげなのか?
運命は盲目だ、そんなはずはない。
他の理由があるに違いない。
正義、その明るき天の乙女は、
激しい戦いを見守り、
その神聖な光を空に浮かべていた。
オーストリア側の力は押し下げられ、我々の力によって制圧された。
正義はこれを認め、すぐにその地を我々のものと定めた。
『ニュー・アメリカン・マガジン』第V-119号、1758年5月、ニュージャージー州ウッドブリッジ。

戦争の緩和――あるいは英雄の哲学など。プロイセン王がブレスラウに滞在していた際に著したもの。

愛は希望によって支えられ、
熱意は得られる報酬によって維持される。
権力においては権威が始まり、
弱さは思慮深さによって力を得る。
誠実さこそが信用の富であり、
節制こそが健康の支えである。
知恵は穏やかな満足から生まれ、
満足は能力によってもたらされる。
能力というのは、誰の目にも明らかなように、
良い経済観念から生まれるのである。

Page 127

恋人の情熱をかき立てるには、
魅力以上に優しさが必要だ。
作家もまた、虚しい技巧よりも真実から
より多くを得ることができる。
芸術は美徳ほどには、
幸福と人生を調和させる力を持たない。
幸福を得たい者は、
知恵よりも思慮深さを重んじ、
富よりも健康を、
財産よりも穏やかな生活を大切にすべきだ。
借りるものも蓄えるものもなく、
狭い土地と質素な食事、
誠実で優しい愛する人――
これらこそが私の心にとっての祝福だ。
冬が来れば、私は
広すぎない部屋と十分な火、
ほどよい杯と豊かなワイン、
食事の際には少ない料理だけを望む。
そう、私の冷静な思考はこう告げている――
人は決して過剰なものを持つべきではない。
過剰……なんと健全な考えか。
この三つの短い言葉だけで十分だ!
休息が過ぎれば心は鈍る。
争いが過ぎれば人々は混乱する。
怠慢が過ぎればそれは怠惰だ。
熱意が過ぎればそれは愚かさの原因となる。
愛が過ぎれば私たちの平和を乱す。
肉体的な活動が過ぎれば命を破壊する。
策略が過ぎればそれは欺瞞の技術となる。
頑固さが過ぎればそれは心の欠如だ。
惜しみが過ぎれば人は悪人になる。
勇敢すぎる者は軽率だ。
富が過ぎれば重荷となって圧迫する。
名声が過ぎれば心配に悩まされる。
快楽が過ぎれば死が訪れる。
知恵が過ぎればそれは危険なものだ。
信頼が過ぎればそれは愚かさの道しるべとなる。

Page 128

精神が過剰だとそれは傲慢になる。
自由すぎる者は愚か者だ。
恩恵が過剰だと弱くなる。
甘やかしすぎる者は悪人だ。
人を喜ばせようとする熱意が過剰だと、それは奴隷根性だ。
この「過剰」というものは、悪いものに思えても、簡単に良いものに変わり得ると思われがちだ。
しかし友よ、そこで間違っている。すべては些細なことにかかっているのだ。
些細なことが大きな影響を及ぼし、喜びや役立ちにもなる。
恋愛や法の場面で失敗した時、しばしば些細なことが結果を左右する。
些細なことが偉大な人物を称賛させ、誇り高い美しささえも屈服させる。
些細なことが詩人の創作のきっかけとなり、また頭を混乱させることもある。
多かれ少なかれ、些細なことが私たちに成功をもたらすか、それとも奪っていく。
希望している時には些細なことが励ましとなり、恐れている時には打撃となる。
恋人たちが知るあらゆる情熱も、些細なことによって消されたり、燃え上がったりするのだ。

注:この短詩はロンドンでは6デナリーで販売され、こちらでは3デナリーだ。
『アメリカン・マガジン&モンスーン・クロニクル』、I-440、1758年6月、フィラデルフィア。

プロイセン王に1000ポンドの贈り物をしたアラディットについての公的報道

もはや傲慢なオーストリア人たちが、「我々の敵フレデリックには味方がいない」と叫ぶことはない。
勇敢なイギリス人たちは彼の側におり、次の戦争のために準備をしている。
彼らの富は彼の手に移っていく……
金こそが戦争の原動力なのだ。
彼のために彼らは訴え、多くのことを語るのだ。

Page 129

彼のために、人々は敬虔になり祈るのだ!
彼のために、彼らの戦意は高まり、
再び殺戮の眼差しを備えるのだ。
かの輝かしい戦士たちは決して敗れることはなく、
退却することで勝利を収めるのだ。
『ニュー・アメリカン・マガジン』第VII-172号、1758年7月、ニュージャージー州ウッドブリッジ。

紳士の皆様、
以下の短い詩は、熱心な友人たちの要請により急ぎ書かれました。彼らは私と一緒に食事をし、彼らがプロイセン王を「プロテスタントの英雄」と呼んだことから、その健康を祝うつもりだと短い連絡を寄せてきました。彼らはこの作品を高く評価し、もしあなた方が同じ意見を持つならば、あなた方の雑誌に掲載してほしいと強く願っていました。このテーマの尊厳が、親しみやすい文体によって損なわれるとは思われないでしょう。実際、この場に最もふさわしいのはそのような文体であり、11フィートから成るこの詩は、古代に宴会でよく使われたギリシャのイアンバス詩のように、我々の言語における通常の10フィートの英雄的韻律よりも、より軽快に、そしてより速く読まれるべきものです。
メリーランド州ケント、1758年7月14日。

『王の訪問』

Page 130

誤った天文学者たちよ、そんな高く見上げるな。
予言された彗星はまだ空にはいないのだ。
天から遣わされたとはいえ、ここ地上で輝いているのだ。
そして昨年――五十七年には、驚くほど明るく燃え上がった。

三千年前、ヴォドンの勇姿のもとで、
古代ゲルマニアの上にその光を放った。
次に、アルミニウスの姿をまとって再び現れ、
ローマの破滅的な軍団にとって致命的な存在となり、彼らを焼き尽くした。

今、戦争の雷鳴と共に、
我がプロイセンの偉大なるフリードリヒこそが、その燃える星なのだ!
彼は抑圧される諸国への天の使者だが、
暴君たちにとっては神の復讐のしるしなのだ。

北方では、彼は奇妙かつ急速に動いて見えた。
(英雄や星々は極地付近で最も明るく見えるからだ)
ブリテンには好意的にその光を放ち、
一方、バベルの淫らな売春婦たちは彼の恐怖に震える。

凶暴なロシアの熊も彼の輝きに怯え、
オーストリアの誇り高き鷲も今や彼の光から逃げ出す。
自由を愛する人々には適切な熱意を与える一方で、
フランスの百合たちは彼の炎によって焼き尽くされる。

偽りのストックホルムは、バルト海に障壁はないことを知るだろう。
今はウィーンにいるが、間もなくパリにも到達するだろう。
ヨーロッパから海を越えて彼の影響力が届き、
おおジョージよ、あなたの新世界を活気づけるのだ。

我々の法律、宗教、権利を彼は守り、
野蛮な侵略者たちへの征服を予告する。
本性を汚し、人間の姿と神の姿を損なう、キリスト教徒と呼ばれる者たちに対しても然り。

万歳、生ける輝きよ。その名誉ある名は、
最初に人間の中で歴史に刻まれるだろう!
その栄光は、あらゆる時代、あらゆる場所に広がり、
宇宙と時間の果てまで及ぶのだ!

Page 131

徳のあるトラヤヌスとティトゥスが結ばれし者、
帝国を征服した勝者であり、人類の喜びそのもの!
光の源泉から生まれた輝かしい光よ、万歳!
暗き半球すべてを照らし、飾り立てる光よ!
彼と比べれば、他の王たちは皆、
キンセイアの明るき球体の周りを舞う小さくかすかな火花のように見える。
君主たちの中でも驚異的な存在、帝国の愛国者、
天界のような力強き精神を持つ者!
その価値は、嫉妬深き者たちの冷ややかな視線にもかかわらず、
古き首長たちが天界の栄誉を自分たちのものだと主張したほどだ!
彼らの葬列からは炎の中を鷲が飛び立ち、
地上の英雄たちは神となり、死んだ王たちも崇拝された。
彼は正義のために戦い、その剣は雷のように鋭く、
困難な状況においても彼の勇気は増していく。
敵が増えるほど、彼の勝利も増えていくのだ。
おお、カエサルたちよ、ブルボン家の者たちよ、神の罰となる者たちよ、
風の翼に乗って彼がどのように戦ったかを見たであろう。
では、天界の守護者を敬え。彼はあなた方の運命を背負い、
ガリア、サタン、ローマの連合軍を鎮圧するのだ!
地上の巨人たちが、それぞれ多くの手を持って、
同盟を組んでジュピターの座を攻撃した時、
エウィウスは父の王位を主張し、侵略者たちの上に火の山を築いたのだ!

おお、高みにいる無数の太陽たちよ、彼の一族たちよ、
六千年の間、あなた方は誰を見出すことができただろうか?
彼のように、凡庸な人間として生まれた者を、
アルフレッドやエドワードが地上に栄光をもたらしたとしても、
見出すことができただろうか?
恥じなさい、弱々しい光を放つ海賊たちよ!
あなた方は一時的に輝くだけの流れ星に過ぎないのだ!

Page 132

虚しい権力への渇望が、あなたの物語のページを汚しているのは誰か?
あなたたちは何を見ているのか?彼の栄光にどれほど夢中になっているのか?
恥じなさい、虐殺者たちよ。あなたたちの赤い旗は恥知らずな行為を示している。
誠実で偉大な人物が、別の名前で呼ばれるなんて!
帝国や富のために創造物を無駄にしても構わない。地球は手に入れられるかもしれないが、彼は自分自身を征服するのだ!
守るために征服する。恐ろしい戦争は彼のやむを得ない手段だが、美しい平和こそが彼が望む結末だ。
戦いで戦利品を得ることはできても、彼はそれを二流の栄誉に過ぎないと考えている。
勝利によって名声を得ても、それが自分の民族の血によって得られたものだと嘆くことを恥と思わない者。
民衆の第一の僕であり、謙虚な立場にある。彼は賢明な法律によって真の栄光を得たのだ。
国の偉大な父であり、最も祝福された存在。世界の平和と安寧のために自分自身を犠牲にする者!
常に公正に得られた名声を求め、オリーブの枝と月桂樹の葉で自分の冠を飾るのだ。
詩人よ、哲学者よ、批評家よ、神よ、あなたは何者か?全知ではない限り、あなたにはすべてがあるのだ。
王でありながら独学で学び、ミネルヴァもまたあなたのようにゼウスから完璧な姿で生まれたことを証明しようとしている。
あなたのように知恵で有名であり、また警戒心でも有名だ。科学の女神であり、戦争の女神でもある!
彼の言葉や行動から、彼の偉大な心が読み取れる。欺瞞にはあまりにも高潔で、卑劣な策略にはあまりにも賢明だ。
すべての偉大さがどこから来るのかを常に深く考え、唯一あなた、万王の王に依存しているのだ!
あらゆる勇敢な行為において彼の仲間であり、突撃時には先頭に立ち、撤退時には最後に残る。政治家であり君主でありながら、約束を守る者。名誉ある兵士であり、その剣よりも輝かしい存在。
権力によって腐敗することのない者、知識によって飾られる者。

Page 133

考えるだに、卑劣な行為を軽蔑する者――。
――しかし、善良なジョージの血が彼の血管の中で豊かに流れているのだから、彼がそれを軽蔑するのも不思議ではない。
『アメリカン・マガジン・アンド・モリス・クロニクル』、第1巻551ページ、1758年8月、フィラデルフィア。

M・R・ヴォルテールからプロイセンの君主への手紙。
翻訳版。

親愛なる王子よ!世界中の人々が認めるほど、真実と自然によって王座にふさわしい姿を持つ方よ。
あなたの帝国の夜明けは太陽の光のように、北方の人々に永遠の希望を与えます。
ムーサたちが送る敬意を受け入れてください。あなたは彼女たちのお気に入りであり、守護者であり、友です!
あなたはすでに王位に就いているのですか?…そして、あなたの優しさが、私という詩人を認め、私の作品を大切にしてくださるのでしょうか?
ああ、幸せな瞬間!素晴らしい恵みよ!
フレデリックの笑顔が、私の歩みを包み込んでくれるのでしょうか?
彼の偉大な魂は知恵の力に満ちており、常に慈悲深く、常に落ち着いています。
彼は国家の尊厳を捨てて、人類の謙虚な愛好家として私に会いに来てくれるのでしょうか?
そして、あなたの手が、私をあなたの心の友として認めてくれるのでしょうか?
昔から、天界の明るい太陽であるフォエブスは、広大な世界に生命の光を放っていましたが、ゼウスの命令により、その華やかな地位を捨てて地上で人々と共に暮らすことになりました。
もはや彼の眉からは光が放たれず、追放された神は羊飼いの姿に変わりました。
フリギアの荒野で、無学な人々に向かって、彼は神々しく美しい歌声を歌いました。
そうして、野蛮な民族の心も和らぎ、美徳や芸術への愛を受け入れるようになったのです。
最も粗野な人々でさえも、彼の強烈な説得力に感動したのです。

Page 134

思考し、推理し、溶け合うことを教わった!
自分自身を知り、社会的な絆を理解し、
自分が独りで生きるために創られたのではないことを学んだ!
そうしてあらゆる有用な科学が生まれ、
平和な労働が微笑む大地を祝福した。
人々は団結し、かつての怒りを捨て去り、
自然もまた喜び、その黄金の時代を祝福した。
それは天によって人間のために定められた時代だったが、
フレデリックのような者が現れなければ二度と戻らない!

アポロンが森の中をさまよっていた時のように、
人々が集まり、森の半分が住民で満たされた。
涼しい小川のそばを過ぎながら日を過ごし、
彼は黄金の竪琴を使って知恵の歌を奏でた。
その音に耳を傾けていた一人の若者が、
自分の葦笛でその音色を真似しようとした。
神はその素朴な才能を気に入り、
彼の努力を認め、導き手となってくれた。
震える手を支えて弦に触れさせ、
言葉を囁き、どうやって歌うかを教えてくれた。
若者は上達し、与えられた助けに感謝したが、
まだその人が神であることに気づかなかった。
また、自分の胸の中に燃える不滅の炎のことも知らず、
ただ羊飼いのように彼を愛し、尊敬していたのだ。

偉大なる君主よ、私の中にもその姿が再び現れます。
親しみやすい温かさに包まれているのを感じます。
あなたを讃えるために竪琴を調律するとき、
私の胸からこの高貴な情熱がどこから来るのかと思います。
何が私を奮い立たせるのか、幸せな人々よ、教えてください。
フレデリックの支配下にいる人々は誰でしょうか?
急流のライン川から銀色に流れるマイネ川まで、
彼の平和な統治の下で暮らす人々ですか?
それともプロイセンの琥珀色の岸辺に住む人々でしょうか?
彼の名を称え、彼の守護力を讃える人々ですね。
そう……同意する国々が彼の美徳を称え、
名声があらゆる場所で彼の功績を語り継ごうではありませんか!
アストレアの支配を取り戻し、落胆したメリットがもう嘆かないようにするのは、誰の権威でしょうか。

Page 135

かつて名声の声に導かれ、
知恵の王のもとへ南方の姫君はやって来た。
フリードリヒの呼びかけに応じ……従うことを喜び、
学問の子らは楽しげにその道を歩む。
常に注意を引く真理を聞き、
彼の法を導く善を讃えるのだ。
王座のそばで哲学は微笑み、
自らの王子と、その子らの努力を見守るのだ!
科学は、彼の優しい眼差しが
詩情をかき立てるのを喜び、彼の寛大さに報われる。
遠くない場所で、穏やかな慈悲が立ち、
敬虔さへとその手を差し伸べる。
正義は恣意的な力を追放し、
商業は豊かさをもたらす。
しかし最も偉大なのは善……天使のような姿で(
まさにフリードリヒの心の中に生きる姿のように!)
その翼の下で、価値ある者たちは
人類を苦しめる嵐から避難所を得るのだ。
真実の友は、欺瞞や悪意によって
不信に満ちた世界の迷宮をさまよう。
嫉妬に迫害され、偏見に憎まれる者も、
ここでは平穏な隠れ家を享受するのだ。
虚栄や血統を軽蔑し、
賢者や善人とその偉大さを分かち合う方と共に!
たとえ彼の慎重さが戦争の危険を防ごうとも、
彼の温和さは遠くから悪を見極める。
たとえ彼の力がカエサルの栄光をもたらそうとも、
平和なオリーブの枝こそが彼の高貴な心にふさわしい。
しかしいかなる状況でも、彼は嵐を安全に見守り、
平和であれ戦争であれ……詩情の寵児なのだ!
どちらの状況でも、同様に成功を約束される、
なぜなら彼の目的は守り、祝福することだから!
しかし、暗雲が迫りその暗闇を広げるとき、
彼は戦争の準備をする……だが恐れることなく!
巨大な姿も、華やかな戦士の姿も存在しない。
彼は芸術の派手さなしに勇気を求めるのだ。

Page 136

そして心の奉仕によって高みに昇る:
彼は自らが正義であることを誇りとする――
(それは「アウグストゥス」という称号を超えた誇りだ!)
その時、最も公平な友が彼を支え、
自然がその命を終えるまで彼の名を守るのだ!
かくして、呪われたカエサル家の下で
ローマが初めての恥辱を味わった時、
偉大なトラヤヌスがあらゆる美徳を備えて立ち上がり、
疲れ果てた世界に安らぎを与えた。
彼の汚れなき治世には血も征服もなく、
善意こそが破られざる絆となった。
インドの王たちでさえも喜んでその支配を受け入れた、
なぜなら善意という絆は、どんな野蛮人も断ち切れないからだ!
セイラムの城壁も意図的な血によって汚されることはなく、
その征服者の慈悲がその罪を防いだ。
彼の栄光を形作ったのは愛であり、
それは世界全体が結束しても抗うことのできない力だ!
見よ、あなたの台頭を示す輝かしい模範を!
彼が天国へ到達した道を離れてはならない。
超えようと試みよ!(だが天は彼の運命を拒むのだ!)
彼は一日泣いた……その日をあなたは決して失うことはない!
『ニュー・アメリカン・マガジン』第XI-283号、1758年11月、ニュージャージー州ウッドブリッジ

プロイセン王からヴォルテールへの手紙の翻訳。

信じてほしい、もし今私が
平穏な私生活の中にいるとしても、
自然の要求が許す限り、
冷ややかな無関心の目で
去り行く運命の速さを見つめ、
あなたのように女神を笑うだろう。
退屈な宮廷の馬鹿げた戯れ、
皇帝としての真の責任、
信頼できない廷臣の柔軟なお辞儀……

Page 137

気まぐれな大衆の愛撫や、
虚しい言葉の空虚さ――
長年の経験からよく知っている。
たとえ王子であり詩人に生まれたとしても、
栄光の虚しい誘惑は軽蔑する。
なぜなら、冷酷な運命の刃が
私の命の儚い糸を断ち切り、
私を意識のない死者たちと同列に置いた時、
かつて偉大だったことや、
記憶の神殿で名声の声が私の名を讃えることなど、
何の役に立つというのか?
生きている間の一瞬の至福こそ、
永遠の名声よりも重いのだ。
では、権力者たちは自分だけの特別な幸せとして何を得るのか?
穏やかな安らぎ、純粋な喜び、
家庭の平和、楽しい娯楽――
王座や宮殿などは捨て去り、
自由のために生まれた者は、
君主たちが高値で買う、権力の飾り立てられた華やかさよりも、
静かで優雅な余暇の時間を好むのだ。
私の苦しみや幸福は、決して気まぐれな運命の変化に左右されることはない。
なぜなら、運命が敵であれ友であれ、
私は静かに夜を過ごすからだ。
警戒心を持って彼女の微笑みを求めたり、
彼女の怒りを恐れたりすることはない。
しかし、私たちの立場からは、
どう生きるべきかという確かな教えが与えられ、
各々の地位に応じて特定の行動が求められ、
それによって人間の価値が測られるのだ。
ヴォルテールは、自らの隠れ家の中で、
古き誠実さが遺産となり、
神聖な自由が住み着くその地で、
自らの平和な心をすべて手放すことができるのだ。

Page 138

プラトンの不滅の言葉に導かれ、
静かな孤独の中で、
賢者の穏やかな美徳に身を委ねる。
しかし、荒れ狂う暴風が激しい攻撃を仕掛けてくる相手に対しては、
思考においても、人生においても、死においても、私は王として立ち向かわねばならない。
『ニュー・アメリカン・マガジン』第17巻470号、1759年5月、ニュージャージー州ウッドブリッジ。

オランダのことわざ。
火、水、女性――これらが人間の破滅の原因だ、
と賢明なヴァンダー・ブリュイン教授は言う。
昨年、炎によって私が借りていた家が失われ、その代償を払わねばならなかった。
今年の春には雨が溢れて私の土地を覆い、最も優れたフランドル産の雌馬も溺れてしまった。
私はクララの前では奴隷同然だ。ジプシーでさえ彼女の力を知って逃げ去るのだ。
火、水、女性――これらが私の破滅の原因だ。ヴァンダー・ブリュインよ、あなたの知恵は偉大だ。
『ボストン・マガジン』第3巻81号、1786年2月、ボストン。

死への頌歌
プロイセン王フリードリヒ二世作。フランス語からホークスワース博士によって翻訳。
あと数年か数日、あるいはほんの一瞬が静かに過ぎ去り、
私にとって時間はもはや存在しなくなるだろう。
もう太陽を見ることもなく、大地の塵がこの体に降りかかり、
人生という幻想的な夢も終わりを迎えるのだ。
ああ!私は恐ろしい絶望の淵に立っている。自然の境界から押しやられて沈み込み、
果てしない暗闇が私を包み込むのだ!

Page 139

そう、死は常に私のそばにいる。
私のベッドのそばに立ち、
そして食卓にも常にいるのだ。

大地、空気、火、水が結束し、
私のこの儚い命に敵対する。
では、助けを求めてどこへ逃れられようか?
たとえ甘言や策略で、
守護者のように私を守ろうとしても、
自然が命じる前に、私は死ぬのだ。

私はこの心の暴君を見る——
この肉体という偶像は塵と化す。
かつては神の力によって塵から呼び起こされたが、
その姿は変わり、青白く、冷たくなる——
なんと恐ろしい幻影か!その姿を見るだけで、
私も同じ運命を辿るのだ。

では、恐怖や恥じらいでも抑えられない、
罪深い傲慢さを持って、
この肉体を依然として甘やかし、飾り続けることができるだろうか?
自分が間もなくなる姿を見て、
今の自分が他者に跪くことを要求したり、
周囲の何ものも軽蔑の目で見たりできるだろうか?

しかし、この温め、導き、生き、考える火花は、
どんな運命をたどるのだろうか?
これがただの塵、形作られた土塊に過ぎないのか?
魂や心が死に屈するのか?天を測り、風に乗り、
自分自身と神を同時に知るものが!

すべての根源であり、天上にも地下にも存在するお方、
あなたを知る者は永遠にあなたを知り続けるのだ、
不滅で神聖なるお方よ!
あなたの姿を私の魂に刻み込んでください。
それこそが無限の存在の証であり、
永遠が私のものであることを示してくれます。

Page 140

思考を運ぶ!——だが私は確信している、
果てしなき命が喜びをもたらすと?
喜びは正しい者だけのもの!
罪人は死んでいく、そこでは復讐が果てしなき命を与え、
果てしなき苦しみが続くのだ。

偉大なる神よ、なんと恐ろしい光景か!
一瞬の息吹、束の間の命……
私が冗談を言ったり、笑ったり、遊んだりできるだろうか?
ああ、地上にはあまりにも固く縛られている。
地面に深く根を下ろした木々でさえ、引き抜かれると震えるのだ。

虚しい喜びよ、それは強大さを羨んで得られるもの……
どうしてそんなものが絹のような束縛で人を縛り付けるのか?
それを断ち切るにはヘラクレスの力が必要だ!
どうして新たな恐怖で、わずかな視線だけで人を怯えさせる力を武装させるのか!
一つの死を何度も繰り返させるのか!

しかし、驚きに呆然としながら、私は見ている。
人間の無思慮な種族が大胆に過ちを犯し、
死の法則を忘れ、あるいは軽蔑している。
彼らの計画にはその法則は関係せず、
誓いも努力も希望も彼らを導かない。
誰もが自分は不死の息吹を得ていると思っているのだ。

運命の時が近づいていることに気づかず、
策略を巡らせたり、富や権力のために戦ったり、
危険を冒すことさえ厭わない。
そして、百年の寿命をかろうじて維持している者でさえ、
将来の利益を計画し、予期せぬ打撃を受けるのだ。

進め、制御不能な愚か者どもよ、
岩も、海溝も、風も顧みず、海も陸も探し回り、
見つけた場所ならどこでも新しい世界を破壊せよ。

Page 141

奪え、その輝く賞品を急いで手に入れよ、
ため息や涙、祈りなど軽蔑し、
神殿の聖なる地さえも容赦しない。

彼らは進み、成功するが、再び振り返る、
探していた絶望的な手は虚しく、
今や農民の軽蔑によって塵と化した。
しかし、彼らの財宝が増えていくのを見て、
飽くことのない反逆者の声を聞いて、
誰が彼らが人間に過ぎないと思っただろうか?

世の勝者が戦車に乗るのを見よ、
血が彼の進む道筋に広く残され、
時代が流れる限り彼は確実に支配し続けるだろう。
いや、朝霧のように消え去り、
その英雄に与えられたのは、戦い、征服し、死ぬことだけだった。

そして、恐れを抱きながら尋ねる、
本当に、国々が次々と彼の戦車の下で血を流し、
戦利品でその場所を飾り、
彼の青白い遺体が腐敗する場所を作り、
飢えた獣の餌食にしたのだろうか?

そう、運命はその遊びに疲れ、
この英雄というおもちゃを捨て去り、
人間の姿さえほとんど見えない。
恐怖が私の胸を凍らせ、目から涙が溢れる、
眉の周りにはバラの色はなく、
私の周りは葬儀用の緑色の杉木立だ。

しかし、この悲しみと恐怖に満ちた時に、
恐ろしい真実が明らかになると、
何者か知らぬ力が私の心を支配する。
私の思考は再び世界へと向かい、
私の足は愚かさの迷宮を歩み、
幻想は人生が幸せだと夢見る。

Page 142

女帝の心とはなんと弱いことか、
快楽の華やかな花輪に縛られ、
その祭壇の虜として連れ去られるのだ!
弱き理性は狂気の怒りに屈し、
全世界は愚かさの舞台となり、
そこで行われるすべての行為は実に愚か者のものだ。

それでもなお、この奇妙で突然の移行――
暗い悩みから明るい喜びへ、
この軽薄で虚しい気まぐれは、
人生という幻想的で一時的な夢の中で、
人も物も見かけ通りではないその中で、
私たちが得る唯一の真の善なのだ。
『ニューヘイブン・ガゼット&コネチカット・マガジン』、I-339、1786年12月7日、ニューヘイブン。

ナルシッサ
【詩。その第三節は次の通り:】

おそらく、ヴェルターのように[40]、木陰で物思いにふけりながら、
私は無駄に嘆き、容赦ない運命を呪うのだろう。
あるいは、思いやりのある乙女を愛している間も、
周囲には逆境の暗雲が待ち構えているのだ。
『コロンビアン・マガジン・オア・モンタナ・ミスク』、I-245、1787年1月、フィラデルフィア。

シャーロットの独白――ヴェルターの男たちへ。
故ラッド博士作。

どうして、ヴェルター、私をこんな風に置いていくの?
私は暗闇の中をさまよい、
静かな悲しみの涙で、
毎夜あなたの墓を濡らしているのよ。

どうして、ヴェルター、私をこんな風に置いていくの?
あなたの友人たちも、親族たちも去ってしまったの?
もうシャーロットのことを知らないの?
友人たちにももう魅力はないの?

Page 143

なぜですの、ヴェルター、私をこのように置いていくの?
孤独で、恐れに満ちたままで。
見なさい、あなたの友たちは悲しみに暮れ、
シャーロットも涙に暮れているのよ。

なぜですの、ヴェルター、私をこのように置いていくの?
あなたの墓の周りをさまよわせるために?
ああ!不幸の予感が
あなたの運命を予告していたのよ。

なぜヴェルター、私をこのように置いていったの?
恐ろしい絶望の中で?
あの拳銃たちはあなたの運命を予言していたのよ。
ああ!なぜシャーロットがそこにいたの!

なぜですの、ヴェルター、私をこのように置いていくの?
ああ!あなたは私の愛を裏切り、
私をここで泣かせておきながら、
自分だけは天国で幸せになるなんて。

ヴェルター、あなたは私をこのように置いていってはいけないの。
私たちは離れてはいけないのよ。
私はこの世を去り、天国へ行くわ!
ヴェルター、私はあなたのもとへ飛んで行くの。

アメリカ美術館、I-180、1787年2月、フィラデルフィア。

ヴェルターの死

I
シャーロットの手がこの拳銃を渡したのでしょうか?
さあ、私の愛の証となるこれらの拳銃よ——
彼女によって与えられた以上、生き続けるのは罪です——
いいえ、来なさい、拳銃たちよ。あなた方の死を私が証明します。

II
でもまずは一つキスを。シャーロットが触れたその場所で——
あなた方、神聖な遺物よ、今や最も大切な存在です。
たとえシャーロットがあなた方の行いを深く悲しむとしても。

Page 144

そしてアルベルトでさえも同情の涙を流した。

III
どうか天が、この軽率な行いを許してくださいますように!
それは私に情熱を与えましたが、私にはそれを制御する力はありませんでした。
しかし、哀れなヴェルターよ、もし血を流すことが罪ならば、
天の神よ、どうかあなたの魂を憐れんでください。

IV
シャーロット、私は行く!――私の拳銃には弾が込められている。
私の最後の、死に際の思いはすべてあなたに向けられている!
私は行く!死の未踏の道を進んでいくのだ。
一度きり、永遠に、シャーロット――ああ、さらば!
アメリカ博物館、I-474、1787年5月、フィラデルフィア。

ヴェルターの墓誌

I
見知らぬ人よ、あなたが誰であれ、
この草色の丘から着実な足取りで進んでくるあなたよ、
同情の涙を流しなさい。見知らぬ人よ、知っておきなさい、
ここには悲しみと苦悩の子が眠っているのです。

II
彼の魂はあらゆる美徳に満ちていましたが、
生まれた時から運命は彼に冷たく接しました。
ある悲しい瞬間に、彼はあまりにも激しく愛しました。
偽りの運命が彼を見捨て、彼は悲しみの子となったのです。

III
天は彼に情熱を与えましたが、同時にその情熱を抑える力は与えませんでした。
その情熱に打ち負かされ、彼は墓の中で安らぎにつくのです――
それこそが、この世の苦悩から逃れる魂の最後の避難所です。

IV
彼の墓の周りには、最も甘美な草が芽生え、
毎年、花々がここで咲き続けるでしょう。

Page 145

ここでは妖精たちが最も美しい贈り物を持ってやってくる。
通り過ぎる見知らぬ人々も同情の涙を流すのだ。
アメリカ美術館、I-474、1787年5月、フィラデルフィア。
[ラッド博士、ヴェルターの墓碑銘]

オーディンの降臨。頌歌。
ニューヘイブン・ガゼット・アンド・コネチカット・マガジン、第3巻第21号、1788年5月29日、ニューヘイブン。
[トーマス・グレイ、詩集。
ドッドスリーにより出版――ロンドン、1768年7月。
ファウリスにより出版――グラスゴー、1768年9月。
どちらの版にも「オーディンの降臨」が収められている。「この詩は1761年にケンブリッジで書かれたもので、古代アイスランドの叙事詩『ヴェクタムス・クヴィダ』、または『バルドルの夢』の要約である。原作はバルトリヌスの『死を軽蔑すべき理由について』(コペンハーゲン、1689年、四つ折り判)に見られる。グレイは最初の4行の翻訳を省略している。」エドマンド・ゴス編『トーマス・グレイ全集』、ニューヨーク、1885年、I-60参照。

ロングアイランドのオランダ人の特徴的な姿。
依然としてその平野に彼らの多数の民が生き続けており、労働のために生まれた彼らは依然として繁栄している。
雨や日差しの中、子孫のために働き続け、この地上に彼らのような民族は他にいない。
彼らが住む場所では、周囲の自然がすべて微笑んでいる――木々は実で満ち、大地は豊かさに覆われている。
彼らの家を覆うような不毛な木々は見られず、木々は実を結び、住居も清潔でなければならない。
怠惰な想像力が思いつきを振るうこともなく、主人の目に気を引こうとすることもない。
すべては何かを生み出すためのものであり、すべてには目的があり、万物にはそれぞれの役割がある。
絶え間ない勤勉さが彼らの生活を支え、日曜日の上着の外側のように整然としている。
車輪、織機、女性たちの手仕事――これらが彼らの喜びであり、大切な楽しみなのだ。
屈強な体つきの娘たちは、怠惰な情熱に動かされることはない。

Page 146

ロマンチックな愛についての素晴らしい考えはない。
金を持ってきて、彼女に優しく接すれば、
その者が彼女の心へと最も簡単に近づけるのだ。
彼女は勇気や知識、機知、出世などを重視せず、
その男のことなど気にせず、ただ彼がどれほどの価値があるかを問うだけだ。
彼女の強い心には、どんな恐れも入り込めない。
彼女が舵を握り、帆を調整するのだ。
小さな船で市場へ向かい、
帆を引いたり風に合わせて進路を変えたりする。
一方、彼女の意志に従うハンスは、パイプを吸いながら彼女の技術に驚嘆している。
彼らの労苦に健康がありますように――そうして彼らは続けて前進できますように――
くそっ、私の筆よ!私は何という美徳を描いてしまったのか!
これが一般の好みなのか?いや――真実はこう答える――
もし美を愛し、偽りがなければ、
社交界が美しさを称える場所で、
ハンサムなヨーク人が彼女の美しい顔を覆っているのを見よ。
彼女は早くから家での楽しい会話を好み、
自分の性別にふさわしい仕事を選ぶのだ。
人目につかないところで、何か特別な芸術を行い、
より強い男に粗雑な仕事を任せるのだ。
アメリカン・ミュージアム、第VII巻、1790年1月~6月、付録I-42、フィラデルフィア。

ウェルターの悲しみを慰めることについて。

愚かな若者よ!お前の愛情は狂気を生み出し、
冷静な思考や理性的な考えを拒絶した。
少しの時間が経つだけで、シャーロットの魅力も
ウェルターの腕の中では衰えていった。
なぜなら、罪悪感や卑劣さは決してお前と共存できなかったからだ。
そして、高潔な友情がすぐにお前を解放してくれたのだ。
しかし、もしお前がその美しい女性を打ち負かしていたら、
今と同じように、お前は運命の球に遭遇していただろう。
それでも、今以上に激しい苦痛がお前の心を襲ったであろう。
慈悲が助けの手を差し伸べると言う者はいない。

Page 147

しかし、もしあなたがキスによってシャーロットを裏切ったなら、その中で恐れない者がいただろうか。
——ローラ
『ユニヴァーサル・アサイラム・アンド・コロンビアン・マグザイン』第5巻269号、1790年10月、フィラデルフィア。

ウェッターの葬送歌
故ラッド博士作
『マサチューセッツ・マガジン』第3巻114号、1791年2月、ボストン。
【また『アメリカン・ミュージアム』第1巻474号、1787年5月、フィラデルフィアにも掲載】

エラ・アタール
歴史によれば、スウェーデン王シヴァードは大軍を率いてノルウェーに侵攻し、甚大な悪事を働いた。しかし最終的には打ち負かされ、軍も壊滅し、彼自身もかつて残酷に虐待した女性の一人によって殺された。

ノルウェーの丘陵地帯の間に広大な平野が広がり、
自然が遊びの場として作り出したものだ。
ここでは経験豊富な戦士や勇敢な若者たちが、毎年の競技会に集まる。

彼らの頭上高くには白い髪の毛が垂れ下がり、
豊かな日陰を作っていた。
そこから威厳ある言葉が流れてくるようだった——
「凶暴な敵どもがお前たちの遊びの場を侵略してくる!」

彼らが見上げると、一人の戦士が目に入った。
彼は槍を高く掲げており、
全身が武器で覆われ、眩しいほど輝いていた。
そこでは眩い光が舞っていた。

西の太陽の光が彼の兜を照らし、
彼は人間以上の姿に見えた。
そして彼らの耳に響いた声も、人間以上のもののように思えた。

「ノルウェーの子らよ!私の物語に耳を傾けよ。」

Page 148

「お前たちの田園での遊びはやめよ!
シヴァードがドゥルヴェロンの谷を進軍している。
平和な遊びは終わりだ!

血に飢えたシヴァードが、征服者となったスウェーデン人たちを率いている。
彼は我々の恥を辱めている。
男も女も子供も皆、血を流している――
ノルウェーという名前さえももはや存在しない!

夫は見ている――暴君の欲望を呪え――
彼は自分の美しい妻を見ている。
彼女の貞操も価値も名誉もすべて塵と化している――
ああ、ノルウェーの誇りはどこにあるのか!

起きよ、ノルウェーの人々よ!武器を手に取れ。
すべての者が兜を被ろう。
平原でこれらのスウェーデンの悪魔たちと戦い、
彼らの勝利を打ち砕こう。

ああ、もしあなた方が私の目が見たものを見ていたら!
それはシヴァードの仕業だった――
私たちの年老いた君主も、無力な女王も――
私は、そう、彼らが血を流すのを見たのだ。

彼らの娘エラのことは――いや、話したくない!
ノルウェーの人々は決して尋ねてはならない――
王家の娘に何が起こったのかを決して聞いてはならない。
私はあなた方の魂が燃えているのを見ている。

ああ、剣や槍、兜、盾を手に取れ!
ああ、自分たちの名誉を守れ!
シヴァードとスウェーデンがノルウェーの大地を脅かしている。
ノルウェーの名前を忘れてはならない。」

彼がそう言うと、涙が急に流れ出し、若者たちの目には激しい怒りの光が宿った。
誠実な心の中には怒りが満ちていた。
彼らはスウェーデン人の血で自分たちの汚点を拭い去ろうとした。

Page 149

すべての思いが語られた。

すると赤毛のロッロが、激しく前に進み出て叫んだ――
「お前が誰であれ、降りてこい。
我々は丘の上で暮らし、あらゆる苦労に耐えてきた。
戦争こそが我々の運命だ。

シヴァードを呼ぼう、ここでその暴君と対決しよう。
だが、見知らぬ者よ、お前も降りてこい。」
彼がやって来ると、老アソルドは厳しい眼差しで見つめた。
見つめてはいたが、やがて眉をひそめるのをやめた。

「アソルドは君主の顔を忘れたのか、
それともお前は確かに彼の息子なのか!
強大なノルウェーの王家のエリックだ!」――
その知らせは瞬く間に広まった。

人々は歓声を上げながら、その美しい首長を見ようと押し寄せた。
老人たちは彼の手にキスをした。
両側から悲しみの涙が流れ落ち、やがてアソルドが部下たちに語りかけた――

「ノルウェーの息子たちよ、故郷に戻りなさい。
そこで剣と盾を手に取り、
夜明けの紫の光が空を染める前に、
戦場でエリックと対決しなさい。

『おお、王子よ!老いたアソルドと共に行き、
安らかな眠りを取りなさい。
アソルドは歌って悲しみを和らげるか、
あるいはハープを壊して泣くだけだ!』」

夜が更け、アソルドの広間では皆が自分の場所に着いた。
彼は昔の歌を歌った。
英雄の顔から涙が絶え間なく流れ落ち、
応じるようにうめき声が響いた。

明るい朝が訪れ、傷ついた兵士たちも明るく――

Page 150

粗野な退役兵たちがやって来た。
荒々しい戦いの経験のない多くの若者たちも、
今や愛国者として名を馳せていた。

彼らは遠くからシヴァードの軍勢の騒音を聞いた。
若きエリックは盾を振り下ろし、
そして重い槍を高く振り上げ、戦場を駆け巡った。

その後に年老いたアソルド、強きロッロが続いた。
黒髪のカルマーは戦棍を振り上げ、
クルリン、マルコ、ストレノもまた突進していった。
すべてが荒々しい戦士たちだった。

スウェーデン人たちは猛然と攻めてきた。数の多さに誇りを持ち、
弱い敵を軽蔑していた。
しかし間もなく戦闘の声が轟き渡り、多くのスウェーデン人が倒れた。

強きロッロは勇敢なオラウスを打ち倒し、15人もの敵を倒した。
年老いたアソルドは若々しく誇り高かった勇敢なアドルフスの頭を打ち砕いた。

しかしエリック!エリック!と戦場中に叫び声が響き渡った。
彼は依然としてシヴァードを呼び続けた。
息も絶え絶えのスウェーデン人たちが地面に倒れ込んでいった——
「シヴァード!」と丘々が反響した。

怒りに駆られたシヴァードは、輝く盾や鎧、兜、槍を手に取った。
彼は戦車に乗り、戦場を駆け巡った。
今やノルウェーに恐れはない。

偉大なるロッロは彼の恐るべき力によって倒れ、
彼の馬たちも血で染まった。
若きエリックは激しい戦いの音を聞いて微笑んだ。

Page 151

そして洪水を止めるために飛んでいった。

彼は怒り狂い、泡を吹きながら――渇望に満ちた槍を激しく振り回し、
先頭にいた馬が倒れた。
驚愕したシヴァードは異常な恐怖を感じた。
「お前は血を流す運命だ!」

若者が立ち上がり、剣を振り下ろした。
それは暴君の額に突き刺さった。
スウェーデン人たちは素早く逃げ去り、憎むべき主君を置き去りにした。
彼の誇り高き姿は打ち砕かれた。

今やノルウェーの子らは彼を偉大な救世主として称えるが、
見よ!彼は血を流し、倒れている!
老アソルドは兜と重厚な鎧を脱ぎ、
神々に呼びかける。

彼は兜を持ち上げると、雪に覆われた首から
絹のような髪の毛が素早く垂れ落ちた――
もし征服者シヴァードがその四肢を抑えられたなら!
ああ、絶望の力よ!

命は急速に消えていく――彼女は力なく頭を持ち上げ、
手を振ろうと努める。
美しいエラは皆に告白した――
「ありがとう、勇敢な仲間たちよ。

自由があなた方に報いとなる――エラには何も与えられない、
貧しいエラは力なく横たわっている;
シヴァードは死んだ!エラも生きていたくない。」
彼女は血を流し、意識を失い、死んでいった!
N. Y. Mag. or Lit. Repos., II-235, 1791年4月, N. Y.

アルプスの農夫

冬の冠に覆われた崖がそびえ立ち、
周囲は暗い松林に囲まれている。
深い谷底では、雪に覆われた急流が泡立っている。

Page 152

嵐から守られた何かの洞窟の中で、
アルプスの農夫は自分の小屋を築き、
質素で幸せな家を作るのだ。

彼の下の平野に広がる、豊かな農地やオリーブ畑もまた素晴らしいものだが、
彼にとっては、ヤシの葉で覆われたその小屋の方がずっと大切だ。
そこには、彼の野心のない心が長く留まり、
彼が望むすべて、愛するすべてがあるのだ。

そこには彼の心の恋人が住んでおり、
あらゆる技術を教えてくれる愛もいる。
愛は彼に、その場所を丁寧に飾るよう命じたのだ。
肥沃な土壌を借りて、彼は忍耐強く崖を登り、
彼女が好む花々を植えるのだ。

そこには地元の低木もあり、
丈夫な植物たちが育つ。
緑のミルトルやバラもそこにあり、
露に濡れた葉が揺れる。
そして険しく入り組んだ崖からは、
アルプスのベリーが実をつけ、
恥ずかしそうに葡萄の木と混ざり合っている。

彼の庭で収穫される素朴な作物は、
愛する人々の手によって用意され、
それが彼が知る唯一の贅沢なのだ。
同じ愛する人々の手によって、柔らかく敷かれるのは、
チャモアの毛皮で作られたベッドで、
そこで彼は安らぎを得るのだ。

しかし、その静かな住処から離れると、
暗い雷が彼の道の周りに集まり、
風が激しく吹き、稲妻が閃く。
岩々が再び騒ぎ始め、
彼の弱い心は震える。
彼は恐怖に駆られて、その音を聞いているのだ。

Page 153

裂けた氷よ!――ああ、悲しみに満ちた人よ!
彼の愛する寝床の上には雪の山が積もり、
嵐によって上の崖から切り離されて落ちてきて、
その大理石のような胸の中に埋もれてしまった。
彼のために世界が持っていたすべて――家も、幸せも、愛も!

心を打たれた喪者は恐怖に立ち尽くす!
目は虚ろで、手は震え、
耐え難い苦悩が彼の呼吸を妨げる。
絶望の重圧に押しつぶされ、
彼は山の最も高い場所へと駆け上がり、
死によって救いを求めるのだ。

私の運命も同じようなものだが、
私は絶え間ない痛みの中で嘆き、
依然として自分の最後の幸せを悲しんでいる。
かつてこの貧しい心が愛着を寄せていたあの温かい胸も、
今では冷たくなってしまった。
愛も幸せももう私のものではない。
N. Y. Mag., or Lit. Repos., III-443, 1792年7月、ニューヨーク。

エラ・ア・タール
Lady’s Mag. and Repos., I-97, 1793年1月、フィラデルフィア。
[N. Y. Mag. or Lit. Repos., II-235, 1791年4月、ニューヨークにも掲載]

スイスおよびアルプスの全貌、そして感動的な逸話
しかし、再びアルプスの話に戻ろう。ここには手の届かないほど高い荒々しい岩々があり、そこではまるで雲から溢れ出してきたかのように急流が険しい断崖を流れ下っている。
幻想的な形をした濃い霧の列は、おそらくあなたの驚きを誘うかもしれないが、それでもあなたの想像力の範囲を超えることはないだろう。しかし、この壮大な景色の絶えず変化し、偶然に生まれる美しさをどうやって伝えればいいのか!
時には、霧に覆われた嵐が孤独な谷を駆け抜け、そこに厳かな影を落とし、一方で周囲のすべてが眩しい光に輝いている。突然、すべてが……

Page 154

暗く陰鬱な空気。雷の音が岩から岩へと響き渡り、その恐ろしい反復にエコーでさえ疲れ果ててしまう。そこに夕暮れが徐々に近づき、山の頂上で太陽の最後の光が消えていき、夜の闇がまだ完全には訪れず、昇る月がかつての輝きを思わせるように微かに光っている。

今やすべてが静まり返っている――疲れ果てた人が高台の草地で仕事を始める前に、自然の女神が詩を紡ぎ出し、夜明けに彼を迎えてあげないだろうか?

ああ、彼女に伝えてほしい。思い出に導かれて何度も山の麓を訪れるその心が、富では決して与えられない祝福を求め、彼の静けさを分かち合いたいと願っていることを。

そこでは、あらゆる汚れた情熱が静まり、人は自然が与えるすべての恵みを大切に知る。嵐から逃れて愛する人の胸元に飛び込み、そこで安らぎながら穏やかな空を待つのだ。

言ってみよ、権力や富を持つ傲慢な者たちよ。お前たちが感じる喜びとこれらを比べることができるのか?嵐が迫る中で野心が達成されても、それでお前たちの不安が和らぐのか?

それとも、お前たちの華やかな姿を哀れむように見つめる、あの孤独な小屋の住人が、貧しくても自立した自分の運命に満足し、偉大であることの悲惨さを明かしてくれるのか?

お前たちには知られていない、家もなく苦しむ子供たち、友もいない巡礼者、飢えた貧しい人々。お前たちが無関心に与えてしまった善意は、彼らを養う手でありながら、実際には彼らをお前たちの門から追い払うのだ。

ここでは残酷な慈悲は何も与えず、助けるふりをしながら大きな苦しみを侮辱し、迎え入れる心はあらゆる悲しみを共有するのだ。

Page 155

そして、救うことのできない場合にのみ同情が生じるのだ。
これが今、私が去ろうとしているその光景、そのもてなしというものです。なぜ私が彼らの美徳を韻文にしようと思ったのかはわかりません。おそらく、私の散文が支えなしに続いていったからでしょうし、一時的な熱意を詩的なインスピレーションだと誤解したのかもしれません。実際、あらゆる思考や構想は普通の考え方をはるかに超えているため、このような間違いは許されるのです。特に、想像上の詩人が「Sublimi seriens sidera vertice」という言葉で始めるときはなおさらです。
さらば、
常にあなたのものです。
Lady’s Mag. and Repos., I-253, 1793年5月、フィラデルフィア。

オランダのことわざ。
Weekly Museum, VII, 1795年3月14日、ニューヨーク。
[Boston Mag., III-81, 1786年2月、ボストンにも掲載。]

オランダのことわざ。
Phila. Minerva, I, 1795年5月16日、フィラデルフィア。
[Boston Mag., III-81, 1786年2月、ボストンにも掲載。]

プロイセン王による詩。
Rural Mag. or Vt. Repos., I-494, 1795年10月、ラトランド。
[The Relaxation of War in Amer. Mag. or Mo. Chron., I-440, 1758年6月、フィラデルフィアにも掲載。]

Weekly Museum向けに。

ゴシック城。
「騎士道の時代は過ぎ去った。」
バークのフランス革命に関する手紙。

見よ!今、景色が消えていく、
昼の球が西へ飛んでいくにつれて:
厳かな夜が訪れる、
静寂を伴って。

聞け!波立つ岸辺が響き渡る、
岩から波が跳ね返る音:
その岩々は、垂れ下がった眉のように…

Page 156

荒波に育まれたサンフィールが生い茂る。
見よ、灯台の遠き光が
広大な水面を照らし、
港へ向かう船々に優しく、
見張りをする水夫の印となる。

見よ、あの陰鬱なゴシック様式の建物――
そこではかつて殺人が繰り返された――
敗れた者たちの恐ろしい地牢……
聞け!さまよう幽霊たちの叫び声を!

今、二重の暗闇が
各塔の暗い頂上を覆い、
フクロウの悲痛な鳴き声によって
楽しみの気持ちは怯えて逃げ去る。

破壊のために築かれた復讐心に満ちた壁よ!
地獄から来た罪悪の場所よ!
あなた方の恐ろしい警報は――
聞け!見張りが呼んでいる。「武器を取れ!」

ここで何人もの貴族が殺され、
鎧に閉じ込められて無駄死にした!
何人もの封建的な家臣が命を落とし、
人生の赤い潮が引いていった!

どんな秘密の苦しみがここに隠されていたのか!
どんな苦悩を人々が耐え忍んだのか!
黒い牢獄に閉じ込められ、
抑圧者たちの犠牲者として苦しんだのだ。

あの険しい塔はなんと陰鬱に立っているのか!
下の平野を見下ろすその姿は、
まるで傲慢に軽蔑しているかのようだ。

ここで私は封建時代を追体験するのだ。

Page 157

貴族の権力――貧者の恥辱――
ここでそれが形作られている間、誰もが見ることができる。
「騎士道の記念碑」を。
オーランド。
1796年8月13日。
『ウィークリー・ミュージアム』第9巻、1796年8月13日、ニューヨーク。

アルプスの農夫。
『フィラ・ミネルヴァ』第3巻、1797年8月19日、フィラ。
【ニューヨーク・マガジンまたは『リット・レポーズ』第3巻443ページ、1792年7月、ニューヨークにも掲載】

プロイセンの水の王。
『ラーリャル・マガジン』第1巻、1798年7月21日、ニューアーク。
【『アメリカン・マガジン』または『モンスター・クロニクル』第1巻440ページ、1758年6月、フィラにも同じ内容が掲載】

水の王。
デンマークのバラード。『勇敢なアロンゾ』の著者による。

【詩が続く。】
これらの詩を書いて以来、「水の王」といくつか共通点のある古いスコットランドのバラード二つに出会った。一つは「メイ・コルヴィン」という題で、偽りのジョン卿によって父親の家から連れ去られた王女の物語である。もう一つは「クラーク・コルヴィル」という題で、偽りの人魚の罠にはまった若者の話である。後者は実際、「エル王の娘」というデンマークの伝承とさらに奇妙な類似点を持っている。「水の王」の断片は『ヘルダーの民謡集』に見られる。
数ページ前に述べた原始的な君主たちについて多くの問い合わせがあった。水の王(ドイツ語訳では「デア・ヴァッサーマン」)やエル王(ドイツ語ではエルクーニヒ)について私が知っていることは、前述のバラードおよびここに挙げる他の二つのバラードから得たものだけである。火の王や雲の王については、完全に私自身の創作であるが、読者の方々がそれらを「コント・ド・ガバリス」の作品だと考えるなら、喜んで受け入れる。
『ウィークリー・マガジン』第3巻92ページ、1798年8月18日、フィラ。
【J. G. ヘルダー、『Stimmen der Völker in Liedern』第4巻(北欧の歌)所収の「デア・ヴァッサーマン」。ドイツ語からの翻訳。M. G. ルイス、『修道士と奇跡の物語』。『ウィークリー・マガジン』第3巻93ページ、1798年8月18日の「エル王」に関する注釈を参照。】

ウェルターからシャーロッテへの挨拶。

Page 158

「万物には涙あり、それは人の心を揺さぶるのだ。」
ウェルギリウス『アエネイス』I-466

戦いは終わった――ああ、愛しい乙女よ、さらば!
この悲しくも別れを告げる言葉を前にして、
夜明けと共に花開く野原の前で、
あなたのヴェルターは静かな墓の下で安らいでいる。
もはや日の美しさを見ることも、
あなたの天々のような歌声を聴くことも、
喜びに満ちてあなたの話を聞くことも、
夕暮れ時にあなたと共に散歩し、
曲がりくねった川辺を歩き、
緑の野原や木陰の中を歩くこともない。
ああ、シャーロットよ!もし川の水が溢れ、
冬の嵐が空から降り注ぎ、
平野が暗闇に覆われ、
周囲が雪に覆われて荒涼とした姿になったとき、
あなたもまた悲しみのためにため息をつき、
夏の夜の楽しみを思い出すのではないか?
あなたが何度も見てきたあの時を――
緑豊かな場所で、または森から近づいてきて、
あなたの魅力を見つめ、絶望的な愛の中で苦しんでいたあの時を。
あなたの天使のような姿を見つめるのだ。彼女がいなければ、
この世界は私にとって果てしない虚無に思えるのだ。
まるで船乗りたちにとって、真夜中の空から
月の明るい光が輝かしく昇り、
彼らが水の広がる平原を進む道しるべとなり、
再び故郷の岸辺に到着させてくれるように。
そう、シャーロットよ、私には他の喜びは見えない。
ただ時間を過ごし、あなたを見つめ、
あなたの喜びの中で生きるか、あるいはあなたの悲しみの中で死ぬだけだ。
「そして、あなたの瞳から甘美な毒を飲むのだ」
まるで命を落とす昆虫が蝋燭の周りを飛び回り、
自分を滅ぼす運命的な炎に近づくかのように。
しかし、シャーロットよ、今やその儚い喜びは消え去り、
ヴェルターは静かな死者たちの中に沈み、
人生の明るい希望も永遠に失われてしまったのだ。

Page 159

彼の記憶は失われ、名前さえも知られていない。
やがて時が来れば、空虚な心の中で、
最も親しい友人でさえ私の痕跡を見つけられなくなるだろう。
私の家族でさえ私の悲しい運命を知り、
涙なく私の朽ちゆく墓を見つめるだけだろう。
心に残るかすかな印象を思い出してほしい——
それは真夜中の夢のように消え去り、何の痕跡も残さないのだ。

今宵、私は美しい景色の中を彷徨った。
肥沃な谷々や平らな緑地を歩きながら、
物思いにふけり悲しみながら、泡立つ川を眺めた。
荒れ狂う風が静かな森を乱す。
輝かしい太陽が夜の西の海の向こうへ沈んでいくのを見た。
丘の上に立ち、その光を見つめながら、
海の中に沈んでいく太陽を見ていた。
私の心は二重の悲しみで満たされ、
人生最後の希望も私の胸から消え去った。
世界の広大な景色は永遠に視界から消え、
すべてが永遠の夜に包まれた。

ああ!この悲しみと苦悩に満ちた世界で、
もう二度とあなたの姿を知ることはないのだろうか?
それとも天国には、不幸な人間のための場所があるのだろうか——
曲がりくねった谷や木陰の多い森、
天上の楽園で、いつの日かシャーロットの魂と私の魂が出会い、
私たちの苦しみが終わり、幸せが完全になるのだろうか。
永遠の光が満ちるその場所では、すべてが完璧な喜びと純粋な楽しみに満ちているのだ。

夏の夕暮れ時に、もしあなたが偶然、
低い谷間や広い道を歩いていたり、
教会の庭で木陰を通り過ぎていたりするなら、
真夜中の風の音が聞こえるだろう。
孤独な暗闇の中で、草が揺れているのが見える——
それはあなたの恋人の墓の周りで起こっているのだ。

Page 160

ああ、では、もう一つだけ、悲しい思いを彼に与えてはくれないのか。
彼は、あなたと共に束の間の喜びを分かち合い、
あなたの魅力を眺め、あなたの揺れる瞳を見つめ、
あなたの心の美しい姿を観察し、
天国のためだけに創られた魂を明かし、
あるいは木々の間にいるあなたの姿や、
風に揺れるあなたの白い髪を見ることさえできないのか。
あるいは、あなたの指が優しく音を奏でるのを見るのか――
それは天国にいる吟遊詩人だけが奏でられるような音であり、
オルフェウスでさえも耳を傾け、プルートの魂から涙を引き出すほどの音だ。
そう、シャーロット自身が、私の悲しい姿を見るだろう。
そしてシャーロットの優しい心は、私のためにため息をつくだろう。
『真のアメリカ人へのデザート』第20号、1798年11月24日、[フィラデルフィア]。

ドイツのロマンチックなバラードが書かれている文体を風刺したこの作品は、機知とユーモアに満ちており、その文体の最大の愛好家であっても楽しめるものと思われます。ただ一点、ホッパーガロップ卿が自分の田舎の屋敷に使用人の娘を残しており、彼女はそこで庭師と関係を持ってしまったという設定が必要です。

冷たい風が吹き荒れ、夜は暗く、
屋敷の壁はガタガタと音を立てる。
太陽は沈み、他のどの荒野と同じように、
そこもまた真っ黒だった。

一人で、青白く、震えながら火のそばに座っているのは、
可憐なモリー・ダンプリング。
彼女はトーマス、つまり庭師が何者なのかを、
大変恐れつつも、同時に感心していた。

耳を澄ませながら、彼女は手で顎を支えている。
しかし、ああ!足音は全く聞こえない。
彼は庭から中に入ってこない。小さなボブテイル犬もだ。

甘い乙女よ、彼らはあなたのもとに来ることはできないのだ!

Page 161

人間の肉も動物の肉も、すべては草に過ぎない!
不可能なことは、決して成し遂げられない。
決して、絶対に実現しないのだ!

彼女は古びた廊下を行ったり来たりしながら、
労働中のトーマスを呼んだ。
巨大な扉を開けると、ヒンジがきしむ——
ヒンジに油がなかったからだ。

三度、廊下の敷居で、「トーマス」と叫び、
何度も泣きじゃくった。
そして三度、ボブテイルを呼び、
甘い声で「ボブ!ボブ!ボブ!」と叫んだ。

無駄な努力よ!庭師の死体は、
返事をすることなどできないと言われている。
また、死んだ後でも聞こえる犬というのは、
実に賢い犬なのだ!

再び廊下を戻りながら、
周りはすべて静寂に包まれていた。
ろうそくからは弱々しい光が漏れていた——
たとえそれが一ポンド四オンスもする大きなろうそくであっても。

彼女は火のそばに身を寄せた。
頬を伝って塩辛い涙が流れ落ちた。
すると、見よ!外に棺が飛んできて、
彼女のエプロンに穴が開いた!

クモたちは忙しく死を待っていた——
それは運命が厳しい顔をする兆候だ。
不器用な台所の時計もカチカチと音を立てていた——
それもまた、まだ終わっていない証拠だった。

恐怖はますます強くなっていった——
彼女自身の影が彼女を怖がらせた。
自分の美しい鼻を見て震えた——
その鼻は壁に向かってとても長く伸びて見えた。

Page 162

湿気と寒さに満ちた自分の部屋まで、
彼女はホッパーガロップ卿の階段を上った。
三階建てで、長く、陰気で古びていた——
高貴な者たちの住む家というのは大抵そうだ。

今や自然そのものが静止しているようだった。
「世界の半分は死んでしまったかのようだ」。
彼女には「カーテンで覆われた眠り」などなかった——
ベッドにカーテンがなかったからだ。

彼女は耳を澄ませて横になっていた。
金属的な音と共に時計が十二時を打ち、ドアが勢いよく開いた。
そこには、冷酷な表情のトーマスが、小さなボブテイルを連れて入ってきた。

彼の背はポプラの木のように高かった。
ベストはネギのように緑色で、目はビーツのように赤かった。
頬はターニップのように青白かった!

その幽霊を見るなり、恐怖に襲われた少女はかすかに言った。
「私のトーマス、どうしたの?」
彼は答えた。「おお、モリー・ダンプリング!私は死んでしまったのだ。」

「若さの盛りで命を落とした。健康そのものの花冠を戴いたままだ。病気ではなかった——井戸に落ちて溺れてしまったのだ。」

「お前の愛もまた四ファゾムもの深さにある。
彼の忠実な犬も同じ運命を辿った。
我々は友達だ——これは私と彼ではない。
我々はここにいない——我々はあそこにいるのだ。」

「そう、我々は二人の水の悪魔だ。
荒野の乙女よ、今すぐ我々のもとへ来い!
お前の時が来た——我々はお前を迎えに来たのだ!」

Page 163

その小悪魔のような子供は「ボウ・ワウ!」と言った。

「彼女を冷たい墓の中に閉じ込めるために、
乙女が好むオランダ製のシーツを用意しよう。
水でできたシーツも与えよう――
オランダの堤防にはそうしたシーツがあるのだ。」

悪魔たちが近づいてくると、乙女は怯えた。
夜の汚れた空気の中を素早く動き回り、彼らは彼女を緑の井戸のほとりへ連れて行き、
力ずくで彼女をその中に突き落とした。

『Dessert to the True American』、第27号、1799年1月12日、フィラデルフィア。
【著者は明らかにビュルガーの『レノーレ』を念頭に置いてこれを書いたのである。】

【ドイツのロマン主義的バラードが多く書かれている文体を風刺した作品。】
『Phil. Repos.』、第I巻328号、1801年8月22日、フィラデルフィア。
【同じく『Dessert to the True American』、第27号、1799年1月12日、フィラデルフィア所収。】

ポートフォリオ用に。

『An Author’s Evenings』。
コロン&スポンディ社発行。
最近イギリスから届いた最も新しく、最も楽しめる雑誌の中に、「Tales of Terror」という題名の詩集がある。これは、ルイスの有名な小説『The Monk』に収められている様々なバラードを風刺する目的も含まれている。このイギリス議会議員は、ゴシック的な迷信やドイツ式の恐怖を駆使して読者を怖がらせ、楽しませてきたことで知られている。そのため、私たちはさまざまな姿をした幽霊たちに悩まされてきたのだ。そして「雲の王」や「水の王」、「火の王」といった存在が、この詩的な魔法使いによって創造され、想像の世界で専制的に支配するようになったのである。才能に恵まれ、詩作が得意で、ユーモアがあり、パロディにおいても類いまれな才能を持つこの作家は、自身の「Tales of Terror」の中で、ルイスの悲哀に満ちた文体、あるいはドイツのカラスのような甲高い声を嘲笑っているのである。有名な童話をもとにした次の風刺文を書くことで、真夜中の時間も楽しく過ごせるだろう。読者の皆さんも、私たちがこんな遅くまで起きて楽しませてくれることに感謝してくれるだろう。

『狼の王』
または
『赤ずきん』
老婆の物語。

Page 164

ペルシウスよ、古き歌を肺からあなたに明かそう。
『水の王』などの著者によるデンマーク語訳から翻訳し、かの名高いバラードに対する彼の優れた翻訳を模倣しようとする謙虚な試みとして、
M・G・ルイス弁護士、下院議員殿に敬意を表して捧げます。

鳥たちは歌い、朝は微笑んだ。
母親は愛する子を抱きしめ、
そして言った……「あなた、カスタードを三つ持って行って、おばあちゃんのところへ届けてね。」

美しい少女は頭に
赤い小さな乗馬用の帽子をかぶっていた。
彼女が人里離れた森を通り過ぎると、
人々は彼女のことを「赤い小さな乗馬用帽子の少女」と呼んだ。

彼女はかごを腕に提げ、
無邪気に歌いながら進んでいった。
「丘の下に一人の女性が住んでいて、
もし去っていなければ、今もそこにいるのよ。」

狼の王は彼女が通り過ぎるのを見て、
彼女の持つカスタードや歌声を聞き、
叫んだ。「その子供とカスタード三つは、
今夜の私の夕食になるぞ!」

少女は急いで走り続け、
心配することなく悲しげな歌を歌い続けた。
彼女が暗い森を抜ける頃、見よ、狼の王がすぐそばに立っていた。

「おお!こんなに可愛い私の子よ、止まりなさい!
おお!どこへ行くのですか?」
「私とカスタード三つは、
おばあちゃんのところへ行くのです。」

「あなたがあの青い鐘が咲く山の方へ行っている間、
私はこの道を行くわ。だから急いで、ね、
さもないと私の方が先に着いてしまうわ。」

Page 165

「そして私たちの競争が終わったら、
もし私が勝ったら、あなたはキスを失うことになります。
もしあなたが先に到着したら、
あなたの報酬は大麦糖と真珠です。」

「ああ!ありがとうございます、優しい狼さん」と彼女は言い、
丁寧なお辞儀をした。
するとその少女は急いで出発し、
青い鐘の山のふもとへ向かった。

狼は湿地や荒野を駆け抜け、
かすかにおばあさんのドアをノックした。
「お願いです、優しいおばあさん、中に入らせてください。
私は小さな赤いマントの子ですから。」

「糸巻きを引けば、ドアがすぐ開くわ」とおばあさんは言った。
狡猾な狼は糸巻きを引き、
すぐにドアが大きく開いた。

狼は寝室を8回往復し、
3回も恐ろしい咆哮を上げた。
そして寝室を9回往復し、
ついに可哀想なおばあさんを食べ尽くした。

狼は彼女の脳を石の上で叩き潰し、
筋肉を噛み砕き、骨を折った。
心臓をかじり、血を飲み干し、
肝臓や内臓も引き裂いた。[41]!!!

狼はすぐにおばあさんのベッドに入り、
彼女のナイトキャップを自分の顎の下に結びつけた。
そして運命の獲物を待ちながら、
布団の中で快適に横になった。

その時、ドアの外から声が聞こえてきた。
「私はカスタードを3つ持ってきました。
お願いです、優しいおばあさん、中に入らせてください。」

Page 166

「私は小さな赤いかぶりものの子よ。」

「糸巻きを引けば(狼王が叫んだ)、
ドアがすぐに大きく開くのだ。」
可愛い子は糸巻きを引き、
するとドアがすぐに大きく開いた。[42]

彼女はカスタードを床に置き、
ため息をついて言った……「あなたに四つ持ってきてあげればよかったのに。[43]
とても疲れました、おばあちゃん。
ああ!一緒にベッドで休んでもいいですか?」

「さあ、来なさい!(狼王が優しく叫んだ),
私のそばに横になりなさい、可愛い子よ。」
ああ!楽しそうな子供は、
残酷な狼王が自分のそばにいるなんて思いもしなかった!

「ああ!教えてください、おばあちゃん、
どうして声がこんなにしゃがれているの?」
「ああ、静かにして、可愛い子よ(狼王が言った)、
頭が少し風邪をひいただけよ!」

「ああ!教えてください、優しいおばあちゃん、
どうして後ろに尾が生えているの?」
「ああ、静かにして、可愛い子よ、
それは私のピンクッションを吊るしているからよ!」

「どうして目がそんなに鋭く光っているの?」
「それはあなたの美しい顔を見るためよ。」
「どうして耳がそんなに長く見えるの?」
「それはあなたの美しい声を聞くためよ。」

「ああ!教えてください、おばあちゃん、
どうして今夜は歯がこんなに長くて白く見えるの?」[44]
すると狼は怒りながら叫んだ、「それはあなたをバラバラに引き裂くためだ!」

狼王は飢えた歯をぎりぎりと鳴らした。

Page 167

彼の怒りに満ちた目はきらめき、
血で真っ赤になった顎を開けて、
小さな赤いマントを着た少女に襲いかかった。

彼は彼女の内臓を一つまた一つ引き裂き、「
お嬢さん、お前を食べてやる!」と言った。
しかし三つ、四つ引き裂かれると、
その小さな少女はもういなくなっていた!

美しい子供たちよ、これを教訓にせよ。
狼の狡猾な策略に警戒しなさい。
そして、人里離れた森を通るときは、
ああ、小さな赤いマントを着た少女のことを思い出しなさい!

カスタードを持って行くときも、ぐずぐずしてはいけない。
道中で青い鐘を集めてもいけない。
おばあさんと一緒に寝てはいけない。
そうすれば、彼女が飢えた狼に変わってしまうかもしれないから!
ポート・フォリオ、II-173、1802年6月5日、フィラデルフィア。

以下の独特で独創的な作品は、オールバニに住むある老人の書類の中から発見されました。この手稿は時間の経過によってかなり損傷しており、また古い痕跡も多く見られるため、少なくとも1世紀以上が経過していると安全に推測できます。賢明な読者なら、これが田舎に住むオランダ人の若者が、しばらくオールバニの街に住んでいたと思われる恋人に送った恋文に他ならないことは容易に理解できるでしょう。

ハンスからノッチーへの手紙

私の愛しいノッチーよ、ハンスはどう感じているだろうか。
あの意地悪なノッチーはどこにいるのか。
一体何が原因で、あなたはずっとそこに留まっているのか。

私は昼も夜も眠れない。
こんな苦しみの中で燃え尽きていく。
だから、夜が明けるとすぐに、彼女は彼の帰りを待っているのだ。

Page 168

フクロウは鳴き、猫は鳴き声を上げ、
犬は遠吠えし、嵐も轟く。
これ以上苦しみを感じることはない、
卑劣なノッチーはもういないのだ。

最近私は上着を手に入れた、
それは真鍮のように柔らかく、
下着のように薄く、
バターミルクほど軽い。

急いで来てくれ、愛しい人よ、
父が死にそうなのだ、わかるだろう?
ヤコブスも自分の小さな家に帰っている、
私たちは一緒に冒険しよう。

私はアメリカ人のところへ行く、
船よりも速く、
あなたの小さな心を連れ去ってしまうつもりだ、
私たちの馬も同じように走るだろう。

もし誰かがあなたの心を惑わせようとしたら、
私の馬たちが彼を引きずっていくだろう、
そして私の足元で素早く追い払う、
私はどんな馬よりも速い。

あのヴォントーフェンよ、私の親愛なる友よ、
あなたがどこにいても必ず会いに行く、
この赤い馬車を送ってやる、
どうか死なずに、私のことを思っていてくれ。

ポート・フォリオ、II-176、1802年6月5日、フィラデルフィア。
【第1節の「se feel」。「se」はオランダ語の単語ではなく、動詞「feel」(感じる)もオランダ語では自反動詞ではない。第3節と第6節では「will」の代わりに「mill」という言葉が使われているが、これはおそらく誤植である。なぜならオランダ語では「w」という音は特に保持されやすく、ドイツ語の場合のように「m」に置き換わることはないからだ。「Brokenbrooks」は造語である。上記の情報はコロンビア大学のWm. H. カーペンター教授およびフィラデルフィア在住のオランダ領事代理アーノルド・カッツ氏から得られたものである。】

HRIM THOR、または冬の王

Page 169

ラップランドのバラード
「恐怖物語」からバラードを書き写すことに、私はすぐに飽きることはない。それらは天才の真の作品なのだ。私たちは多才な案内人に導かれ、時には涙の谷へ、時には喜びの広間へと連れて行かれる。しかし、彼がどこへ導こうとも、私たちは喜んで従い、常に分別があり、音楽的な才能を持つ仲間と共にいるのだ。ルイス氏自身がその隠れた著者ではないかと思えてならない。彼が自作のバラード『勇敢なアロンゾ』をいかに見事に改作したかは知っているし、この作品集においても彼が同じことをしている可能性が高い。

【詩が続く】
ポート・フォリオ、II-195、1802年6月26日、フィラデルフィア。
[M. G. ルイス『恐怖物語』、1799年、ケルソ。18ページ参照]

幽霊の王、グリム、
または死の舞踏。
ポート・フォリオ、II-199、1802年6月26日、フィラデルフィア。
[M. G. ルイス『恐怖物語』。18ページ参照]

愛するオニソンの死について。
デンマーク語の碑文から翻訳。
T. キャンベル氏著。
ポート・フォリオ、II-352、1802年11月、フィラデルフィア。

1801年の秋、ドイツにて書かれる。

おお、致命的な秋よ、そしてその色あせゆく葉よ、
君のように陰鬱で悲しげな君を私は愛する。
君のような喜びに満ちた春でも悲しみを和らげることはできず、
華やかな夏でさえも痛む心を慰めることはできない。
しかし、君の陰気で孤独な庭で、
様々な木陰の下で、私は横になるのが好きだ。
夕暮れ時の憂鬱な時間に、
不吉な雲が低く垂れ込めた空を覆い、
音のない鳥や色あせた花々が現れ、
悲しみに暮れて頭を垂れ、去りゆく年を悼むのだ。

それは陰鬱な空や去りゆく年のせいではない。

Page 170

私が嘆くのは、冬の厳しい季節ではない。
いなくなった友たち――そして命よりも大切な人――
二度と戻らない喜びたちのことだ!
おお、優しい希望よ、シベリアの雪の中でさえ、
不幸な流刑者の長い日々を慰めてくれる。
そして、憎むべき抑圧の下で太陽が輝く場所でさえ、
ため息を止め、流れる涙を拭ってくれる。
あなたの優しい配慮、あなたの助けを願う。
おお、天からの声を上げて、もう泣かないようにしてください。

あなたは私の祈りを聞いてくださる――あなたの聖なる炎を感じます。
未来の喜びが次々と訪れ、
互いの愛と友情――神聖な名前!
そして故郷や、私が大切に思うすべての祝福。
あなた、記憶よ、力を貸してください。そうすれば、
私が愛するすべての友たちや、最も大切な場面들が、
画家が描いたものよりも鮮明な姿で、
あなたの筆の魔法によって現れます。
どうか、この長い時間が過ぎ去り、
真実が実現し、美徳がその光景を祝福する日が来ますように。
——R.
N. E. Quarterly Mag., No. III-271, 1802年10月~12月、ボストン。

アルベルト・フォーエルデンドルフ
または、真夜中の抱擁。
ドイツのロマンス。
Nocturnus occurram furor. Hor.
Port Folio, IV-334, 1804年10月20日、フィラデルフィア。
[M. G. Lewis, Tales of Terror, 1799, ケルソー]

M.R.ハンデルの死について。
彼が1759年に『メサイア』というレント期間用のオラトリオを演奏している最中、体力が尽きて、演奏していたオルガンの鍵盤に頭を伏せてしまった。やっとのことで再び立ち上がったが、その後も演奏を続け、最後までやり遂げた。家に運ばれ、そこで亡くなった。

Page 171

魂を溶かし、耳を魅了するために、
(天使たちでさえそのような旋律を聴きたがるだろう。)
地上で天国の喜びを予感させるために――
それがハンデルの使命であり、彼にはその力が与えられていた。

ああ、彼がやがて『メシア』の賛歌を、
天界のような音色と美しいメロディーで奏でた時――
最後の別れを告げるかのように、彼の弱々しい眼差しがそれを表しており、
思うに、それこそが魅了された群衆への呼びかけだったのだ。

「さらば、私の最愛の友よ、そしてあなたも――
神聖な調和の子らよ、さらば!
アポロンが囁き、私に退くよう促し、
輝かしいセラフィムの合唱団に加わるよう命じるのだ。」

「おお、エリヤの戦車よ!」と偉大なハンデルは叫んだ。
メシアは彼の声を聞き、ハンデルは死んだ。
『ボストン・ウィークリー・マガジン』、II-208、1804年10月20日、ボストン。

『この世紀で最も寒い日のひとつに、ドイツで書かれた詩』
W・ワーズワース著。
『ポート・フォリオ』、IV-342、1804年10月27日、フィラデルフィア。
[ウィリアム・ワーズワース、同上。
「北ドイツのストーブには一般的に駆ける馬の模様が描かれており、これはブラウンシュヴァイク家の紋章の一部である。」]

『この世紀で最も寒い日のひとつに、ドイツでW・ワーズワースによって書かれた詩』

「ドイツ語やノルド語なんてどうでもいい、
やつらにはやつらの言葉を使わせておけ。
私にはやかんの歌や、つまようじや火かき棒の歌を聞かせてくれ。」――W・ワーズワース

[ドイツについて何の言及もないこの詩が続く。]
『ポート・フォリオ』、IV-342、1804年10月27日、フィラデルフィア。

Page 172

ファウストゥスに反して。

作家たちを軽蔑しながらも、ファウストゥスは依然として
今新たに語られることなど何もない、古くから語られてきたことばかりだと考えている。
よし、ファウストゥスよ、私の知性が粗雑で鈍いと言えばいい。
その言葉の代わりに私がお前にコインを一つ与えないからだ。
これでお前が間違った見解を持っていることが証明される。
私はお前を立派な身分の男、約束を守る男、優れた才能の持ち主、高貴な家系の出で多くの土地を所有する者だと言う。
お前は偽りのサイコロやカードで遊んだことはなく、
未亡人や妻、娘を汚したこともない。
そして誓い事に関しては、この国中で
これほど言葉によって呪ったり冒涜したりする者はいない。
要するに、お前の美徳はあまりにも稀有で素晴らしく、
我々の歌全体の模範となり得るのだ。
これは、断言してもよいが、これまで誰も言ったことがない。
これもまた、断言してもよいが、これからも誰も言うことはないだろう。
ポート・フォリオ、IV-383、1804年12月1日、フィラデルフィア。

有名なスイスの歌、

「牛の行列」。

「スイス人にとって非常に大切なこの歌は」とルソーは言う、「フランス政府によって、フランス軍に仕えるスイス兵たちの間で演奏することが禁じられた。違反者には死刑が科せられた。なぜなら、この歌は彼らが故郷で目撃した光景を強く思い出させ、再び故郷を見たいという強い願望を呼び起こし、涙を流させたり脱走させたり、それでも望みが絶たれれば自殺に追い込んだからだ。」

いつまた、いつか、
私の愛するすべてのものたちに会えるのか?
澄んだ小川たち、
私たちの村々、
山々、
そして私たちの田園地帯の装飾である、
とても可愛らしいイザボーに?
ヤナギの木陰で、

Page 173

いつ、フルートの音に合わせて踊れるのか?

いつまた、一日のうちに、
私の愛するすべての人々に会えるのか?
父上、
母上、
兄弟たち、
姉妹たち、
私の子羊たち、
私の家畜たち、
そして私の羊飼いの娘よ——
いつまた、一日のうちに、
私の愛するすべての人々に会えるのか?

直訳版:
いつまた、一日のうちに、私の愛するすべての美しいものたちを見ることができるのか?——清らかな小川、
私たちの小屋、村々、山々、そして田園地帯の装飾である優しいイザベル——
広がるウルムの木陰の下で、いつまたタボールの音に合わせて踊れるのか?
いつまた、一日のうちに、私の愛するすべての美しいものたちを見ることができるのか?——父上、母上、
兄弟たち、姉妹たち、私の子羊たち、私の家畜たち、そして忠実な羊飼いの娘よ——
いつまた、一日のうちに、私の愛するすべての美しいものたちを見ることができるのか?
ボストン、1805年1月30日。
『ボストン・ウィークリー・マガジン』、第III巻60ページ、1805年2月2日、ボストン。

ポートフォリオ用。

スカングラディヴィアの英雄

スコグル。
戦場の塵っぽい野原の真ん中から、
北極星の向こう側の王国へ、
響き渡るヴァルハラの広間へ、
私は英雄が倒れる前に彼を運ぶのだ;
勇敢な者たちはその場所に住み、
祝宴を楽しむ神々の間に座っている;
彼らが持つのは豪華な杯でも金の壺でもなく、
蜂蜜酒が入った頭蓋骨だ;
一方、臆病者は息を切らしながら……

Page 174

ヘラのもとへと暗く沈んでいく。

ハロルドよ。
ああ、争いによって得たものを、
終わりなき朝の世界へと運ぼう。
オーディンの宴席で、私はその勇敢な者たちが飲む泡立つ酒で唇を洗おう。

オーディンよ。
戦場の塵を払いのける者、
死神はその轟音を立てる戦車に乗ってやって来る。
旋風の轟く塔の上に座し、
黒い嵐の力がやって来る。
勇士たちよ、立ち上がれ。首長たちよ、道を開けよ。
若々しく輝く神のような客人、
戦場から来たハロルドを迎えよ。
不死の祝宴を始めよう。

ポート・フォリオ、V-120、1805年4月20日、フィラデルフィア。

ウェルターの墓碑銘。
フィラデルフィア・レポーズ、V-164、1805年5月25日、フィラデルフィア。
【また、アメリカン・ミュージアム、I-474、1787年5月、フィラデルフィアにも所蔵】

フレデリック二世に捧げる祈り
詩人たちのために。

神々よ!恵まれた吟遊詩人たちは皆、
詩作に必要な才能をあなた方から授かっている。
どうか彼らに真実を教えてください。彼ら全員がそんな悪しき嘘つきであるはずがありません。
ボストン・マガジン、I-12、1805年11月9日、ボストン。

夜明け時の助けを求めて。

Page 175

太陽の光が青い空を切り裂き、
山の頂を光で照らす。
猟師たちは犬や角笛を持って立ち上がり、
雪の中をシカを追いかける。

岩から岩へと、巨大な棒を使って、
彼らは高い場所を移動する。
音によって空気が震え、
凍った大地が崩れ落ちないように、彼らは声を出さない。

ヤギたちはゆっくりと、いつもの道を進む。
険しい斜面や荒れた尾根を登っていく。
野生の狼は、それらを獲物として狙い、
砂漠の洞窟や木々の間から待ち構えている。

激しい滝の音が響き渡り、
岩壁がその音に反響する中、
小屋たちは朝の雲の向こうから姿を現す。
まるで鷲の巣のように、高い場所にあるのだ。
『夕べの火辺』II-74、1806年2月8日、フィラ。

この見事なパロディ作品においても、作者の才能はもちろん、その表現力もまた素晴らしい。私たちはこれまで何度もドイツの戯曲を軽蔑してきたが、天才的な才知と礼儀正しい学者としての視点をもって、ドイツの文学に対する私たちの見解をさらに強化できることを喜んでいる。

『ドイツ演劇への頌歌』
スーウェード氏作
グレイの『逆境への頌歌』のパロディ

夜の娘よ、混沌の女王よ!
現代の戯曲の源泉よ、
その乱雑な筋書きや退屈な場面によって、
君主はそれを拒み、盗人たちはそれを利用する。
お前の邪悪な魔法によって、
観客は地獄の苦しみを味わうのだ。
そしてブリトンの子らは怒りに満ち、
これまで感じたことのない苦痛を抱え、これまで知られていなかった罪に対して憤るのだ。

Page 176

初めに、国中の人々を驚かせるために、
愚か者がその塗られた仮面を見せつけた。
シラーは崇高な狂気の中にいた。
コッツブーもまた力を貸した。
巨大な二人組!彼らの高貴な魂は、
理性の弱い支配を軽蔑し、
変わりゆくブリテンに打撃を与えた。
ブリテンは自分自身のことなど顧みず、
虚構の悲しみを受け入れたのだ。

お前の恐ろしい怒りに怯えて、
美しい喜劇の存在たちは逃げ去る。
軽やかな風刺や機知、無害な喜びもまた去り、
私たちには地獄や鎖、血だけが残る。
彼らはすぐに散っていき、彼らと共に、
穏やかなオットウェイや感傷的なロウも去る。
コングリーヴは怒りの眼差しをそらし、
シェイクスピアはこの奇妙な光景を見て嘆く。

豪華な衣装をまとった悪党たち、
深い思索にふける乙女たち、
夜の闇をさまよう幽霊たち――
これらがお前の変わらぬ主題だ。
一方、お前の冥界の流れの中で、
宗教は滅びた火を嘆き、
ヘメンの神聖なたいまつも弱々しく燃え尽きていく。

おお、ブリテンの舞台で優しく、
偉大なる無政府主義者よ、お前の黒い翼を広げよ。
王たちに向けて矢を放つ時のような激しい怒りではなく。
お前が本来の姿で現れる時、
乱れた髪、疲れ切った様子、
墓のような鎖や恐ろしい叫び声――
それらは専制の技術によって恐ろしい貧困の中に閉じ込められている。

見かけ上は美しい姿で現れよ、恐ろしい女王よ!

Page 177

虚偽がこの荒涼とした場所を満たそう;
お前の民主主義的な戯言もここにあれ、
人々の脳を刺激し、趣味を堕落させるために。
善良な人々も邪悪な愛に惑わされ、
私に愛し合い結婚することを教え、
卑しい傲慢さに屈し、既存の秩序を軽蔑し、
すべての追放者を友と呼ぶのだ。
ポート・フォリオ、I-92、1806年2月15日、フィラデルフィア。

『結婚式の歌』
カーの『北方の夏』より。

ここでは、野心が求めるあらゆる華やかさから遠く離れ、
多くの人々が渇望するが、実際には味わう前に称賛されるだけで、
満足と純真さ、そして赤らんだ頬を持つ人々が、
自分たちの手で作り出した素朴なものを楽しんでいる。

陽気な岩の上にそれは立っており、その縁取られた基部は
遠くの滝の流れる水に洗われている。
その草むらに覆われた屋根の上では、白樺の細い枝が優雅に揺れている。

背後では、森のモミの木がため息をつく音が聞こえ、
思慮深い耳はその音を楽しむ。
そして、見物している見知らぬ人が通り過ぎると、
草を食んでいる山羊が顔を上げて鈴を鳴らす。

ああ!人生が終わる前に、故郷で、こんなにも野性的で甘美な場所が私のものでありますように!
ウィークリー・ヴィジタント、I-63、1806年2月22日、セーラム。
[サー・ジョン・カー著『北方の夏、または1804年のバルト海周航記』、ロンドン、1805年。]

『死への頌歌』
プロイセン王フリードリヒ二世作。ホークスワース博士によるフランス語からの翻訳。
ポリアンソス、I-270、1806年3月、ボストン。
[また、ニューヘイブン・ガゼット&コネチカット・マガジン、I-339、1786年12月7日、ニューヘイブンにも掲載。]

Page 178

踊る熊。寓話。
[おそらくゲラートの同名の寓話に触発されたものだが、内容は大きく異なる。ゲラートの詩の翻訳が掲載されているPort Folio, I-400, 1801年12月12日、フィラデルフィアを参照のこと。]
Emerald, I-118, 1806年7月5日、ボストン。

M・G・ルイス氏による次の歌は、同氏によればフランス語から翻訳されたものだが、歌に登場する若者はドイツ人のようだ。思想は美しく、リズムも流麗である。

ジュリアが眠っている間に、一匹の狼が彼女の大切な子羊を奪ってしまった。若きカスパーは助けに駆けつけ、震える子羊の叫び声を聞いた。彼は狼をその場から追い払ったが、報酬としてキスを要求した。「ああ、ジュリア、カスパーが来なければよかったのに。」

感謝の気持ちで胸が温まる中、彼女は自分がその若者を愛していることを認めた。若者も永遠の愛を告白し、何度もキスをした。これほど愛し合う二人は他にいない。彼らは長い日々を共に愛し合った。「ああ、ジュリア、カスパーが来なければよかったのに。」

やがて太陽は光を消し、夜が眠りを呼んだ。愛し合うジュリアは立ち上がり、別れを告げ、羊たちを連れて家路についた。ああ、彼女の心は変わってしまったようだ。私は彼女がこう言うのを聞いたのだ。「ああ、ジュリア、カスパーが来なければよかったのに。」Port Folio, II-94, 1806年8月16日、フィラデルフィア。

Page 179

『スイスの放浪者』より抜粋
ジェームズ・モンゴメリー著、ロンドン、1806年。
ポート・フォリオ、II-369、412、1806年12月20日、31日、フィラデルフィア。
【ジェームズ・モンゴメリー『スイスの放浪者およびその他の詩集』、ロンドン、1806年。第2回ロンドン版からの最初のアメリカ版——ニューヨーク、1807年。第VI部および第I部からの抜粋。序文を参照。】

ルーン詩
ハヴァルドゥルの幽霊
C・レフトリー氏作

勇敢な戦士アングリーグムの子よ、
荒野をさまようのをやめよ。
止まれ、ハヴァルドゥル、馬を止めよ。
お前の死、血なまぐさい死が定められている。
コロンゾンの美しい乙女は、
お前の魔法によって裏切られ、
暗くなった海岸を漂い歩き、
狂気に満ち、青白く、霧に包まれた幽霊となった。
漁師が網を乾かす場所で、
彼女は体を波に打たれる。
お前に誘惑され、彼女は自らの身を
嵐の激しい怒りの中に投げ出したのだ。
知れ、弱き塵の子よ、
オーディンは勇敢であり、正義深い。
黄金の宮殿から私は来た、
お前の運命を宣告するために。
お前は決して、豊かで満ち溢れたメテグリンの海を渡ることはできない。
遅れて私は巨人たちの群れを離れ、
お前の葬送歌を大声で叫び、
お前の罪深い頭上に深く恐ろしい呪いをかけた。
間もなく、お前の苦しむ魂は、
ロクと共に沸騰する波の中を転がることになるだろう。

Page 180

神の永遠の光が
夜の暗闇を突き破るまで;
スルトゥルが遠くから駆けつけ、
この戦いに満ちた世界を焼き尽くすまで。
死の槍に立ち向かう勇気を持ち、
英雄たちは荒野を急ぎ進む:
煙る宴の場へ急げ——
兜を被ったすべての客を歓迎し、
父祖たちが勝ち取った戦いの賛歌に耳を傾けよ;
笑顔で顔を輝かせよ、
喜びは最も憂鬱な心さえも欺くのだ。——
しかし私は常にそばにいて、
あなたに思わせ、嘆かせる;
そしてあなたの苦しむ胸を刺激する;
決して、決して安らぐことはない。
あなたの頑丈な盾に何の意味がある?
手袋の防御に何の役に立つ?
額の兜や、下の鎧の輪に何の価値がある?
もし苦悩と恐怖の中で生き、
常に危険が迫っているのなら:
高く鋭い武器を振り上げ、
相手が自分の顔をじっと見つめているのを見よ;
振り返れ——しかしまたその相手と対峙し、狂気の蠅よ、臆病な魂を呪い、死ね。
戦場でではなく、
ヘラが夜の中であなたの唇を封じるのではない;
地獄の子孫である兄弟が、
あなたの熱い血で彼を洗うのだ;
二百人もの家臣たちが二度も頭を下げ、
彼を守護者として称える;
傷ついて苦しむあなたを嘲笑い、
土を噛むよう命じ、
苦しみながら孤独に捨て置き、
哀れみも知られずに死なせるのだ。
あなたの裸の死体が散らばるのだ。

Page 181

飢えた鷲たちに餌を与えるために、
岸辺で叫ぶ海鳥たちは、
くちばしを浸してお前の血を飲むのだ。
お前の怒りに満ちた魂は運ばれ、
炎の波によって破壊され、
苦悩の時代が続くのだ。
しかし静かに、朝の鐘が鳴り響き、
蛍の光も消えていく。見よ、太陽が
あの丘の向こうでその光を放っている。
夜になり、疲れ果てた自然が静まり返り、
恐怖が平原を歩き回るとき、
思い出せ――私たちはまた会わなければならない。
ポート・フォリオ、II-415、1806年12月31日、フィラデルフィア。

ブルガーの美しいバラード、

ウォルター伯爵はホルンを吹き、
「馬に乗れ!馬に乗れ!ハロー!ハロー!」
と叫ぶ。
これによってイングランドでは非常にユーモラスなパロディが生まれた。

喜びよ、私はお前と共に生きるつもりだ。

ウォルター伯爵は給仕のお尻を蹴り、
「階段を下りろ!階段を下りろ!ハロー、ハロー!」
と叫ぶ。彼らは飛び出し、回転し、跳び上がり、
素早く追跡する警備兵たちを逃げ切る。

酒場から解放された陽気な男たちは、
恐れることなく密集した場所を駆け抜け、
急ぎ足で進む間、曲がりくねった路地々からは、
彼らの騒音が大きく反響する。

聖ダンスタンの腕が力強く振られ、
厳かな真夜中の鐘の音が響き渡り、
「もう十二時を過ぎました」と大声で叫ばれる。

Page 182

見張り人は大きな声で、長く、深く歌った。

騒がしいウォルター伯爵が先導し、
「フザ、フザ、我が楽しい仲間たちよ!」
息を切らしながら両側を支えながら、
二人の見知らぬ者が急いで彼の一行に加わる。

右側の見知らぬ者の髪は灰色だったが、
彼が誰かは私には分からない。
左側の者は優雅で陽気で、
勇敢な血筋だと私はよく知っている。

彼はビーバーハットを高く振り、
「ようこそ、ようこそ、高貴なる領主様!
地上や海や空が、我々の真夜中の遊びに匹敵する喜びを与えられるだろうか?」

「私の考えでは」ともう一人が言った、「友よ、その無茶な喜びはやめて、
心地よい休息の時間のために、
そのような粗野で不協和音の多い騒ぎをやめる方が良い。」

しかしウォルター伯爵は依然として前進し続け、
勇敢に前へ進みながら、
「フザ、フザ」と各人が叫び、
「前へ、前へ、ホロホロ!」

陽気な一団をウォルター伯爵が導き、
フリート通りを通ってラッドゲート・ヒルへと向かい、
息を切らしながら両側を支えながら、
彼の親しい仲間たちが引き続きついて行く。

あちらの曲がりくねった小道から、
雪のように白い幻影が現れ、
ウォルター伯爵はさらに大きな声で歌う、
「前へ、前へ、ホロ、ホロ!」

クエーカー教徒の女性が道を横切った。

Page 183

彼は彼女たちの機敏な足を下に投げ出すが、
彼女たちは賛成も反対も気にしない。
ただ前へ、前へと進み続けるのだ。

見よ、あの通りの角に、
リンゴで飾られた質素な屋台がある!
ウォルター伯爵の足元に散らばり、
女性の持つリンゴが転がっている。

「おお主よ!私の屋台を憐れんでください。
貧しい者の苦労して得た収入を、
無力な未亡人のわずかな財産を、
何時間もかけて育てた果実をお救いください。」

見知らぬ男は真剣に懇願するが、
左手は依然として獲物を指し示している。
焦れた伯爵は警告を聞かず、
怒りに任せて前進し続ける。

「どけ、この哀れな老いぼれ魔女め、
さもなくば罰の打撃を恐れろ!」
そして大声で歌いながら鞭を振り回し、
「前へ、前へ、急げと言っているのだ!」

そう言って即行動し、一跳びで
その質素な屋台を越えてしまう。
散らばったリンゴの間を、
彼らは皆、急いで進んでいく。

さて、今度はその恐ろしい獲物を見よ。
コムスの部下たちの手の届かないところで、
彼女は依然として軽やかに道を進み、
自分を追っている者たちの存在に気づかない。

再び彼女たちは足を動かし、
その機敏な足で曲がりくねった道を素早く進む。
ラッドゲート・ヒルを下り、フリート川沿いを進み、
疲れを知らない伯爵は追跡を続ける。

Page 184

今や見張りたちが力強く立ち上がり、
野原の支配権を争おうとする。
彼らは棍棒を高く振り上げ、
「さあ、高貴なる男爵よ、降参せよ。」

「無礼な放浪者どもめ!我々の夜の遊びを台無しにしようとしても無駄だ。
さあ、来い!私の勇敢な部下たちよ、
あのろくでなしどもなら我々が従わせてみせる。」

犠牲者たちは地面に倒れ込み、
ウォルター伯爵も地面に崩れ落ちる。
今は逃げられる者は逃げ、逃げられない者はその場に倒れるしかない。
見張りたちの鈴の音が大きく響き渡る。

今、正義が運ばれてくる。
彼らは厳かな態度で進んでいく。
その場所には様々な人々が集まり、
彼らの叫び声が響き渡る!

この混乱した状況の中でも、
正義は厳粛に始まった。
「騎士としての名誉を汚すようなことはしないでほしい。
人間の尊厳を尊重しなさい。」

最も卑しい者でさえも訴える権利がある。
残酷さや傲慢さによって害を受けた者は、
罪ある者の頭上に復讐を加えることができる。
たとえその者が高い地位にあろうとも。

多くの人々の額から冷たい汗が流れ落ち、
ウォルター伯爵のこめかみにも汗が滴り落ちる。
ますます大きく、ますます激しく、
見張りたちが復讐を呼びかける。

右側にいる見知らぬ者が必死に懇願する。
群衆の叫び声はますます大きくなり、
正義の使者が法令を読み上げる。

Page 185

そして伯爵に平和を守るよう命じるのだ。

宮廷は散り、彼らは外に出て、
最後の大きな歓声を上げる。
それからこっそりと去り、
法の名の下で失望した者たちは去っていく。

数々の呪いをつぶやきながら、
急いで家路につき眠りにつく。
しかし、これまでに起こったすべてにもかかわらず、
来夜また彼らの「ホローホー!」の声が聞こえるだろう!

これが伯爵であり、これが彼の従者たちだ。
よく目覚めているコックニーたちが耳にする声だ。
その荒々しい騒音が耳に入ると、
彼の全身の血管が怒りで燃え上がる。

夢を見ている乙女は悲しくため息をつく。
柔らかな眠りから目覚めると、
「ホローホー!」という叫び声が聞こえ、
自分の幻想を諦めなければならないからだ!
ポート・フォリオ、III-44、1807年1月17日、フィラデルフィア。
[G・A・ビュルガーの詩『Der wilde Jäger』のパロディ。34ページ、85ページ参照。]

スイスの冒険者たち
ジェームズ・モンゴメリー著
エメラルド、II-108、1807年2月28日、ボストン。
[ジェームズ・モンゴメリー、前掲書。抜粋。序文参照。]

さあ、見てみよう。
より厳しい気候の中で、より高貴な民族が生きている場所を。
荒涼としたスイスで、人々は嵐のような環境の中で暮らし、
乏しい食料のために苦労している。
しかし、ここでも依然として、満足感がその土地に魅力を与え、
その厳しい環境を和らげ、その怒りを鎮めるのだ。

Page 186

貧しい農夫の小屋であっても、その食事は少ないにせよ、
彼は自分の運命、すなわちすべての人々の運命を見つめる。
朝になれば、短い眠りから目覚め、
新鮮な空気を吸い、歌いながら歩く。
夜になって帰宅すると、すべての労働を終え、
彼は自分の小屋の「君主」として座り、
明るい火のそばで微笑み、周りを見回す。
子供たちの顔が火の光に照らされて輝いている。
一方、愛する伴侶は自分の持ち物を誇り、
きれいに並べられた料理を見せる。
そして時には、巡礼者がここにやって来て、
様々な話をして夜の宿を提供してくれる。
エメラルド、II-119、1807年3月7日、ボストン。

ルーン詩。
ハヴァルドゥルの幽霊。
C・レフトリー著。

バランス・アンド・コロンビアン・レポーズ、VI-144、1807年5月5日、ニューヨーク州ハドソン。
【ポート・フォリオにも掲載、II-415、1806年12月31日、フィラデルフィア。】

外国詩・政治概要。

プロイセン。
まるでクマのようにしがみつき、離れない。
ロシアに対しては怒ったり蹴ったりするが、
それでも毛皮を握りしめている。だが残念ながら、クマには尾がないのだ。

オランダ。
ミンヘール・ヴァンダースホフェルトがどんなに怒ったり罵ったりしても、
真剣な表情で彼女を蹴ってやればいい。そうすれば彼女も何が良いことかわかるだろう。

Page 187

だが、彼がバターミルクや腐ったキャベツのサラダで腹を満たした後は、こんな時代だと思い出すべきだ――フランスがオランダを支配しており、オランダ人ではないのだ。

ドイツ。
轟く火縄銃と雷鳴によって、ドイツ全土が引き裂かれている。遠近さまざまな場所で、戦争の渦に包まれている。ヘッセンの暴徒どもは皆、偽りのガリア人に服従している。そしてジョン・ブルの農場という立派な場所では、ガリア民族を喜ばせるためのスープが作られている。
ノーフォーク・レポーズ、II-232、1807年5月26日、マサチューセッツ州デダム。

ホーエンリンデンの戦いについて。
T・キャンベル著。
ウィークリー・インスペクター、II-272、1807年6月20日、ニューヨーク。
[トーマス・キャンベル、同上。
バイエルンのホーエンリンデンの戦いは、1800年12月3日に、アルチュード・ジョン率いるオーストリア軍とモロー将軍率いるフランス軍との間で行われた。]

スイスの悲しみ。

ヘルヴェティアの谷よ!自由がその支配を確立した場所。あらゆる社会的美徳がそこで育まれてきた場所。平穏で幸せな安息の地。長い間、敵対する者たちにも敬われてきた場所。どんな嫉妬深い悪魔が、そこの平和を壊し、喜びの歌を遮ったのか?恐怖に怯えた耳には、何と恐ろしい叫び声が響くのか!通り過ぎる風には、恐怖の叫び声が満ちている!虎のような怒りを持って進む暴徒どもを見よ。それは人間性の恥であり、フランスの誇りでもある!欲望に満ちた争いの中で、踏みにじられ、傷つけられる処女や怒りに満ちた妻たちを見よ!

Page 188

混雑した森々が無差別な殺戮に覆われ、
すべての山の急流が血で満たされている!
見よ、あの崖がその影を広げ、
死の野原の上に、負傷した首長が横たわっている!
荒廃した光景を見回しながら、
彼は耐え難い悲しみを表す眼差しを向ける。
そして絶望の恍惚状態から目覚め、
儚い空気へと自らの苦悩を訴えるのだ:
「親愛なる故郷の山々よ、その森の迷路の中で、
私は平穏な日々を過ごした。
その緑の頂上では邪悪な星々が怒りを宿し、
地獄の獣たちが暴れ、怒りの声が響く。
変わり果て、醜くなっても、それでもなおあなた方は私の視界に映り、
私の最後の別れの言葉を聞いてくれるのだ!
私の友よ、子供たちよ、数多くの傷を負い、
その破壊された身体が血まみれの地面に散らばり、
昼間の炎の中で干上がり硬直していく。
ハゲタカや狼の餌食となる運命だ。
あなた方の苦しみはもう終わった。もう二度と欲望の残酷な苦痛や、略奪の凶器の痛みを感じることはない!
そしてあなたよ、私が結婚の誓いを捧げた人よ、
地上での私の慰めであり、天国での私の希望よ。
若い頃も大人になっても敬われ、生きている間も愛され、死んだ後も悼まれる人よ。
どうか逃げないでください!この悲惨な岸辺で少し留まってください。もう二度と別れません——
あなたの貧しい遺体の上で、血を流す夫がぶら下がり、
あなたのすべての傷を数え、あなたの続く苦痛を感じています——
ああ、正しい父祖たちよ!創造を支えるあなた方の慈愛よ、
私の死の祈りを聞いてください!
この献身的な土地を見下してください。私の貧しい祖国の上に、あなたの救いの手を伸ばしてください!
ああ、空に流れ上がる血が、引き続き激しく流れ続けますように——その血だけで十分です!」

Page 189

恐るべき報いはお前に属する――
私の不当な苦しみを、お前の正当な復讐に委ねる。
おお、国家の権利を守り、この世から悪党どもを一掃せよ!
『ウィークリー・インスペクター』第II巻288号、1807年6月27日、ニューヨーク。

詩
原作

紳士の皆様、
『アンソロジー』の詩篇の部門には、オリジナル作品よりも選ばれた作品が多いと指摘されています。これが意図的な選択によるものか、やむを得ない結果かはともかく、以下の詩句はその両方の特徴を持っているため、不適切とは見なされません。他の点でも掲載に値するならば、拒否されることはないでしょう。

『ルーニック』より
「音楽の力は、『ルーニック・バード』の歌の一つにおいて、誇張的に称賛されている。」[45]
私には、敵の心を和らげ、彼らの武器を無効にする歌がある。
私には、人々に縛られた時に歌えば、その瞬間に鎖が壊れて自由になれる歌がある。
私には、全人類に役立つ歌がある。人々が憎しみに燃え上がった瞬間、その歌を歌えば彼らは鎮まるのだ。
私には、非常に優れた歌がある。嵐の中にいても、その歌を歌えば風を静め、空気を完全に穏やかにできるのだ。
『モー・アンソロジー』第IV巻602号、1807年11月、ボストン。

『ルーニック・バードの歌』
英語の詩による模写。

Page 190

I.
私はある歌を知っている。その力の魔法によって、
破壊の時に戦士を救うことができる。
激しい敵の復讐の力から彼を守り、
その手から武器を奪い取るのだ。

II.
私はある歌を知っている。囚われの身にあるとき、
その歌は重苦しい鎖の輪を断ち切った。
甘美な音符が次々と響き渡るうちに、
矢は後ろへ飛び返り、震える門も開かれた。
風のように自由に四肢が動き、
遠くの野原を駆け巡ったり、生き生きとした舞を踊ったりするのだ。

III.
私はある歌を知っている。それは人の心を癒すためのもので、
人間の激しい情熱を鎮める力がある。
隠れた憎しみや致命的な怒りが結びついたとき、
復讐という毒蛇を魅了するのが私の力だ。
天の詩によって暴力的な行為を抑え、
失われた愛情を再び蘇らせるのだ。

IV.
私はある歌を知っている。荒れ狂う風が吹くとき、
森の王者たちを屈服させることができる。
もし私がその歌を歌えば、神聖な技巧で様々な音色を奏で、
嵐の風も静まり、嵐の精もその荒々しい息を鎮め、
しわくちゃになった姿を滑らかにする。
そうして日差しが差し込み、雨に濡れた丘々も穏やかになり、
薄い雲の向こうから輝く緑色が現れるのだ。

カンブリア
モー・アンソロジー、IV-602、1807年11月、ボストン

Page 191

恐怖の幽霊
ドイツ語の物語を、真に恐ろしいという原則に従って翻案した物語。

風が激しく吹き荒れ、農夫ドビンの小麦の山が崩れ落ちた!雨が彼の家のドアを叩いた!火のそばに座っていると、屋根が割れる音が聞こえた!猫は鳴き声を上げ、体を反らせた!ろうそくの火も、以前と変わらず燃え続けていた!農夫は悲痛なため息をつきながら叫んだ。「この忌まわしい騒音を止めるために、妻よ、ビールをくれ!」すると妻はすぐに泣き出し、三回咳払いをしてからこう答えた。「できないわ!なぜかって?樽が空だからよ!」火のそばには、日々の仕事を終えたロジャー・ギーホーがいて、彼女はスローの実のように黒い瞳を持つシセリーと一緒にいた。彼女は決して「ノー」と言ったことがなく、それは彼女にその機会がなかったからだ!これらの人々は、その激しい叫び声に怯え、恐怖に陥った。しかし目を見開いてドアを開けると、驚きと同時に喜びに満たされた。そこにいたのは、門にはまって動けなくなっている老豚だったのだ!
『散文・詩における魔法』、350ページ、1808年、トレントン。

オーディンの降臨
ポート・フォリオ、V-406、1808年6月25日、フィラデルフィア。
【トーマス・グレイ著『北欧語およびウェールズ語の歌』の書評より。また、1788年5月29日、ニューヘイブンの『ニューヘイブン・ガゼット&コネチカット・マガジン』第III巻第21号にも掲載。】

オーディンの降臨
ポート・フォリオ、VI-55、57、1808年7月23日、フィラデルフィア。
【トーマス・グレイ著。直訳版。上記のものとは異なる。批評および再版内容。】

Page 192

スイスの流浪者
ジェームズ・モンゴメリー著
『Gleaner』I-78号など、1808年10月、ランカスター(ペンシルベニア州)
[ジェームズ・モンゴメリー、前掲書。全詩が再録されている。序文を参照。]

有名なスイスの歌「Ran des Vaches」を模したこの作品は、極めてシンプルで優美な作風であり、「スイスの流浪者」の著者である『Sheffield Iris』の編集者によって書かれたものである。

異国にいるスイス人の歌

ああ、いつになったら故郷の地を訪れられるのか、
この地上で最も美しい土地を……。
いつになったら、あの愛しい風景を見て回れるのか、
私たちの森や泉、村々や山々、
そして私が愛する少女と共に……。
ああ、いつになったら、デイジー色の白い牧草地で踊れるのか、
ヤナギの木陰で、葦笛の音に合わせて……。

いつになったら、あなたの静かな住まいに戻れるのか、
そこでは私が大切に思うすべての人々が集まっているのに……。
私の呼び声に応じてやってくる子羊や雌牛たち、
私の父と母、姉と兄、
そしてみんなの喜びである親愛なるイザベラ……。
ああ、いつになったら故郷の地を訪れられるのか?
それはこの地上で最も美しい土地だ。

——J. M.
シェフィールド、1808年6月

『Emerald』新号、I-624号、1808年10月15日、ボストン
[Ranz des Vaches
ジェームズ・モンゴメリー、『The West Indies and Other Poems』第3版、フィラデルフィア、1811年(ロンドン、1810年)]

Page 193

84ページ、「異国にいるスイス人牧童の歌」。「前述のものを模したもの」、すなわちフランス語の詩を翻案したもの。

異国にいるスイス人の歌
『リトル・ミラー』、I-148、1808年10月29日、ニューハンプシャー州ポーツマス。
【また、『エメラルド』新版、I-624、1808年10月15日、ボストンにも掲載。】

異国にいるスイス人の歌
『バランス・アンド・コロンビアン・レポーズ』、VII-176、1808年11月1日、ニューヨーク州ハドソン。
【また、『エメラルド』新版、I-624、1808年10月15日、ボストンにも掲載。】

異国にいるスイス人の歌
『ノーフォーク・レポーズ』、III-392、1808年11月8日、マサチューセッツ州デダム。
【また、『エメラルド』新版、I-624、1808年10月15日、ボストンにも掲載。】

異国にいるスイス人の歌
「スイスの放浪者」の著者による。
『レディズ・ウィークリー・ミスク』、VIII-128、1808年12月17日、ニューヨーク。
【また、『エメラルド』新版、I-624、1808年10月15日、ボストンにも掲載。】

約束が台無し!
あるいは、

フォン・シュレンマーと「ポットラック」

あるイギリス人がかつて
ドイツ人の友人を招いて食事をしようとした。
彼の言葉を借りれば、単純なポットラックで――
そして上質なポートワインも飲むつもりだった。

その紳士は時間通りにやって来て
その宴を楽しむ準備ができていた。
テーブルの上には料理が並べられていた。

Page 194

フォン・シュレンマーは席に着いた。
スープ、七面鳥、牛肉が次々と出されたが、
彼はどれも断った。
その後、鳥肉やカメ、ソースが出されたが、
フォン・シュレンマーは一切口にしなかった。

ついに主人が優しく促し、
アヒル料理を食べるよう勧めた。
「ああ、ダメです!」とフォン・シュレンマーは嘆きながら言った。
「ポットラックを待っています。」
——クイズ:『Select Reviews』I-71、1809年1月、フィラデルフィア。

故国を離れる数日前、友人と一緒にピアノでモーツァルトの悲しげなバラード「忘れないで」を弾いていた時のことだ。

「忘れないで」という歌も、その哀愁に満ちた音符も、
私たちの涙を慰めることはできず、
その言葉は私の喉の奥で消え去った。
あなたが震える鍵盤を触るたび、
透明な宝石のように、あなたが悲しそうに微笑む姿が見えた。

「忘れないで」、ああ、悲しみの歌よ!
もう二度と私たちの喜びは重ならず、
悲しみのため息と共に輝くこともない。
もう同情の涙も一緒に流れることはなく、
私たちの愛も希望も喜びも永遠に破壊される。

「忘れないで」、ああ、いつまでも大切な歌よ。
感動的な記憶が私の心に浮かんでくる。
次にあなたが「忘れないで」と歌うとき、
涙が静かに流れ落ち、私の鼓動を慰めてくれるだろう。
私が生きている限り、感じている限り、決してあなたを忘れない。

ジュリア・フランチェスカ

Page 195

ポート・フォリオ、VII(新番号I)-272、1809年3月、フィラデルフィア。

アルプスの兵士

谷間にはまだ夜の影が残っていた。
氷河の上では朝日が赤く輝いていたが、
私が滝を越えて広大なオークの木々の間を通り過ぎた時、
苔むした教会の塔が初めて私の目に映った。

その古い教会の塔の向こう、松林に隠れるようにして、
私の人生のすべての幸せがあった場所があった。
灰色の花崗岩の岩の近く、赤い灰が積もっている場所に、
私の愛する子供たちと妻が住む小屋があった。

戦争の号令音はとうに止み、
太鼓も静寂の中に眠り、旗も下ろされていた。
フランスの上には平和の太陽が静かに昇り、
その光が世界を照らした。

故郷の地に近づくと、
その美しさが明らかになった。
青い氷山々、私たちの故郷のアルプスを初めて見た時、
私はどれほど喜んだことか。

「ああ!もうすぐ、その山々を越えられるのだ。
やがて自分の家の戸口に立つことができる。
そこでは子供たちの優しい抱擁が待っているだろう。
そして妻の腕が再び私を抱きしめてくれるのだ。」

Page 196

「喜びのあまり言葉も出ないほどだ。
言葉では決して表現できない感情――
彼女の甘い涙が私の頬に温かく落ち、
再び彼女の優しい心臓の鼓動が私の心臓に伝わってくるのを感じる。

「その時、我が子よ、私たちの激しい喜びが収まったら、
兵士たちがどうしているかと不安げに尋ね、
子供のような誇らしさを持って私の戦旗を飾り、
喜び勇んで私の羽根付き帽子を彼の頭にかぶせてくれるだろう。

「そして我が愛しい娘は、自分の駝鹿がどれだけ大きくなったかを自慢し、
楽しそうに彼にあらゆる仕草を繰り返させ、
それから自分のものだと主張するブドウの木のところへ急ぎ、
優しく熟した実を私のために選んでくれるだろう。

「夜、私たちが火の周りに集まる時、
彼らは私の戦争の話にどれほど興味深く耳を傾けることか。
セント・バーナードの高みで、私たちの輝く武器がどのように光っていたか、
白い雲が遠く下で波のように流れていた様子を。

「その時、私はオーストリアの軍隊とどのように戦ったかを語り、
マレンゴの勝利の日にどのように戦ったかを話すだろう。
勇敢なデッサイの最後の血が流れた場所で、
征服の旗が悲しげに揺れていた様子を。

」そんなふうに、私の胸は優しい想像によって軽やかに鼓動していた。
荒々しい水が流れる橋を渡るとき、
見慣れた光景が次々と私の目の前に浮かんできた。

Page 197

そしてホープの輝く幻影が、私の魂を温めてくれた。

松林を駆け抜け、軽やかな足取りで急いだ。
すでに愛する人々が抱きしめてくれているように感じたが、
着いてみると——私の小屋の痕跡はどこにもなく——
その場所には高く雪の山が積もっているだけだった。

心を引き裂くような話を、あまりに早く聞かされた——
近くの山から崩れ落ちた雪崩が、
轟音と共に私たちの小屋を飲み込み、
その下で妻と子供たちは命を落としたのだ。
——イモジェン
ポート・フォリオ、VII(新番号I)-350、1809年4月、フィラデルフィア。

ホーエンリンデンの戦い
トーマス・キャンベル著
ビジター、I-47、1809年4月22日、リッチモンド。
【また、『ウィークリー・インスペクター』、II-272、1807年6月20日、ニューヨークにも掲載】

カウボーイの眺め

甘く、懐かしく、故郷の岸よ;
もう二度とあなたや、私の愛するすべてのものを見ることができるだろうか?
あなたの澄んだ川、
あなたの愛しい丘々、
山の頂、
そしてかつて私の足が歩き回った小屋たち……

そこで、美しいイザベラと共に、
軽やかな足取りで、悩みもなく、
私は再び旅立つのだろうか?

Page 198

あるいは夕暮れ時、谷間の下で、
私の素朴な物語を静かに囁き、
妖精の住む地を幸せに歩むのか?

ああ!いつまた
私の質素な小屋や故郷の平野、
そして大切なすべてのものを見ることができるのか。
父も母も、
姉も兄も、
そして彼らの不安な心配を和らげることができるのか。
(ヨーロピアン・マグジン)
【上記の前には「Ranz des Vaches」の音楽とフランス語の歌詞がある。156ページ参照。】
ビジター、I-72、1809年6月3日、リッチモンド。

異国にいるスイス人の歌。
グリーナー、I-471、1809年6月、ランカスター(ペンシルベニア州)。
【『エメラルド』新版、I-624、1808年10月15日、ボストンにも掲載。】

ウェルターの墓のそばでのシャーロット。

心に悲しみを抱えて近づく、
愛するウェルターが安らぐ墓のそばへ。
どうか優しい同情をもって涙を与えてください。
そうすれば私の胸の苦しみも和らぎます。

親愛なる魂よ、安らかに眠りなさい、
私の胸の苦しみに邪魔されずに。
もしあなたが私の悲しみを知ったら、
その穏やかな眠りは絶えてしまうでしょう。

牧草地も、谷も、野原も、
かつて喜びを与えてくれた場所たちも、
ああ、今はどれほど変わってしまったことか!
もはやそこには楽しくて喜ばしいものは何もない。

Page 199

テラスにいることが多く、
ヴェルターを失ったことを嘆きながら、
淡い月明かりのもとで悲しみを訴える。
その光が彼の姿を思い起こさせるのだ。

ここで初めて、喜びに満ちた希望が生まれた。
この退屈な人生が終われば、
私たちは再び出会い、二度と離れないのだと。

そう、ヴェルター、あなたの予言は正しかった。
その希望を大切にし続けるのが私の務めだ。
もしその希望が私を見捨てたら、
どうやって悲しみや絶望と戦えばよいのか。

—A.
Visitor, I-136, 1809年9月23日、リッチモンド。

揺れる幽霊
ドイツ語の物語を模したもの。
Select Reviews, II-357, 1809年11月、フィラデルフィア。
【1808年、トレントンにて『Charms of Lit. in Prose and Verse』350ページにも掲載。】

「雲の王」や「火の王」といった奇妙な題名で書かれたルイスやウォルター・スコットらの独特な詩を気に入った人々には、以下の風刺歌が少しの楽しみを与えるかもしれない。

絵画の王

美しいエレンはかつて若者たちの憧れだった。
彼女に匹敵する乙女はいなかった。
彼女の魅力は人々の心や言葉の主題となり、
数え切れないほどの吟遊詩人たちが
美しいエレンの姿を讃えて歌った。

しかしエレンは、軍隊にいる恋人たちに……

Page 200

彼女の心臓に向けられる彼らの鋭い視線は、
哀しみから生まれた同情の気持ちを知らないものだった。
氷柱が降り注ぐように冷たく、その凍りついた心臓からは
一滴の血も流れ出さなかった。

それでもなお、美しいエレンの心は、
見つけることのできない何かを切望し続けた。
まるで人里離れた岸辺にいる船乗りのように、
家も木も音もなく、ただ波が激しく打ち寄せる音だけがあった。

彼女は次から次へと場所を変えて歩き回ったが、
残念ながら何も見つけることはできなかった。
一日中、新奇さの迷宮の中を彷徨い続け、
真夜中でさえも落ち着かず、眠っている間も風を追いかけていると言われていた。

いや、雨で屋敷が水浸しになっている時でさえ、
静かに像のように座っているよりは、
風車の羽根のように上り下りし、
屋根の瓦から地面まで、
キツツキのくちばしのように一つ一つの階段を叩き続けた。

ある朝、侍女が窓辺に寄りかかっていると、
手に枠を持った若者が通り過ぎていった。
彼女は窓を閉めたが、心の目だけは閉じなかった。
どんなに努力しても、彼女は目を閉じることができなかった。
依然として、その若者が目の前に立っているのが見えた。

「彼は一体何ができるのかしら」と侍女はため息をつきながら言った。
「ああ、その枠を使って彼は何ができるの?知りたいわ。」すると突然、
若者が再び通り過ぎていき、彼女の目には再び
その枠と、そこに描かれた美しい絵が映った。

「ああ、なんて美しくて素敵な絵なの!」とエレンはため息をついた。
「もう一度あなたに会わないと死んでしまうわ。」
そして白いあごの下で帽子を結び直した。

Page 201

若者とその絵の後、彼女は逃げ去った。
やがて若者が振り返り、彼女の目と合った。

「美しい乙女よ」と彼は言った(そして笑いながら)、「この絵を、あなたは気に入っているようだね。では、どうか受け取ってください。そうすれば、少しでも悲しみの時間を忘れられるかもしれません。(私の笑みをお許しください)あるいは、少なくとも家で暖炉のそばにいられるでしょう。」

するとエレンは喜びと驚きを込めて、その贈り物を狡猾な若者から受け取った。
しかし彼女は、自分の目に入った毒に気づかなかった。彼女が喜びに満ちてその宝物を見つめている間、実は毒が彼女の目に入っていたのだ。それでもなお、美しいエレンは騙されてしまったのだ!

彼は彫像のような姿をしており、まるでその石の彫刻家のようだった。
しかし彼は苦悩しているようで、その美しさに心を奪われているかのようだった。そして彫像のように見開かれた目が、彼自身の視線を反射していた。

それは昔の彫刻家ピグマリオンの物語だった。
美しいエレンは思い出し、ため息をついた。
「ああ!もしあなたがその冷たい大理石から、あなたの魅力的な瞳を取り出し、私を抱きしめ、今日ここで私をあなたの花嫁として迎えてくれるなら……」

彼女がそう言うと、見よ、絵から若者が現れた……彼は枠から歩み出てきた。
激しい喜びを込めて、彼は愛するエレンを抱きしめた。そして彼女の血を自分の情熱で凍らせてしまったのだ!

彼女が振り返ると、両肩に翼があるのが見えた。
「ああ、神様!あなたは誰ですか?」と彼女は叫んだ。
彼は怒りに満ちて答えた。「私こそが絵画の王だ!」

Page 202

「そして私のものだ、可愛いメイドよ、今やお前は私のものだ!」

すると、その恐ろしい怪物は地面から高く舞い上がり、
大声で叫ぶメイドを風のように抱き上げた。
彼は流星のように空を駆け抜け、
彼が通り過ぎるたびに雲々は恐ろしく左右に流れていった。

やがて、彼は急に飛行の方向を変え、
渦巻くように下降していった。
彼の下の空気は夜のように真っ暗になり、
彼が歩む地面もまるで恐怖に動かされたかのように、
カスピ海の波のように揺れ動いた。

「私がここにいる!」と怪物は言い、轟音と共に
山の洞窟の門を叩いた。
魔法によって開けられたかのように門が大きく開き、
山の頂は波の上の氷の島のように前後に揺れ動いた。

「ああ、慈悲を!」とエレンは叫び、彼の腕の中で気を失った。
しかしペイントキングは彼女の苦しみを嘲笑った。
「お願いです、愛しい人よ」と怪物は言った、「なぜこんなに怯えるのですか?」
彼女は聞こえず、見えず、再び恐怖に目覚めさせる恐ろしい魔力を。
彼女は目を開けるが、もはやその目には、
自分が想いを寄せていた美しい青年の姿は映らない。
今や現れるのは本来の姿のペイントキングだ。
彼の顔は悪党のパレットのようで、
黒と白、赤と黄、青が混在していた。

プリズム状の素材で作られた光り輝く玉座の上で、

Page 203

モザイクの悪魔はまるで石のように座っていた。
彼は口の中に、遠くから見ても灯台の二倍はある巨大な葉巻をくわえていた。
それは嵐の吹き荒れるケープコッドの海岸でのことだった。

やがて、彼がその巨大な葉巻を吸うと、壁には恐ろしい姿が現れた。
脚や腕、頭や体がそこから現れてきたのだ。
まるでスコットランドのサウニー・ビーンの陰気な居間のようで、悪魔が舞踏会用に着飾らせたかのようだった。

「ああ、私!」と乙女は叫び、彼の足元に倒れ込んだ。
「私はこの壁に吊るされて乾かされるのですか?」

「おや、違う!」と悪魔は言い、席から立ち上がった。
「お前にはもっと高貴な運命が待っている。お前を絵の具にしてしまうのだ、我が花嫁よ!」

そして、乙女の暗い赤毛を掴み、油壺の中に彼女を突っ込んだ。
七日七夜、絶望の叫び声を上げながら、エレンは苦しみの中で身をよじった。
彼女の体は顎まで油で覆われていた。

八日目の朝、エレンは臭気を放ちながら巨大な黒い石の上に置かれた。
悪魔は岩を使って彼女の骨をすべて砕いた。
しかし、彼女はジェリーのようになってもなお、絶えずうめき続けた。
なぜなら、命はまだ彼女の体を離れていなかったからだ。

そして、悪魔は巧みな手つきでパレットに手を伸ばし、表面に様々な色を塗り重ねていった。
彼女の瞳の青、髪の茶色、美しい額の真珠色と白さ、そして唇や頬の薔薇色の赤さだ。

Page 204

すると怪物は足を踏み鳴らし、叫んだ。
「さあ、勇敢で残酷な妖精よ、お前の軽蔑を受けよう!」
すると、計り知れぬ深淵から、
バラ色の炎でできた小さな戦車が現れた。
それは十匹のホタルに引かれていた。

その中央には鮮やかなエメラルドの上に、
比類なき美しさのジェラルディーヌが座していた。
彼女のローブは朝日の輝きのようで、
マントは真昼の白い雲のようであり、
槍は月の光そのものだった。

静まり返った空気の中を静かに流れる声で、
まるでエバの優しい声のように、
その美しい妖精は戦車の上からこう語った。
「あなたの呼びかけに応じて参りました……しかし、ああ、絵画の王よ!気をつけなさい。
再び欺いたら大変ですよ。」

「本当だ」と怪物は言った。「お前こそ私の心の女王だ!
お前の姿を何度も描こうとしたが、
私の技術では絵の上にお前の素晴らしい美しさの一片も表現できなかった。
そして私の失敗に対して、お前は軽蔑して応えたのだ。」

「今、彗星の王の尾の光に誓って!」
彼は誇らしげにそう言いながら立ち上がった。
「もし再びこの魔法の色彩で失敗したら、
エトナの火口が私の牢獄となり、
食べ物は硫黄と煙となるだろう。」

「しかし、もし成功すれば、ああ、美しいジェラルディーヌよ!
喜びをもってお前の約束を請う。
そしてお前、妖精の女王よ、永遠に私のものとなり、
私の妻となるのだ。そしてお前の神々しい姿は、
私の名声を世界中に広めるのだ。」

彼がそう言うと、見よ、美しいジェラルディーヌの姿が

Page 205

キャンバスの上で魅力的な光が輝いていた。
彼の筆致は、嵐の中の葉のように飛び交った。
純白で真珠のような色と、暖かなカーネーション色が
調和しながら流れていった。

そして今や、その肖像画は美しいジェラルディンの姿に
双子の姉妹のように見えた。
同じ優しい表情が、一つ一つの筋肉や特徴に忠実に表現されており、
要するに、彼女の美しい髪の毛の一本たりとも見逃されていなかった。

それは妖精その人だった!しかし残念ながら、彼女の青い瞳には
依然として瞳孔がなかった。
そして、絵を描く王が見て驚愕した様子を、誰が描写できようか――
彼の黒いパレットの上には、瞳の欠片すらなかったのだ。

「私は終わった!」と悪魔は叫び、葉のように震えた。
地面に目を落とすと、エレンの失われた瞳が悲しみに満ちて
ネズミの口の中にあるのが見え、狡猾な小泥棒が一跳びで
彼の視界から逃げ去っていった。

「私は終わった!」と悪魔は叫び、石のように倒れた。
すると怒った妖精が立ち上がり、指先で自分の帯を解いた。
(その時、壁に描かれていた姿たちが恐ろしい呻き声を上げた!)
そして彼女は火の柱へと変わった。

彼女の槍は今や雷のように空を閃き、
周囲の空間は硫黄で満たされた。
彼女はその恐ろしい怪物を打ち倒し、髪の毛を掴んで高く持ち上げ、
言葉も出ない絶望の中で彼を深い裂け目の底へと投げ捨てた。

そして微笑みながら槍を絵の上で振り、
「出てきなさい!」と善良なジェラルディンは言った。

Page 206

見よ、美しいエレンがそこに現れる!
その容姿も、その姿もかつてないほど愛らしく、
その優雅さはこれまで以上に神々しい!
『モントゴメリー・アンソロジー』第VII巻391ページ、1809年12月、ボストン。
[ワシントン・オールストン、同書。18ページ、19ページも参照。]

**揺れる幽霊**
ドイツ語の物語を翻案したもの。
『ボストン・ミラー』第II巻96ページ、1810年1月6日、ボストン。
[『散文・詩における魅力』350ページ、1808年、トレントン所収も。]

**画家**
『サムシング』第I巻151ページ、1810年1月20日、ボストン。
[『モントゴメリー・アンソロジー』第VII巻391ページ、1809年12月、ボストン所収も。]

**脚注:**
[35] ここでは二、三の小さな修正を加えましたが、意味に影響を与えないため、
巧みな著者であればこれを認め、許してくださるものと思います。
[36] ドイツ民族の創始者であり最初の立法者で、彼が神格化された後、
週の4日目が彼に捧げられましたが、その名前は「Wodon’s day」から
「水曜日」へと変わりました。
[37] アウグストゥス・カエサルの治世下で、クィンティリウス・ヴァルスが率いる3つの軍団を打ち破った、
自国の自由を守った勇敢な戦士です。
[38] これはプロイセン国王が新たに定めた制度を指し、その象徴は
「功績に対して」という刻印が施された金メダルです。
[39] これは、父親に強制的に兵士として仕えさせられた背の高い兵士たちに
国王が自由を与えたことを指しています。
[40] 不幸な恋人。
[41] この一節は、フォン・シュプルットバッハ教授のドイツの民謡『Skulth den Balch, or Sour Mthltz』にある
感動的で凄惨な描写から借用したものです。英訳では、原文の恐ろしさを
できる限り伝える形で「血塗られた宴会、または幽霊の淵!!!」となっており、
非常に恐ろしく、優れた作品です。

Page 207

[42] 繰り返しはバラードの創作において不可欠な要素である。
[43] 読者なら、彼女が最初はたった三本しか持っていなかったことを思い出し、それゆえにもう一本欲しいと願ったのは純粋に愛情に基づく、典型的な動機から来ていることを理解してくれるだろう。この優しい性格が巧みに描かれることで、読者は彼女に興味を抱き、さらにその悲劇に恐怖を感じるのである。
[44] ここでの主人公は二重の驚きに襲われている。祖母の歯の長さだけでなく、その白さもまた彼女の驚きと疑念を誘うのである。
[45] ゴドウィン著『チョーサーの生涯』を参照。
[46] 「忘れないで」という言葉のドイツ語。
[47] ここは自由な国なので、韻律の都合上、「prismatick」という言葉を上記のように変更する自由を持った。

Page 208

IV

ドイツ語散文の翻訳一覧、およびドイツ諸国に関する記事一覧

ドイツ、オーストリア、スイス、オランダなどに関する言及は、雑誌のニュースセクションに多数見られるが、その数が多すぎ、内容も簡潔すぎるため、以下の一覧には記載しない。

General Mag. & Hist. Chronicle for all the British Plantations in America.—B. Franklin, Phila.
第1巻—1741年1月~6月。
ドイツからのニュース。

Amer. Mag. & Hist. Chronicle.—Boston.
第1巻—1743年9月~1744年12月。
499—ハンブルク市の概要、およびハンブルク人やその他のドイツ人に関する所見など。
第2巻—1745年。
373—1744年のハノーファー軍に関する報告に基づくLd. P——lの演説。
492—艦隊の人員配置におけるオランダの方法。
第3巻—1746年。
311—アントワープ市の概要。
406—プロイセン王—その人物像。
【外交問題—ウィーン、ハーグ、ユトレヒト、スウェーデンやデンマークなどに関する多くの記述】

Independent Reflector.—N. Y.
1752年11月30日~1753年11月22日までの第1号~第52号。

Page 209

21—敵の中傷に反論するモラヴィア人の弁明。

『アメリカン・マガジン&モラヴィアン・クロニクル』—フィラデルフィア。
第1巻—1757年10月~1758年10月。
136—プロイセン王の性格。
【ドイツに関するニュースを扱った多くの段落がある。】

『ザ・ニュー・アメリカン・マガジン』—ニュージャージー州ウッドブリッジ。
1759年、第13号~第24号。
418—楽しみのために、デンマークの興味深い珍品が掲載されている。
462—オランダで定着した非常に有益な習慣について;ヴォルテールのフランス語著作より。

『ザ・ロイヤル・アメリカン・マガジン』—ボストン。
1774年1月~12月。
416—潰瘍性癌の治療法に関する記述。
著者:M. I. ソルツァー、ザクセン=ゴータ公殿下の首席医師。

『ペンシルベニア・マガジン』—フィラデルフィア。
第1巻—1775年。
471—自由の法則;ジョージア州議会開会時に行われた、アメリカの状況に関する説教。スイスが自由を取り戻すための闘争についての簡潔な記述を付録として収録。著者:ジョン・J. ズーブリー、博士。(イギリスの新刊からの抜粋)
第2巻—1776年1月~6月。
63—著名人の生涯についての記述。——スウェーデン王グスタフ・アドルフス。
169—古代スカンジナビア人の並外れた英雄的行為。

『U.S.マガジン』—フィラデルフィア。
第1巻—1779年。

Page 210

136—プロイセン王とドイツ皇帝の間の論争の起源。『Journal Historique & Politique』より翻訳。
186—皇帝とプロイセンの間の論争に関する詳細。
472—戦争の必要性についての考察。ドイツ語からの翻訳。
474—ツァーリ・ピョートル大帝の不幸な息子アレクシスの妻であったドイツ人公爵夫人の奇妙な冒険譚。クリト著。

『The Boston Mag.』—ボストン。
I—1783年10月~1784年12月。
55—有名なランハンス夫人の墓の描写(優美な版画付き)。この墓は、かつてプロイセン王の彫刻家であったジョン・オーガスタス・ナール氏によって制作され、ベルンから2里離れたヒンドルバンクの教区教会の聖歌堂内にある。[ハラーのドイツ語詩の翻訳を含む散文記事。21ページ参照。]
545—スイスの自由が始まった経緯についての記述。
III—1786年。
72, 65, 66, 67—スイスのチューリッヒに関する新たな描写。
[イギリス人紳士が友人へ宛てた手紙の中に収録。第III巻の72ページ以降のページ番号が誤っている。]

『The Worcester Mag.』—ウースター(マサチューセッツ州)。
I—1786年4月第1週~8月第3週。
140—アメリカ合衆国とプロイセン王との間の通商条約。
235—プロイセン王の軍事行動に関する記述の中で語られるシレジア人司祭の奇妙な冒険譚。
III—1787年4月第1週~8月第2週。
5—オランダからの融資について。ニューヨークの新聞からの抜粋。
IV—1787年10月第1週~1788年3月第4週。
121—ドイツ皇帝の祈り。最近ドイツで「Joseph Gebetbux」(皇帝の祈祷書)という題名で小冊子が出版され、以下はその内容からの抜粋である。

『Columbian Mag.』—フィラデルフィア。
I—1786年9月~1787年12月。
442—ライデン包囲戦に関する逸話。
II—1788年。

Page 211

31—ダンカードスと呼ばれる団体のメンバーからペン家の女性への真実の手紙、およびその返答。
40—注目すべき隠者の住処。キースラーの旅行記より。
323—1783年にアイスランドで起きた非常に異例な火災についての記述。
621—1660年にデンマークで起きた大革命についての記述。
688—1786年にド・ラゾフスキー氏がスイスを旅行して行った観察記。
III—1789年。
38—1788年の夏にパリおよびストラスブールで出版され、現在フィラデルフィアで翻訳中の『故プロイセン王フリードリヒ3世の生涯』からの逸話。
548—プロイセン王フリードリヒ大王に関する逸話。
IV—1790年1月~6月。
26—文学と美術の優先順位をめぐる論争に関する寓話。クロップシュトック氏作。ドイツ語からの翻訳。
32—統治形態および国王の義務に関するエッセイからの抜粋。故プロイセン王によるもの。1781年に国務大臣デ・ヘルツベルクに送られたが、ヴォルテールへの手紙から判断すると1776年または1777年に書かれたもの。
169, 205, 365—現在のスウェーデン王が若かった頃、教育係官たちとの間で交わされた手紙からの抜粋。
V—1790年7月~12月。
156—1787年の大祝祭の際、ゴータ大学で最も高い学術的栄誉に値すると認められた、ハノーファー選帝侯領の著名な学者であるD・シュローザー嬢についての記述。
249—霜伝導体の有用性について。故ドイツの雑誌より。
319—ドイツの現代の慣習について。
362—スウェーデン王の手紙。[IVからの引用]

ユニバーサル・アシュラム・アンド・コロンビアン・マガジン—フィラデルフィア。
I—1791年1月~6月。
46—1784年に行われたオランダ旅行記。アメリカ人によるもの。(薄い八つ折り判。ボストンで印刷。)

Page 212

134—現スウェーデン王の書簡からの抜粋、その他。[『コロンビアン・マガジン』第5巻より]
400—逸話集—II.故プロイセン王について。
II—1791年7月~12月。
23—スイスのヴァレー地方に住む愚者たちに関する観察。リチャード・クレイトン卿著。
174—アムステルダム島にある特定の温泉に関する記述。(モーティマーが広東からアメリカ北西部沿岸へ、そして再び広東への航海中に行った観察記より)
378—ロシアのツァーリ、ピョートルに関する逸話。プロイセンのフリードリヒ2世によるフランス語訳からの翻訳。
I—1792年1月~6月。
233—スウェーデン人の国民性、風俗習慣についての記述。(カトーの『スウェーデン概観』より)
II—1792年7月~12月。
177—寓話『フューリーズ』。レッシング氏のドイツ語原作より。

ニューヘイブン・ガゼット&コネチカット・マガジン—ニューヘイブン。
I—1786年2月16日~1787年2月15日。
8—オランダで行われている非常に有益な習慣について。
84—プロイセン王が下級将校から将官に昇進させたペーター・シュロイツァーの経歴についての詳細。
296—プロイセン王、ヴォルテール、チェスターフィールド卿に関する逸話。
319—相貌学に関する論文からの抜粋。ラヴァーター氏著。
395—故プロイセン王に関する逸話。

アメリカン・ミュージアム—フィラデルフィア。
III—1788年1月~6月。
539—フランシス・ホプキンソン氏による学術言語に関する演説。ペンシルベニア大学の卒業式で若い紳士によって読み上げられたもの。[ラテン語やギリシャ語の学習に反対する内容……]
「思想を相互に伝える手段として古代を探す必要はない。実際、最も広く使われている言語こそが、知るべき最も有用な言語なのだ。」
VI—1789年7月~12月。

Page 213

35—ペンシルベニア州におけるダンカード派の概要。
イギリス人将校が『エディンバラ・マガジン』の編集者に寄稿したもの。

159—11世紀にアイスランド人によってアメリカが発見された経緯。マレット著『北方の古跡』第1巻より。

222—アメリカ合衆国大統領へ。1789年6月にフィラデルフィアで開催されたアメリカ国内のドイツ改革派教会の牧師および長老たちの総会での演説。

223—上記へのワシントンの返答。

411—フリードリヒ大王に関する逸話。[なぜ彼がアメリカ人を助けなかったのか。]

475—ドイツの物語、ペーター。

482—逸話集。第5話—フリードリヒ大王。第8話—スウェーデンのカール12世。

VII—1790年1月~6月。

168—アメリカに移住したドイツ兵士に関する逸話。

208—【オランダの勤勉さについて】の手掛かり。

216、328—『スイスの乙女』。アン・ブロウワー嬢著。

IX—1791年1月~6月。

42(付録III)—ドイツからの移民。[短い文章。]

X—1791年7月~12月。

108—「故プロイセン王」に関する逸話。

35(付録I)—ニューヨークのオランダ系教会で歌われるキリスト降誕の賛美歌。

XI—1792年1月~6月。

38—古代ドイツ人における女性の地位。ギルバート・スチュアート博士著。

97—古代ドイツ人における結婚と慎みについて。ギルバート・スチュアート著。

102—ドイツの産業と商業。ツィマーマン著『ヨーロッパの現状に関する政治的調査』より。

XIII—1798年。

233—プロイセン王がハンブルク、ブレーメンなどでフランス人が結んだ穀物取引契約を無効にする。

255—ピルニッツ条約。

『アメリカン・マガジン』—ニューヨーク

Page 214

1787年12月~1788年11月
779—ゴシック風の物語。

Mass. Mag. or Mo. Museum.—ボストン。
I—1789年
164—貪欲と栄光。歴史書。著者はプロイセン王。ここで言う「羊飼い」とは彼自身のこと。
238—オランダ人の奇妙な愚行。[チューリップ熱狂]
310—摂理の知恵。寓話。有名なゲレルトのドイツ語作品からの翻訳。
491—高潔で学識豊かなエマヌエル・スウェーデンボリの人物像。本人による執筆。
II—1790年
53—故プロイセン王フリードリヒに関する逸話。
151—アルプス訪問記。M・ド・ソシュール著。
177—ノルウェーの熊。
456—ザクセンの女性英雄。
685—オランダの刑務所の清潔さ、秩序、経済性について。(故有名なハワード氏による)
708—ペンシルベニア州ベツレヘムにあるモラヴィア人入植地について。(オーブリー船長の『アメリカ内陸旅行記』より。[48])
III—1791年
102など—オランダ人に関する様々なスケッチ。(ちょうど出版された『1784年にアメリカ人がオランダを巡って』より)
223—D・シュローザー嬢についての記述。[ハノーファー選帝侯領出身でゲッティンゲン大学で学術的栄誉を受けたドロシー・シュローザー]
235など—東洋の物語『ゾハル』。ヴィーラント著。
345—プロイセンの勅令。
365—ペンシルベニア州のベツレヘムについての記述。[ドイツ人に関する言及]
470—スウェーデンの女王クリスティーナに関する逸話。
559—偉大なアウグストゥス・ヴァーサ王の息子であり、不幸な運命をたどったエリック14世の概要。
564—ノルウェー王ハコンへの賛辞。
571—プロイセン王の人物像。

Page 215

627—ドイツ人の一般的な性格
756—オランダ人に関する様々な記述
IV—1792年
166—スウェーデン民族の性格
306—ヴァルデマールのマルガレータの歴史。(コックス著『ポーランド、ロシア、スウェーデン、デンマーク旅行記』より)
544—プロイセンの王室の慣習
V—1793年
38—スウェーデン革命についての記述
133—ベルリンの概要
VI—1794年
429以降—クラウディーヌ:スイスの物語。(フランスのM・ド・フロリアン作より)
497—故ドイツ皇帝に関する逸話
555—故ドイツ皇帝ヨーゼフに関する逸話
584—現代ドイツにおける結婚儀式
VII、1795年7月号、12月号
21—ラヴァーター。[目次に記載あり]
233—『スペキュレーター』第IX号。[演劇に関する記事。ドイツ演劇に多く言及。ゲーテ、レッシング、シラー、ライゼヴィッツ、「ガルステンベルク」、ウンツァー、クリンガーが言及されている。また「クロップストックの戯曲詩」も言及されている。]
VIII—1796年1月~12月
33—有名な改革者ルターの興味深い特徴
200—故プロイセン国王フリードリヒ大王に関する逸話
258—アウクスブルクのカルメル会修道院での出来事。キャンベルのインドへの陸上旅行記より
303—さまざまな国における結婚儀式。[スウェーデン、デンマーク、スウェーデン領リヴォニア、古代ドイツ]
343—マルティン・ルター。[逸話]
443—ペンシルベニアに住むモラヴィア人が使用する石
447—相貌学。[ラヴァーターに言及]
469—ペンシルベニアにおけるモラヴィア人の入植地についての記述

『クリスチャン、学者、農民の雑誌』—ニュージャージー州エリザベスタウン
I—1789年4月~1790年3月
46—オランダ人の偉大な慈善心
632—故プロイセン国王に関する逸話

Page 216

——ドイツ語の著作から、神学博士によるもの。[656ページの次の番号なしのページ、「購読者へ」という見出しがある。]

N. Y. Mag. or Lit. Repos.—ニューヨーク
II—1791年
173—歌。曲調、ドイツ風。
321—イルス。ドイツ語の著作からの翻訳。
332—ピョートル大帝に関する独自の逸話。最近出版されたドイツ語の著作からの翻訳。
460—オランダに関する様々な観察。『エディンバラ・マガジン』の編集者へ宛てた手紙の中に収録。
526—1791年1月6日、ドイツ協会の記念集会において、ジェイコブ・モートン氏がルター派教会で行った演説。
534—ドイツ人の一般的な性格。(リースベック男爵の『ドイツ旅行記』より)
730—スウェーデンの女王クリスティーナに関する逸話。
III—1792年
361—『寛大な仮面』。物語。ドイツ語の作品を模倣して作られたもの。
391—プロイセン王フリードリヒ3世に関する逸話。
475—スウェーデン王グスタフ3世暗殺の罪でジョン・ジェイコブ・アンカーストロムが受けた処罰。
IV—1793年
222—スイスとアルプスの概要、そして感動的な逸話。(『デンマークなどに関する観察』より)
231—ウィリアム・テル。(『スイスの風景描写』より)
293—1786年3月20日、スウェーデン・アカデミーの設立に際してグスタフ・アドルフ3世が行った演説。(『スウェーデン・アカデミーに関する選ばれた演説や論文集』より)
428—ロヘイアの住民について。(ニーブールの『旅行記』より)
610—ロシア、オーストリア、プロイセンという三頭政治の力についての簡単な分析。ランズダウン侯の見解によれば、もし現在のフランスに対する連合軍が成功すれば、これらの国々はヨーロッパの他の諸国を飲み込んでしまうだろう。
730—レーティアン・アルプスで起きた出来事、およびチロル人の一般的な性格。(アルバニス・ボーモン著、1786年にイタリアからチロルを経由してドイツまで行われた「レーティアン・アルプス旅行記」より)

Page 217

V—1794年
325—クロプシュトック氏からフランス国民公会への手紙。(『パリの昔姿』より)
334—趣味に関する一般的考察。ドイツ語からの翻訳。
425—ザクセン州のコニグシュタイン刑務所についての記述。(『トレンク男爵の生涯』より)

VI—1795年
269—アイスランドにある特異な泉についての記述。(ホーレボウ著『その島の自然史』より)
496—O伯爵の文書の中から見つかった興味深い断片「幽霊を見る者、または幻覚を見る者」からの抜粋。[49]
593—ダンカー人の性格について。(ウィンチェスター著『普遍的復興』より)
663—1788年、89年、90年、91年に行われたノルウェー、デンマーク、ロシアへの旅行について。A・スウィントン著。
752—アイスランドの描写。(ワトソン著『普遍的地理事典、または現代地理索引』より)

n. s. I、1796年1月~7月
239—モラットの戦い。(コックス著『スイス旅行記』より)
244—ライン川上の木材運搬についての記述。
250—オランダにおける家族犯罪者の処罰に関する興味深い記述。
251—顔の表情が他の人の表情に与える影響について。[ラヴァーター著]
311—ケイスネスの遺跡――ゴシック風の物語。
338—オランダの太鼓についての記述。(プラット著『拾得集』より)
339—デンマークの王太子に関する逸話。(ウォルストンクラフト夫人の手紙より)
369—ヘルベティック連邦。(コックス著『スイス旅行記』より)

n. s. II—1797年
116—山崩れによるプルースという町の破壊。(コックス著『スイス旅行記』より)
141—慈悲の結果。(ヘルダー著『散らばった葉』より)
141—ブドウの木。(同書より)
247—睡眠。(ヘルダー著『散らばった葉』より)
247—植物の選択。(同書より)
248—夜明け。(同書より)

Page 218

261—スイスの農民たちのスポーツ。(デュラン著『スイスの基礎統計』より)
308—スイス・アルプスの地形と自然史。(故ハラー男爵による同名の著作より)
316—ウィーンの公的な食堂について。(オーウェン著『旅行記』より)
322—ジュネーブの文学について。(コックス著『スイス旅行記』より)
368—クローディーヌ:スイスの物語。(ド・フロリアン氏のフランス語原作より)
408—ゼバルドゥスと軍人との対話。(ダットンによるニコライ著『ノーサンカー』の翻訳より)
481—結婚式の葬儀:歴史的断片。(ドイツの年代記より)
547—ドイツにおける化学の状況。

『アメリカン・アポロ』—ボストン。
第1巻—1792年1月6日~9月28日。
314—故スウェーデン王グスタフ3世の人物像。

『レディズ・マガジン・アンド・レポーズ・オブ・エンターテイニング・ノウルッド』—フィラデルフィア。
第1巻—1792年12月~1793年5月。
253—スイスとアルプスの概要、および感動的な逸話。[詩も収録。136ページ参照]

『キュリオシティーズ・オブ・リテラチャー』—ロンドンで印刷、1793年にフィラデルフィアで再版。
185—13のカントン。[すなわち、スイス]

『ラーリャル・マガジン・オア・ヴァージン・レポーズ』—ラトランド。
第1巻—1795年。
493—(ヨーロッパ中の注目がラティスボンの議会に向けられている今、ドイツの憲法やその軍事力に関する概要は、読者の皆様にとって有益であろう。)[記事続く]
第2巻—1796年。
76—ドイツ。[1½ページ]
220—プロイセン王に関する逸話。

Page 219

352—ダンカー族の性格。ウィンチェスター著『ユニバーサル・レストレーション』より。
387—ライデン大学の起源。スミス博士の大陸旅行記より。
535—プロイセン王がヴォルテール氏に宛てた直筆の手紙。[翻訳あり]

Amer. Mo. Rev.—フィラデルフィア
I—1795年1月~4月
199, 491—大陸からの文学情報。スウェーデン、デンマークについて。
201, 324—ニーブールの『アラビアおよび東方諸国を巡る旅』。ロバート・ヘロンによる英訳。[書籍紹介]
271—『タウリスのイピゲネイア』。J・W・フォン・ゲーテによってドイツ語で初めて書かれた悲劇。ノリッジで印刷され、ロンドンのジョンソン社によって販売された。[ノリッジのウィリアム・テイラーによる韻文訳からの抜粋。(?)]
II—1795年5月~8月
201—『予言の本質に関する研究』。アムステルダム大学教授コニネンブルグによる著作。ハールレム、1794年。[書籍紹介]
III—1795年9月~12月
184—『カバルと愛』。『盗賊たち』『ドン・カルロス』『フィエスコの陰謀』などの作者であるF・シラーのドイツ語原作を翻訳した悲劇。[書籍紹介]
298—『ホルンスデルン伯爵』。『コンスタンツ』『ファロス』『アルゴス』などの著者によるドイツ語物語。[書籍紹介]
304—『新約聖書入門』。故ゲッティンゲン大学教授ジョン・デイヴィッド・ミカエリスによる著作。ドイツ語第4版から翻訳され、解説や補足の注釈が大幅に加えられている。ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジのB.D.フェローであるハーバート・マーシュによる翻訳。[書籍紹介]

The Weekly Museum.—ニューヨーク
VIII—1795年5月9日~1796年6月18日
1795年5月23日—オランダ人の寛大さ。

Page 220

6月20日—カリオストロ伯爵の逸話。オーストリア・ウィーンの外科医トゥスコフィーから、ロンドンで発行されている『Courier de l’Europe』の編集者への手紙。
8月29日—ホーエンローエ伯爵。ドイツの物語。
1796年2月6日—二人のライバル恋人たちの奇妙な争い。ドイツの逸話。
6月18日—アルプスの隠者。断章。[続きの物語。]
IX—1796年6月25日~12月31日。
11月26日—プロイセン軍の将校に関する感動的な逸話。

N. Y. Weekly Mag.—ニューヨーク
I—1795年7月1日~1796年6月29日。
46—幻影を見る男。シラー作からの翻訳。
II—1796年7月6日~1797年6月28日。
4—魔法による錯覚の犠牲者。チンクのドイツ語原作からの翻訳。

Phila. Minerva.—フィラデルフィア
I—1795年2月7日~1796年1月30日。
5月9日—アムステルダム、ハールレム。
8月29日—イルス。X・ゼーヒェヴィオのドイツ語原作から。
10月31日—オランダ人の寛大さ。
II—1796年2月6日~1797年1月21日。
2月6日—故プロイセン王に関する興味深い逸話。
2月6日—軍隊内での恋愛。珍しい古いデンマークの逸話。
3月12日—(オランダ人の)逸話。
5月28日—二人のライバル恋人たちの奇妙な争い。ドイツの逸話。
11月19日—故プロイセン王に関する逸話。
III—1797年1月28日~1798年1月27日。
4月22日—過度に感受性の強い心が若いプロイセン将校にもたらす致命的な影響。
IV—1798年2月3日~7月7日。
20—寛大な仮面。ドイツ語原作を模した物語。
90—洪水の場面。(ドイツ語原作からの翻訳。)

Mo. Military Repos.—ニューヨーク

Page 221

I—1796年
23—プロイセン王の戦いたち
25—七年戦争、または第三次シレジア戦争。著者:I・W・ダルケンホルツ、プロイセン軍の大尉。ドイツ語から編集者により翻訳
45—ベンダー近郊のヴァルミザで捕虜となったスウェーデン王カール12世の記述
139—故プロイセン王によるスウェーデン王カール12世の性格と軍事才能に関する考察

II—1797年
15—歩兵監督官向けの指示。著者:プロイセン王フリードリヒ大王。[ドイツ語から翻訳]

リトル・ミュージアム——ウェストチェスター
1797年1月~6月
80—ウンナのヘルマン。15世紀を舞台とした一連の冒険物語で、ヴィンツェスラウス帝およびジギスムント帝の時代の秘密裁判所の活動が描かれている。著者:クラーメル教授、ドイツ語で執筆
125—光を放つ植物に関する覚書。著者:ハガロン氏、自然史講師。スウェーデン語から翻訳
159—ラヴァーター氏の逸話
175—ライデン大学の起源
180—アウクスブルクの善良な修道士。(キャンベル氏のインドへの陸路旅行記より)
192—コペンハーゲン市の新たな姿、およびデンマーク人の性格や習慣に関する観察。(ウォルストンクラフト夫人のスウェーデン、ノルウェー、デンマーク滞在中の手紙より)
200—顔の表情が他の人の表情に与える影響について。著者:ラヴァーター
233—オランダ製の太鼓についての記述
253—興味深い断片。(『幽霊を見る人』または『幻覚体験者』より)
309—ヴァルテリーネ地方について。コックスのスイス旅行記より

アメリカン・ユニバーサル・マガジン——フィラデルフィア
I—1797年1月~3月20日
62—フランクリン博士と故スウェーデン王の逸話
II—1797年4月3日~6月13日

Page 222

79—コニグシュタイン城にあった樽についての記述。世界最大級だったとされる。
172—奇妙な逸話。ミュラー教授によるリンネのドイツ語訳から。
III—1797年7月10日~11月15日。
10—ライン川で浮かぶ木材。
128—レーティアアルプスで起きた出来事。(アルバニー・ボーモンの旅行記より)
204—故プロイセン王によるヴォルテールの肖像画。
235—趣味に関する一般的な考察。ドイツ語からの翻訳。
362—賢明な裁判官。東洋の物語。ドイツ語からの翻訳。
400—スウェーデン王カール12世に関する逸話。
407—ドイツにおける化学の現状。
IV—1797年12月5日~1798年3月7日。
102—モンブラン山の描写。ブリット氏による。
237—前世紀にオランダで流行したチューリップ熱についての記述。

Amer. Moral and Sentimental Mag.—ニューヨーク
I—1797年7月3日~1798年5月21日。
25—故プロイセン王に関する逸話。
729—才能あるドイツの農民、ペーター・アニッヒに関する伝記的逸話。

Phila. Mo. Mag.—フィラデルフィア
I—1798年1月~6月。
205—デュッセルドルフ出身のヤコビのドイツ語作品に登場する人物、ヴァルデマール。

Weekly Mag.—フィラデルフィア
I—1798年2月3日~4月28日。
124—プロイセン王女に関する奇妙な逸話。
220—G・A・ビュルガーの詩についての解説。ゲーテの『タウリス島のイピゲネイア』の翻訳者による。
II—1798年5月5日~7月23日。
152—アイスランドにある驚くべき泉、間欠泉についての記述。

Page 223

335—ギボンの逸話集。最近チューリッヒで出版されたマティソンの書簡集より。
349—ジギスムント皇帝に関する逸話。
396—オランダにおける犬の利用法という特異な方法。
397—ド・ソシュール氏の有名なモンブラン探検。
404—ドイツ人の美味しい食事へのこだわり。

III—1798年8月4日~1799年4月6日。
59—赤外線温度計。(『ドイツ、スイス、イタリア、シチリアを旅したストルベルク伯の旅行記』より。最近出版されたもの。)
181—アダムの死。ヘルダーの『散逸した葉書と手紙集』より。
243—睡眠。ヘルダーの『散逸した葉書と手紙集』より。

The Key.—フレデリック・タウン。
I—1798年1月13日~7月7日。
75—寛大な仮面。ドイツ語を翻案した物語。
141—ウィリアム・テル。
187—洪水の場面。ドイツ語からの翻訳。

Mo. Mag. and Amer. Rev.—ニューヨーク。
I—1799年4月~12月。
55—教会史。故ジョン・ローレンス・モスハイム博士、ゲッティンゲン大学総長による著作。ラテン語からアーチボルド・マクレイン博士によって翻訳。[書評]
76—著名人の逸話集—コッツェブー。
96—恋人の誓いについての考察:コッツェブーのドイツ語原稿より。インチボールド夫人著。
148—オランダ東インド会社が北京の宮廷に派遣された使節団に関する詳細。
153—シラー。
335—ヴァルシュタインの歴史学説。ゴータのクラントスのドイツ語原稿より。
II—1800年1月~6月。
8—ドイツ人の文学活動。[17ページ参照。]
73—セントルシア島の火山の記述。カッサン氏著。『スウェーデン科学アカデミー紀要』第11巻より。
133—ブルゴーニュ伯爵—コッツェブー。チャールズ・スミスによる翻訳。[同じ作品] アン・プランプトリーによる翻訳。[書評]

Page 224

225—『荒野の若者』—コッツェブー。チャールズ・スミス訳。『野鵝の追跡』—コッツェブー。ウィリアム・ダンラップ訳。[書評]
284—ドイツ語学習について。
444—ドイツの演劇界の現状について。

III—1800年7月~12月
68—西インド諸島にあるスウェーデン領のセント・バーソロミュー島について。
283—スワロウに関する特筆すべき逸話集。ポーランドで彼のもとで働いたドイツ人将校による。
303—デンマーク王の支配下にある地域の政治雑誌などについて。
306—スウェーデンにおける同様のものについて。
453—『ペルーのピサロ、またはロッラの死』—コッツェブー。ウィリアム・ダンラップ訳。[書評]

『フィラデルフィア・マガジン・アンド・レビュー』—フィラデルフィア
I—1799年1月~6月
28—フランクリン博士と故スウェーデン王に関する逸話。
34—ゲッティンゲン大学の経済学教授ジョン・ベックマン著『発明と発見の歴史』。ドイツ語からウィリアム・ジョンストンにより翻訳。全3巻。[案内]
147—ミラノの警察に関する逸話集。ドイツ人著者による。
224—D・フォン・ビューロー著『北アメリカの自由国家』。全2巻。[案内]

『フィラデルフィア・レポーズ』—フィラデルフィア
I—1800年11月15日~1801年11月7日
207—風刺的な書簡集。[ベルリン大聖堂のシュミット博士とプロイセン王との間のやり取り]
290—故プロイセン王の私生活について。
331—「死に際しても強く残る情熱」の顕著な例。[プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルムの逸話]
III—1803年
313—『スイスの乙女』。物語。
396—『ドクター・ラウレンツィウス』。ドイツのエルウェス族について。
IV—1804年

Page 225

38—クロプシュトックとグライム。
72—『スイス旅行記』より。ヘレン・マリア・ウィリアムズ著。[13節が掲載されている。]
181—「眠り」。ヘルダーの『散らばった葉と手紙集』より。
187—ドイツ皇帝に関する逸話。
343—「旅に伴う名前」。(ドイツ語からの翻訳。)

Columbian Phenix.—ボストン。
I—1800年。
74—オランダ人の国民性について。(あるドイツ人の手稿ノートより。)
94—ハンデル。
365—コッツェブー。
370—1534年当時のドイツにおけるアナバプテスト派についての記述。

Child of Pallas.—バルト。
I—1800年。
74—[ラヴァーターに言及。]
210—フリードリヒ3世に関する逸話……
注:エンゲルはこの逸話を題材にして『The Page』という短編劇を書いている。
245—ハンデルに関する逸話。

Balto. Weekly Mag.—バルト。
1800年4月26日~1801年3月27日。
68—クレーバー将軍についての記述。
94—孤独の大きな利点について。M・ツィマーマンのドイツ語著作より。

Port Folio.—フィラデルフィア。
I—1801年。
1など—シレジア旅行記。[ジョン・クインシー・アダムス著。2ページを参照。]
58—ゲスナー。[散文記事。]
186—海外在住のアメリカ人からの、さまざまな外国文学に関する手紙。[フリードリヒ大王とゲレルトの対話。]

Page 226

193—アメリカ独立革命とフランス革命の比較原理。ゲンツのドイツ語訳からの翻訳。
II—1802年。
42—コッツェブーの弁護。
337—北アメリカでの興味深い旅行記。ビューロウのドイツ語訳からの翻訳。
II—1806年7月~12月。
369—書評:『スイスの放浪者およびその他の詩』ジェームズ・モンゴメリ著。[引用については163ページを参照。]
IV—1807年7月~12月。
228—「オリンピック競技について等」。チャールズ・セドリー氏によるギリシャ語からの翻訳『アナクレオンの回顧録』という原作からの抜粋。[上記書評における翻訳は「美の力について」である。[50]]
V—1808年1月~6月。
363—『サニョーラ・アヴェドゥータ』。ドイツ語およびフランス語版からの翻訳。
380—画家ダヴィッド・テニエルス。
394, 406—批評。ノルド語およびウェールズ語による頌歌。グレイ著。[引用については128ページ、175ページを参照。]
VI—1808年7月~12月。
10—ベゼンヴァル男爵の回顧録。ドイツ語およびフランス語版からの翻訳。
55—批評。ノルド語による頌歌等。[グレイ著。引用については128ページ、175ページを参照。]
I—1809年1月~6月。
143—ライプツィヒ見本市。
240—軍人としての性格――オーストリア人。
III—1810年1月~6月。
472—ハンデルの音楽に関する観察。
IV—1810年7月~12月。
264—フェルディナント・フォン・シルの生涯概要。

『レディズ・マガジン&ミュージカル・レポーズ』—ニューヨーク。
I—1801年1月~6月。
19—「すべての幸福は幻想だ――それを奪う者は不幸だ」。コッツェブーの雑著からの戯曲的逸話。C・スミスによる翻訳。
290—ラヴァーターの概要。

Page 227

II—1801年7月~12月
193—アルベルトとローラ:スイスの物語
284—コッツェブーの生涯と著作に関する概要

III—1802年1月~6月
100—メアリー・ウォルストンクラフト・ゴドウィンの著作からの抜粋。(『スウェーデン、ノルウェー、デンマーク旅行記』より)

Amer. Rev. and Lit. Journal.—ニューヨーク
I—1801年
120—プロイセン王の後援による医学上の新たな発見
333—ヴィーラント、または変身。アメリカの物語。[チャールズ・ブロックデン・ブラウン]

II—1802年
62—プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルムからハメルベルグ少佐への手紙
204—1784年にアメリカ人が行ったオランダ旅行記。ウースター、1790年

New Eng. Quart. Mag.—ボストン
第1号—1802年4月~6月
36—寿命を延ばす技術。フーフェランド博士のドイツ語原稿からの翻訳
67—フリードリヒ大王。ラクサルの回顧録からの抜粋
269—故プロイセン王に関するエピグラム、およびヴォルテールによる詩

第2号—1802年7月~9月
18—ドイツにおける化学の現状
52—ボーアハーフェ
57—ジョン・ポール・フレドリック・リヒター
61—ジョン・ジェローム・シュレーター
169—カイロの街について。ニーブールの旅行記より
262—ドイツ文学。[短い段落]

第3号—1802年10月~12月
28—ドイツにおけるブルーノ派と反ブルーノ派の対立
198—スウェーデンのカール12世に関するエマヌエル・スウェーデンボルグ氏の興味深い回顧録

Juvenile Mag.—フィラデルフィア

Page 228

II—1802年
94—著名な相貌学者ラヴァーターの生涯
94—ハレ大学のユンカー教授に関する逸話

IV—1802年[1804年?]
198—ルター

Balance and Columbian Repos.—ハドソン(ニューヨーク)

II—1803年
240—勇敢なオランダ人
304—ドイツ人化学者に関する逸話

III—1804年
220—ウィーンの女性詐欺師。ロンドンの新聞からの抜粋

Weekly Visitor.—ニューヨーク
I—1802年10月9日~1803年4月2日
36—エジプトにおけるアラブ人の習慣。ニーブールの旅行記より
54—スイスの反乱
86—スイス
148—有名なオランダ人画家ゲラール・ドゥーに関する逸話

Boston Weekly Mag.—ボストン
I—1802年10月30日~1803年10月22日
116—コッツェブーが妻の病気と死について書いた記述
182—ハレ大学のユンカー教授に関する逸話
II—1803年10月29日~1804年10月20日
74—スウェーデン王グスタフ・アドルフ
126—ベルン市
III—1804年10月27日~1805年10月19日
74、102、142—プロイセン王に関する逸話

Mass. Missionary Mag.—セイラムおよびボストン
III—1805年6月~1806年5月
121—故ジョン・キャスパー・ラヴァーター牧師の回顧録
229—ザクセン公爵
IV—1806年6月~1807年5月
263—スウェーデン王グスタフ・アドルフ

Page 229

V—1807年6月~1808年5月。
193—シュペーナー博士。

『Lit. Mag. and Amer. Register』—フィラデルフィア。
I—1803年10月~1804年3月。
168, 171, 253, 254—ペンシルベニア州の一部を巡る旅。[ドイツ人に関する記述]
468—クロップストックの『メシア』に対する批評。[15行分の翻訳あり。66ページ参照]
II—1804年4月~12月。
33—アスチェルビによるスウェーデンに関する詳細記述。
39—最近ベルリンで手紙の形で出版された、正確かつ詳細な著作に基づくドレスデン及びその周辺地域の記述。
105—オランダ東インド植民地に関する記述。
138—ある機械の天才について。ストルベルク著。
299—ドイツ北部への旅行。ハンブルクの記述。
231, 307, 390—クロップストックの『メシア』に対する批評。I-470からの続き。[引用文あり]
375—愚者、またはスイスの愚人たち。
472—1799年7月にその都市を訪れた旅行者の手紙に基づくアムステルダムの概要。
489—ウィーンの女性詐欺師。最近のロンドンの新聞からの記事。
514—ゼーエンドルフの教育制度および軍事制度。
525—フランドルの説教壇。
530—[オランダ人商人に関する]逸話。
550—強盗シンデルハンネス。
552—ターガー・タルピエル[11回結婚したドイツ人]。
553—[ドイツのエステルハージー公に関する]逸話。
666—ドイツの絵画派。
715—ゲスナーの牧歌作品。[批評]
III—1805年1月~6月。
138—クロップストックと彼の頌歌。
207—アルプス越え。
362—クロップストックの妻。
438—ドイツにおける製本業の現状。
IV—1805年7月~12月。

Page 230

28—オランダの産業
35—フランス軍およびオーストリア軍の特徴。ドイツの出版物より。
38—ドイツの墓地
45—フランドル地方の工場についての記述
117—ヴィーラントに関する逸話
148—オランダ人の趣味
353—ダンツィヒの商人の肖像
353—スウェーデンの概観
V—1806年1月~6月
26—スウェーデンの地下風景
132—チューリッヒとラヴァーター
183—プロイセンのフリードリヒ大王の性格に関する逸話
259—ドイツの劇作家フリードリヒ・シラーの伝記的概要
340—ティロール人。コッツェブー著
358—ローマにおける聖体行列。コッツェブー著
VI—1806年7月~12月
297—コッツェブー。[1段落]
306—フランス軍とオーストリア軍の軍事的特徴の比較
383—ハノーファーにいるフランス軍
409—ナポリの郵便局。コッツェブー著
451—『ヴェルターの悲しみ』。[批評]
455, 458—商業に関する概観──プロイセンなど
VII—1807年1月~6月
21—スイスとスイス人についての概観
106—アムステルダムの様子、およびオランダ人の習慣についての観察。ホルクロフト氏著
163—プロイセン領の統計的概観
175, 243—ツィソー氏のフランス語著作からのツィマーマン博士の回顧録
218—ハンブルク市の破産法の要約。ハンブルク出身の法学博士P.A.ニムニッヒ著
283—オランダ演劇史の要約。M.ド・ホーグ著
335—『メシア』やその他の詩の作者であるフリードリヒ・テオフィルス・クロップストックの回顧録。[要約]
413—プロイセン軍の総司令官であった故ブラウンシュヴァイク=ルーネブルク公の回顧録
VIII—1807年7月~12月

Page 231

28—ゴッドフレッド・オーガスタス・バーガーの生涯
66—高名なるボールハーフェの回顧録
200—87歳で亡くなった独身男性の遺言書からの抜粋。ドイツ語からの翻訳。
202—フランスにいたスイス人大尉の逸話
237—デンマーク

Mo. Anthology.—ボストン
IV—1807年
371—強盗たち。[批評。著者名は記載されていないが、モア、フランシス、アメリア、悪名高きチャールズ、コジンスキーといった登場人物に言及されている。]
V—1808年
258—眠り。ヘルダーの『散らばった葉』より。
374—アウロラ。同書より。
656—ヴィンケルマン。[短い段落。]
VIII—1810年1月~6月
89—あるドイツ人男爵の手紙たち
350、425—ギリシャ文学。ドイツの批評家および編集者たち。
IX—1810年7月~12月
55—聖書文学。ドイツの批評家および編集者たち。
70—ドイツの地図
191—ヴィーラントのドイツ語作品をウィリアム・ソザビーが英訳した詩『オベロン』。[書評.]

Lit. Tablet.—ニューハンプシャー州ハノーバー
III—1805年8月~1806年8月
27—ヴェルターの悲しみ。「これは実話だと聞いています……」[短い段落.]
34—ボールハーフェの伝記。[オランダの著名な科学者.]

Companion and Weekly Misc.—バルト
I—1804年11月3日~1805年10月26日
34—[コッツェブーの『見知らぬ人』に関する段落。見出しなし.]

Lit. Misc.—ケンブリッジ

Page 232

I—1805年
26—ドイツにおける文学の発展についての簡単な概観
33—スイスの各州がオーストリア家から独立するまでの経緯に関する記録
77—著名な作家サロモン・ゲスナーの伝記

Mo. Register and Rev. of U.S.—サウスカロライナ州チャールストン、ニューヨーク
I—1805年1月~1806年7月
144—スイスのチューリッヒで行われるプロテスタントの宗教儀式
255—ニューホランドの特異な風習
364—マルティン・ルターの弁護

Evening Fireside.—フィラデルフィア
II—1806年
47—故プロイセン王に関する逸話
79—ザクセン公ヘンリー
87—フランスとドイツの皇帝たちの間の交渉
108—ハラー男爵の伝記[アルベルト・ハラー]
264—ルーベックの奇跡の少年[クリスチャン・ヘンリー・ハイネケン]

Norfolk Repos.—マサチューセッツ州デダム
II—1806年11月11日~1807年11月3日
417, 301—ダンツィグの包囲戦
436—模範とすべき人物。ドイツ語からの翻訳
436—ドイツ人オルバースによる新しい惑星の発見

Panoplist.—ボストン
I—1805年6月~1806年5月
5—文学情報—ドイツ
225—オランダにある新しくて非常に特異な団体
377—ルターの生涯[『Religious Monitor』より]
467—ドイツの苦境
II—1806年6月~1807年5月
38—シュヴァーベン、バイエルン、ハンガリーの宗教状況
460—ルターの返答
484—文学情報—オランダ

Page 233

III—1807年6月~1808年5月
28—プロイセン王に関する逸話
38—プロテスタントからカトリックへの改宗について、ヴュルテンベルクからボルチモア在住の紳士への手紙
191, 234, 425—海外情報報告──ノルウェー、スイス、デンマーク、ドイツ

IV—1808年6月~1809年5月
353—宗教に関する情報──スウェーデン

V—1809年6月~1810年5月
171—アルントの著作からの抜粋

Polyanthos──ボストン

II—1806年4月~7月
153—劇的伝記──ゲレルトについての概要
254—スウェーデンの貴婦人たち。カーの『北方の夏』より

IV—1806年12月~1807年3月
20—アイスランド
99—フリードリヒ大王
124—エックホフ──ドイツのロシクス

V—1807年4月~7月

Weekly Visitant──セイラム

I—1806年
37—ブロッケンの幽霊──ドイツ、ハノーファー近郊の山。ゲッティンゲンの新聞からの抜粋。[ハルツ山脈のブロッケン]
196—ラテン語の碑文について──コッツェブー
313—ヴィーラント。[短い段落]

Observer──バルト

I—1806年11月29日~1807年6月27日
26—政治──プロイセンとフランスの断交についての考察
108—政治──オーストリア
172—プロイセン王の宣言への返答

II—1807年7月4日~12月26日
97—オーストリア領ダルマチア

Page 234

108—マルティン・ルターとカルヴァン。
エメラルド誌—ボストン。
II—1807年1月3日~10月17日。
108—【ジェームズ・モンゴメリーによる『スイスの放浪者』への批評。抜粋あり。169ページを参照。】
308—故プロイセン王による短い文章。
I—1807年10月24日~1808年10月15日(新体制)。
495—スウェーデンに関する原文記録。

演劇検閲誌—フィラデルフィア。
第1号~17号、1805年12月9日~1806年3月3日。
19—ディモンド作『アルプスの狩人』。[詩16行が引用されており、この戯曲に対する批評もある。]

アメリカン・レジスター誌—フィラデルフィア。
VI—1809年分 第II部。
17—第III章 オーストリア戦争の原因、その経過、そして終結。
VII—1810年分 第I部。
3—オランダの状況についての考察。
215—ドイツ系移民。

パストライム誌—オールバニおよびスケネクタディ。
I—1807年2月21日~8月1日。
8—「ヴィンテージ・フェスト」。『Ranz des Vaches』の旋律に合わせて。
46—【クロップシュトックがその作品『メサイア』で六音步詩を用いたことについての言及。】
95—カムラッハの戦いの夜にコンデ公率いる移民騎兵隊が壊滅したことを追悼する賛歌。
舞台—ドナウ川のほとり。

ワンダフル・マガジン—ペンシルベニア州カーライル。
1808年。
98—1806年9月2日にスイスのローゼンベルク山が崩壊した出来事についての記述。
266—【アイスランドにあるヘクラ山の火山への旅行記。】

Page 235

『チャームズ・オブ・リット』—トレントン。
1808年。
254—『隠者の家、またはラエティアアルプスで起きた興味深い出来事とチロル地方の概要』。
406—『女性の英雄主義。マイスナーが伝えた実話』。

『リット・ミラー』—ニューハンプシャー州ポーツマス。
第1巻—1808年2月20日~1809年2月11日。[第1号は未完]
5—『学識豊かで優れたムサエウスの生涯と人物像についての簡単な概要。彼の弟子コッツェブーによる。』[第1号から続く]

『レディーズ・ウィークリー・ミスク』—ニューヨーク。
第VII巻—1808年4月30日~10月1日。
62—『ドイツ人によるヨーロッパに関する統計』。
380—『キス。ゲルステンベルクのドイツ語原作より』。
第VIII巻—1808年10月29日~1809年4月8日。
152—『ドイツ人の詐欺師』。

『グリーナー』—ペンシルベニア州ランカスター。
第1巻—1808年9月~1809年5月。
78—『スイスの放浪者。ジェームズ・モンゴメリー著』。[長編詩で、号ごとに続く。175ページ参照]

『ボストン・ミラー』—ボストン。
第1巻—1808年10月22日~1809年10月14日。
第14号—【クロップストックがその作品『メサイア』で六行詩を用いたことについて】。
第17号—『故プロイセン王の最も強い情熱』。
第21号—【プロイセン王に関する逸話】。
第30号—『レンブラント(ファン・ライン)』。
第50号—『「スイスの放浪者」と「ティッド・レイ・I」という詩との比較』。
第2巻—1809年10月21日~1810年7月21日。
15—『ボストン劇場。10月30日の月曜日の夜には、非常に高く評価されている3幕構成の悲劇「ヴェルター、または運命的な愛着」が上演される。これは「シャーロット」という有名なドイツの物語に基づいている』。

Page 236

ロンドンのコヴェント・ガーデン劇場で上演され、大きな拍手を浴びた。[出演者一覧は後述。]
68—プロイセンのルートヴィヒ・フェルディナント王子に関する逸話。
85—伝記──ヘイデン。
156—モーツァルトの生涯。

『アメリカン・マガジン・オブ・ワンダーズ』──ニューヨーク。
第II巻—1809年。
159—古代スカンジナビア人の並外れた英雄的行為。

『テスピアン・モニター』──フィラデルフィア。
第I巻、第1号、1809年11月25日。
8—『ピサロ、またはペルーのスペイン人』(コッツェブー作)。翻訳者:R. B. シェリダン。

『セレクト・レビューズ』──フィラデルフィア。
第I巻、1809年1月~6月。
119—ウィーンの風景画。
151—ムニッヒ伯爵の生涯。ロシア軍の元帥であったムニッヒ伯爵の生涯。ジェラール・アントワーヌ・ド・ハレムのドイツ語原稿からの自由訳。パリ。[書籍紹介]
361—1793年にあるロヴォニア人が行ったポーランドおよびドイツへの旅行。1808年。[紹介]
397—『レオンティーネ・デ・ブロンヘイム』など。オーガスタス・コッツェブー著。ドイツ語からフランス語に翻訳、H. L. C.による注釈付き。全3巻。ロンドン、1808年。[紹介]
第II巻、1809年7月~12月。
370—フリードリヒ2世の死からティルジット条約までのプロイセン概観。
第III巻、1810年1月~6月。
132—アイスランド旅行記。
180—M. G. ルイス著『ロマンチックな物語集』、1804年。[紹介。32ページ参照。]
361—『チロル旅行記』など。つまり、チロルやザルツブルク、ライヒェナールの塩鉱山を訪れ、バイエルンの一部も巡る旅行記。シュヴァリエ・ド・ブレイ著。パリ、1808年。[紹介]

Page 237

『クォータリー・レヴュー』—ロンドンで印刷、ニューヨークで再版。
第4巻—1810年8月~11月。
61—『イーゼンベルクの娘たち:バイエルン風ロマンス』著:アリシア・ティンダル・パーマー。全4巻。ロンドン。[批評あり]

『オーディール』—ボストン。
第1巻—1809年1月~6月。
266—「オーストリア軍とフランス軍」。
289など—『流浪者、または二重の起訴』。「舞台はヴァイマルの町およびケードリンブルク修道院周辺。時代は12世紀から現在まで。」[次号ではこの戯曲は「前号で紹介したドイツ演劇の模倣作」として言及されている。]
382—「武装したオーストリア軍」。

『ビジター』—リッチモンド。
第1巻—1809年2月11日~1810年1月27日。
62—「ヘッセン公と灰色のロバ」。
181—「スウェーデンブルグ」。

『オムニウム・ガザラム』—ボストン。
第1巻—1809年11月~1810年10月。
32—「有名な画家、ハンス・ホルバイン」。
67—「ヴェストフリーズラント地方のブルーク村に関する興味深い記述」。
502—「プロイセン人の奇妙な葬儀の様子」。

『ランブラーズ・マガジン』—ニューヨーク。第4号。[1809年]
54—「作曲家モーツァルトの生涯概要」。

『ミラー・オブ・テイスト・アンド・ドラマティック・センサー』—フィラデルフィア。
第1巻—1810年1月~6月。
「悲劇『エミリア・ガロッティ』。G・E・レッシングのドイツ語原作をF・ホルクロフト嬢が翻訳。1810年、フィラデルフィアのブラッドフォード&インスキープ社より出版。[翻訳版は1月号の末尾に収録されている。]」

Page 238

II—1810年7月~12月
95—『エミリア・ガロッティ』の著者レッシングの生涯。この悲劇は今後の号で掲載される予定。
204—トーマス・ホルクロフトによる、本号に収録されている悲劇『エミリア・ガロッティ』に関する論考。
221—演劇史 第VIII章 ドイツ演劇。

『The Quarterly Rev.』—ロンドンで印刷、ニューヨークで再版。
II(1809年8月~11月)—1810年ニューヨーク版
118—ヨーロッパにおけるゴシック建築の発展を明らかにするための、フランスの教会遺跡に関する歴史的概観。G・D・ウィッティントン著。ケンブリッジ、1809年。[書評]
278—1805年から1808年にかけてのロシアおよびスウェーデンでの旅行記。ロバート・カー・ポーター著。ロンドン、1809年。[書評]
338—『ウィリアム・テル、またはスイスの解放』。シュヴァリエ・ド・フローリアン著。フランス語からの翻訳:W・B・ヒューエットソン。ロンドン、1809年。[書評]

IV(1810年8月~11月)—1810年ニューヨーク版
61—『イゼンベルクの娘たち:バイエルンのロマンス』。アリシア・ティンダル・パーマー著。全4巻。ロンドン。[批評]

『Harvard Lyceum』—ケンブリッジ。
I—1810年7月14日~1811年3月9日
264—ドイツの学者たち。

脚注:
[48] 正直さや公平性に欠けることで有名な英語の著作。
[49] この著作の長所については、『Mo. Rev.』1794年9月号21ページを参照のこと。
[50] 「ドイツの詩人ウズもこの頌歌を模倣している。また、『Weisse Scherz. Lieder lib iii der Soldat, Gail, Degen』も参照のこと。」

Page 239

V.
調査対象となった雑誌一覧

本研究のための資料収集が行われた主な図書館は以下の通りである。フィラデルフィアでは、フィラデルフィア図書館(リッジウェイ支館を含む)、マーカンタイル図書館、ペンシルベニア大学図書館、ペンシルベニア歴史協会図書館、アメリカ哲学協会図書館。ボストンでは、ボストン公共図書館、アセネウム図書館、マサチューセッツ歴史協会図書館。ケンブリッジではハーバード大学図書館。ニューヨーク市では、ニューヨーク公共図書館(レノックス支館を含む)、ニューヨーク歴史協会図書館、ニューヨーク協会図書館、コロンビア大学図書館。ボルチモアでは、ピーボディ研究所図書館、メリーランド歴史協会図書館、ジョンズ・ホプキンス大学図書館、プラット図書館。ワシントンでは米国議会図書館。ロンドンでは大英博物館図書館。その他、訪問した中でも他の場所で入手可能な定期刊行物の複製しか所蔵していない小規模な図書館については、上記のリストから除外している。

『The American Mag., or a Monthly View of the Political State of the British Colonies』――フィラデルフィア。
1741年1月、2月、3月号、第1~3号。
[編集:ジョン・ウェッブ、印刷:アンドリュー・ブラッドフォード]

『The General Mag. and Historical Chronicle for all the British Plantations in America』――フィラデルフィア。
1741年1月~6月、第1巻。
[編集・印刷:ベンジャミン・フランクリン]

『The Boston Weekly Mag』――ボストン。
1743年3月2日、9日、16日、17日号、第1~3号。

『Amer. Mag. and Historical Chronicle』――ボストン。

Page 240

I-III、1743年9月~1746年12月。
『ザ・インディペンデント・リフレクター、または様々な重要なテーマに関する週刊エッセイ』——ニューヨーク。
第1号~第52号、1752年11月30日~1753年11月22日。
『ザ・オーケーショナル・レヴェルベレーター』——ニューヨーク。
第1号~第4号、1753年9月7日~10月5日。
『アメリカン・マガジンおよびアメリカのイギリス植民地向け月刊クロニクル』——フィラデルフィア。
第1巻、1757年10月~1758年10月。
『ザ・ニュー・アメリカン・マガジン』——ニュージャージー州ウッドブリッジ。
第1号~第27号、1758年1月~1760年3月。
『ザ・ニュー・イングランド・マガジン』——ボストン。
第1号~第2号、1758年8月。
『ユニバーサル・アメリカン・アルマナック、または年刊マガジン』——フィラデルフィア。
第1巻、1764年。
『ザ・ペニー・ポスト』——フィラデルフィア。
1769年1月9日~27日。
【文学雑誌】
『アメリカン・マガジン』。アメリカ哲学協会の会報も掲載。——フィラデルフィア。
1769年1月~9月。
【9号のみが発行された。Sabinの『アメリカに関する書籍の辞典』I-142を参照。】
『ザ・センサー』——ボストン。
第1巻、第1号~第17号;第2巻、第1号~第7号;1771年11月23日~1772年5月2日。
【ホイッグ党によるトーリー党官僚への攻撃に対する反論】
『ザ・ロイヤル・アメリカン・マガジン』——ボストン。
1774年1月~12月;1775年1月~2月。
『ペンナ・マガジン』——フィラデルフィア。
第1巻、1775年;第2巻、1776年1月~6月。
『U.S.マガジン』——フィラデルフィア。
歴史、政治、文学に関する資料集。

Page 241

『I』、1779年1月~7月、9月~10月。
教育的で楽しめるエッセイを集めた『ボストン・マグザイン』。——ボストン。
『I』~『III』、1783年10月~1786年12月。
教育的で楽しめる内容を掲載する『ジェントルマン・アンド・レディーズ・タウン・アンド・カントリー・マグザイン』。——ボストン。
1784年5月~12月。
『ジェントルマン・アンド・レディーズ・タウン・アンド・カントリー・マグザイン』。——ボストン。
『I』、1789年2月~1790年1月;『II』、1790年2月~4月~8月。
『アーミニアン・マグザイン』。——フィラデルフィア。
『I』~『II』、1789年~1790年。
【主に宗教に関する内容で、「一般的な救済についての抜粋や独自の論文で構成されている」】
『N.J.マグザイン・アンド・マンスリー・アドバタイザー』。——ニューブランズウィック。1786年。
『ニューヘイブン・ガゼット・アンド・コネチカット・マグザイン』。——ニューヘイブン。
『I』、1786年2月16日~1787年2月15日。
『III』、第1号~第50号、1788年1月10日~12月18日。[第1号は未完]
『II』、第1号~第45号、1787年2月22日~12月27日。
『I』(未完)、1784年11月11日~1785年4月7日。新聞。
『ウースター・マグザイン』。——マサチューセッツ州ウースター。
『I』~『IV』、1786年4月の第一週~1788年3月の第四週。
『コロンビアン・マグザイン・オル・マンスリー・ミセラニー』。——フィラデルフィア。
『I』~『V』、1786年9月~1790年12月。
その後『ユニバーサル・アシュラム・アンド・コロンビアン・マグザイン』として続刊。——フィラデルフィア。
『I』~『II』、1791年;『I』~『II』、1792年。
その後『コロンビアン・ミュージアム・オル・ユニバーサル・アシュラム』として続刊。——フィラデルフィア。
第1部、1793年1月~6月。
『アメリカン・ミュージアム・オル・リポジトリー・オブ・アンシエント・アンド・モダン・フュージティブ・ピーシーズ、プローズ・アンド・ポエティカル』。——フィラデルフィア。
『I』~『XII』、1787年~1792年;『XIII』、1798年。

Page 242

『アメリカン・マガジン』――原稿やその他の貴重なエッセイが散文・詩形で掲載され、教養と娯楽の両方を目的としている。—ニューヨーク。1787年12月~1788年11月。
『マサチューセッツ・マガジン』または『マンスリー・ミュージアム』——ボストン。第1巻~第6巻、1789年~1794年;第7巻、1795年の第4号、第7号、第17号;第8巻、1796年の第1号、第3号~第12号。
『クリスチャンズ、スコラーズ、アンド・ファーマーズ・マガジン』——ニュージャージー州エリザベスタウン。第1巻~第2巻、1789年4月~1791年3月。
『ニューヨーク・マガジン』または『リテラリー・リポジトリ』——ニューヨーク。[第2巻、1787年2月22日~12月27日、第1号~第45号。]
『アメリカン・アポロ』——ボストン。第1巻、1792年1月6日~9月28日。[第2巻~第3巻、1792年10月5日~1794年12月25日。新聞。]
『プロンプター』——常識に満ちたことわざや話題に関する解説書。常識こそが世界で最も優れた知恵である。—ボストン。1792年、第1号~第28号。
『レディーズ・マガジン』および『エンターテイニング・ナレッジのリポジトリ』——フィラデルフィア。第1巻、1792年6月~1793年5月。
『文学の珍品集』——逸話、人物像、文学的・批評的・歴史的観察記などを収録。ロンドンで印刷され、フィラデルフィアで再版・販売された。1793年。[雑集。]
『U.S.マガジン』または『有用な教養と合理的な娯楽の総合リポジトリ』——ニュージャージー州ニューアーク。第1巻、1794年4月~8月。
『マンスリー・ミセラニー』または『バーモント・マガジン』——ベニントン。第1巻、1794年4月~9月。
『ラーリャル・マガジン』または『バーモント・リポジトリ』——ラトランド。第1巻~第2巻、1795年~1796年。
『アメリカン・マンスリー・レビュー』または『リテラリー・ジャーナル』——フィラデルフィア。第1巻~第3巻、1795年。
『ウィークリー・ミュージアム』——ニューヨーク。第7巻~第9巻、1795年1月3日~1796年12月31日。

Page 243

フィラデルフィア:ミネルヴァ――フィラデルフィア。
第1巻~第4巻、1795年2月7日~1798年7月7日。

ザ・タブレット――ボストン。
第1巻、第1号~第13号、1795年5月19日~8月11日。

ザ・N.Y.ウィークリー・マグザイン、またはミスエリアス・リポジトリ――ニューヨーク。
第1巻~第2巻、1795年7月1日~1797年6月28日。

ザ・マンスリー・ミリタリー・リポジトリ――ニューヨーク。
第1巻~第2巻、1796年~1797年。

ミスエリアニーズ――散文および詩による道徳的・教育的な内容で、学校向けに様々な著者から集められたもの……第二バーリントン版、1796年。

ザ・ナイチンゲール、またはメランジュ・ド・リテラチュール。定期刊行物――ボストン。
第1巻、1796年5月~8月。

ザ・レディ・アンド・ジェントルマンズ・ポケット・マグザイン、文学的・上品な娯楽のための雑誌――ニューヨーク。
第1巻、1796年8月~11月。

ザ・リット.ミュージアム、またはマンスリー・マグザイン――ウェストチェスター。
1797年1月~6月。

ザ・アメリカン・ユニバーサル・マグザイン――フィラデルフィア。
第1巻~第4巻、1797年1月2日~1798年3月7日。

ザ・アメリカン・モラル・アンド・センチメンタル・マグザイン――ニューヨーク。
第1巻、1797年7月3日~1798年5月21日。

ザ・フィラデルフィア・マンスリー・マグザイン、または知識と娯楽のためのユニバーサル・リポジトリ――フィラデルフィア。
第1巻~第2巻、1798年1月~9月。

アメリカン・ミュージアム、またはアニュアル・レジスター――フィラデルフィア、1798年。

ザ・キー――フレデリックタウン。
第1号~第27号、1798年1月13日~7月7日。
【サビンによると、「メリーランド州で最初に発行された定期刊行物。合計27号が出版された。Hist. Mag., 第1巻~317ページを参照。」】

Page 244

『ザ・グリーナー』、全3巻の雑多な内容を扱った作品。コンスタンシア[ジュディス・サージェント・マレー夫人]著。ボストン発行。I-III巻、すべて1798年2月発行。
『ウィークリー・マグザイン』:オリジナルエッセイ、短編、興味深い情報を掲載。フィラデルフィア発行。I-IV巻、1798年2月3日から1799年5月25日まで。
『ザ・ラーラル・マグザイン』。ニューアーク発行。第1巻、1798年2月17日から1799年2月9日まで。
『ザ・デザート・トゥ・ザ・トゥルー・アメリカン』。フィラデルフィア発行。第1巻、1798年7月14日から1799年7月3日まで。最初の号の表題は「ザ・デザート」。
『ザ・フィラデルフィア・マグザイン・オア・マンスリー・レビュー』。フィラデルフィア発行。第1巻、1799年1月から6月まで。
『ナショナル・マグザイン』:政治、歴史、伝記、文学に関する情報を掲載。第1巻、アメリカ独立23年目、1799年、第1~4号。リッチモンド発行。第2巻、第5号、アメリカ独立24年目;発行地不明。第6~7号、アメリカ独立25年目、1800年。第6号はバージニア州リッチモンドで、第7号はコロンビア特別区で発行。第8号は発行地および日付が不明。
『ザ・マンスリー・マグザイン・アンド・アメリカン・レビュー』。ニューヨーク発行。I-III巻、1799年4月から1800年12月まで。
『チャイルド・オブ・パラス』:主に文学に焦点を当てた雑誌。バルトー発行。第1巻、1800年、第1~8号。
『ザ・コロンビアン・フェニックス・アンド・ボストン・レビュー』。ボストン発行。第1巻、1800年1月から7月まで。表紙には「1800年の第1巻」と記載。
『ザ・レディーズ・ミュージアム』。フィラデルフィア発行。第1巻、1800年3月8日から6月7日まで、第1~14号(第7、11、13号を除く)。1800年2月25日には『ザ・レディーズ・ミュージアム』の印刷に関する提案があった。
『ザ・ボルチモア・ウィークリー・マグザイン』。バルトー発行。1800年4月26日から1801年5月27日まで。

Page 245

『ザ・フィラ・リポジトリー・アンド・ウィークリー・レジスター』—フィラ。
第1巻~第5巻、1800年11月15日~1805年6月29日。

『ザ・ポート・フォリオ』—フィラ。
第1巻~第5巻、1801年~1805年。第1巻~第6巻、1806年~1808年。第1巻~第4巻、1809年~1810年。

『ザ・レディーズ・マガジン・アンド・ミュージカル・リポジトリー』—ニューヨーク。
第1巻~第3巻、1801年1月~1802年6月。

『ザ・アメリカン・レビュー・アンド・リテラリー・ジャーナル』—ニューヨーク。
第1巻~第2巻、1801年~1802年。

『ザ・リポジトリー・オブ・ノーレッジ:歴史、文学、その他、神学』—フィラ。
第1巻、第1号~第2号、1801年4月、5月[?]。

『ホルコムズ・ジョージア・アナリティカル・リポジトリー』—サバンナ。
第2巻、1802年。

『ザ・ジュベナイル・マガジン、または有用情報の雑集』—フィラ。
第2巻、1802年;第3巻、1803年;第4巻、1802年[1804年?]。

『ザ・バランス・アンド・コロンビアン・リポジトリー』—ハドソン(ニューヨーク)。
第1巻~第7巻、1802年~1808年。

『ザ・ニューイングランド・クォータリー・マガジン:文学、道徳、娯楽を含む』—ボストン。
第1号~第3号、1802年4月~12月。

『ザ・ウィークリー・ヴィジター、またはレディース・ミセラニー』—ニューヨーク。
第1巻、1802年10月9日~1803年4月2日。

『ザ・ボストン・ウィークリー・マガジン:道徳、文学、伝記、歴史、美術、農業などを扱う』—ボストン。
第1巻~第3巻、1802年10月30日~1805年10月19日。

『ザ・ミラー』—フィラ。
第1巻~第2巻、1803年。
[『ザ・ミラー』、第1号~第110号、1779年1月23日~1780年5月27日、エディンバラ。]

『ザ・コノイサー』—フィラ。
第1巻~第4巻、1803年。
[『セレクト・イングリッシュ・クラシックス』第27巻~第30巻の再版、ロンドン、1775年など。]

Page 246

『マサチューセッツ・ミッショナリー・マガジン』—セーラム。
第1巻~第5巻、1803年5月~1808年5月。

『ザ・リテラリー・マガジン・アンド・アメリカン・レジスター』—フィラデルフィア。
第1巻~第8巻、1803年10月~1807年12月。

『ザ・マンスリー・アンソロジー・アンド・ボストン・レビュー』—ボストン。
第1巻~第9巻、1804年~1810年。

『ザ・コレクター』、著者:トビー・ティックラー—ニューヨーク。
第1号~第10号、1804年3月28日~4月26日。
【新聞として分類されているが、実際には雑誌に近い。】

『ザ・リテラリー・タブレット』—ハノーバー(ニューハンプシャー州)。
第2巻、第1号、第6号~第10号、第13号、1804年9月19日~1805年3月6日。
第3巻、1805年9月25日~1806年8月13日。

『ウィークリー・モニター』—フィラデルフィア。
第1巻、第17号、第21号、第23号、1804年10月6日~11月17日。

『ザ・コンパニオン・ウィークリー・ミセラニー』—バルトー。
第1巻~第2巻、1804年11月3日~1806年10月25日。

『エヴニング・ファイアサイド;または、市民生活、自然科学、道徳、文学、宗教の分野に関する週刊情報誌』—フィラデルフィア。
第1巻~第2巻、1804年12月7日~1806年12月27日。
【第2巻の表題は『エヴニング・ファイアサイド、または文学ミセラニー』】

『ザ・リテラリー・ミセラニー』—文学、科学、道徳に関する論文やエッセイ、そして時折の書評を掲載—ケンブリッジ。
第1巻~第2巻、1805年~1806年。

『ザ・マンスリー・レジスター・アンド・レビュー・オブ・ザ・U.S.』—サウスカロライナ州チャールストンおよびニューヨーク。
第1巻~第4巻、1805年1月~1807年12月。

『ザ・アポロ、またはウィークリー・リテラリー・マガジン』—デラウェア州ウィルミントン。
第1巻、第2号~第11号、第17号、第19号、1805年2月23日~6月22日。

『ザ・ノーフォーク・リポジトリー』—ニュース、政治、道徳、優雅な文学を専門に扱う—マサチューセッツ州デダム。
第1巻~第3巻、1805年5月14日~1808年11月29日。

『ザ・パノプリスト、またはキリスト教徒の武器庫』—ボストン。

Page 247

I-III、1805年6月~1808年5月。
IV-VI、1808年6月~1811年5月。[表題:『The Panoplist and Missionary Mag. United.』]
『The Miscellany』—トレントン。
I、1805年6月24日~11月25日[未完]。
『The Boston Mag.』—ボストン。
I、1805年10月26日~1806年4月26日。
[『The Boston Weekly Mag.』の続編]
『The Polyanthos』—ボストン。
I-V、1805年12月~1807年7月。
『The Theatrical Censor』。著者:アメリカ人。—フィラデルフィア。
第1号~第17号、1805年12月9日~1806年3月3日。
『The Weekly Visitant』—セーラム。
I、1806年。
『The Thespian Mirror』—ニューヨーク。
I、第2号、第3号、1806年1月4日、11日。
『The Emerald』—ボストン。
I-II、新シリーズ第1巻、1806年5月3日~1808年10月15日。
『The Weekly Inspector』—ニューヨーク。
I-II(未完)、1806年9月6日~1807年8月3日。
『The Theatrical Censor and Critical Miscellany』—フィラデルフィア。
第1号~第XIII号、1806年9月27日~12月13日。
『The Lancaster Repository』—ランカスター。
I、第15号~第19号、1806年11月15日~12月13日。
『The Observer』および「礼儀作法に関する文学的テーマなどについての詩・散文によるオリジナル作品および選集」—バルトー。
I-II、1806年11月29日~1807年12月26日。
『The Amer. Register or General Repository of History, Politics and Science』—フィラデルフィア。
I-VII、1806年~1810年分。印刷は1807年~1811年。
『A Book. A Periodical Work』—ニューヨーク。

Page 248

[1-20ページ]、1807年。
サルマグンディ――ニューヨーク。
第1巻・第2巻、1807年2月4日~1808年1月25日。
ザ・パストライム――スケネクタディ。
第1巻、第1号~第18号、1807年2月21日~8月1日。
第2巻、第1号~第2号、1808年5月14日、21日。
スペクタクルズ――バルト。
第1巻、第6号、7号、25号、28号~1807年6月13日、20日、10月31日、11月21日。
ザ・シスル:オリジナル作品――ボストン。
第1巻、第1号、1807年8月4日。
ザ・レディーズ・ウィークリー・ミセラニー――ニューヨーク。
第5巻、第44号~第46号、第49号、1807年8月29日~10月3日。
第7巻・第8巻(未完)、1808年4月30日~1809年4月8日。
ザ・ワンダフル・マガジン・アンド・エクストラオーディナリー・ミュージアム――ペンシルベニア州カーライル。
第1巻、1808年。
チャームズ・オブ・リテラチャー:散文および詩による興味深く奇妙な作品集――トレントン。
1808年。
ザ・ワシントン・エキスポージター――ワシントン市。
第1巻、1808年。
ザ・アイ:オバデイア・オプティック著――フィラデルフィア。
第1巻、1808年1月7日~6月30日。
ザ・リテラリー・ミラー――ニューハンプシャー州ポーツマス。
第1巻(未完)、1808年2月20日~1809年2月11日。
ザ・アーガス・オブ・ウェスタン・アメリカ――ケンタッキー州フランクフォート。
第1巻、第9号、11号、13号~1808年3月24日、4月7日、21日。
ザ・グリーナー、またはマンスリー・マガジン――ペンシルベニア州ランカスター。
第1巻・第2巻、第1号~第3号、1808年9月~1809年11月。
ボストン・ミラー――ボストン。
第1巻・第2巻、第1号、2号、4号~第40号、1808年10月22日~1810年7月21日。
ザ・アメリカン・マガジン・オブ・ワンダーズ――ニューヨーク。

Page 249

I-II、1809年。
『ザ・テスピアン・モニター・アンド・ドラマティック・ミセレナリー』——フィラデルフィア。
I、第1号、1809年。
『選ばれた書評と海外雑誌の要約』——フィラデルフィア。
I-IV、1809年~1810年。
『ザ・アドバイザー、またはバーモント・エヴァンジェリカル・マガジン』——ミドルベリー。
I-II、1809年~1810年。
『ザ・オーディール:政治・文学に関する批評雑誌』——ボストン。
I、1809年1月~6月。
『ザ・ビジター』——リッチモンド。
I-II、1809年2月11日~1810年8月4日。
『オムニウム・ガザラム』——ボストン。
I、1809年11月~1810年10月。
『サムシング』、編者:ネモ・ノーバディ氏——ボストン。
I、1809年11月18日~1810年5月12日。
『ザ・ランブラーズ・マガジンおよび1809年~1810年シーズン用ニューヨーク・シアター・レジスター』——ニューヨーク。
I、第1~3号;II、第4号。[サビン:「(1809年)」]
『ザ・クォータリー・レビュー』——ロンドンで印刷され、ニューヨークで再版された。
I-IV(1809年2月~1810年11月)——ニューヨーク、1810年。
『ザ・ハイヴ:市民的、道徳的、感情的、宗教的なテーマに関する思索集。詩や散文による意味深く、巧妙で適切な言葉を集めたもの』——ハートフォード、1810年。
『ザ・ミラー・オブ・テイスト・アンド・ドラマティック・センサー』——フィラデルフィア。
I-II、1810年。
『ザ・フィラデルフィア・レパートリー:文学と有益な情報を専門とする雑誌』——フィラデルフィア。
I、1810年5月5日~1811年4月27日。
『ザ・ハーバード・ライシウム』——ケンブリッジ。
I、1810年7月14日~1811年3月9日。

Page 250

索引
【重いフォントで示されているのは再版です。】

オランダのことわざ、121、138
寓話(ゲレルト)、28
スイス概観など、136
ドイツの酒歌、70
アメリカ文学史(M・C・タイラー)、11
謙虚な模倣など、155
プロイセン王の頌歌の直訳、18、105
アルプスの概要など、158
歌(フレデリック)、18
ソネット(ヤコビ)、68、85
アダムス、C・F.、3
アダムス、J・Q.、2、3、204
ベックシュタイン図書館開館式での演説(M・D・ラーナード)、2
「アデリオ」、5、16、65、66
ファウストゥスに反対して、18、155
ヴェルデンドルフのアルベルト、154
オールストン、ワシントン、188
年鑑、6、11
アンブロジオ、または修道士(M・G・ルイス)、5、35、140、146
アメリカン・マガジン;または月刊誌など、14
アメリカン・ミュージアム、8
アメリカ哲学協会、9、215
アメリカ独立革命、18

Page 251

アメリカーナ・ゲルマニカ、1、3
アミンタ(ゲスナー)、58
アミンタス[α](ゲスナー)、25
アミンタス[β](ゲスナー)、35
アナンディウス、95、99
『幽霊を見る人』(シラーの作品)、4
『約束が裏切られて』、177

『バッカナリアン』、22
ジョージ・バンクロフト、3
ホーエンリンデンの戦い、『ホーエンリンデンの戦いについて』を参照。
『慈悲』(ゲレルト)、17、30、58、65
『文学者としてのベンジャミン・フランクリン』(J・B・マクマスター)、14
ベルリン大学、3
ボストン公共図書館、9、215
アンドリュー・ブラッドフォード、13
大英博物館、17、215
『壊れた壺』(ゲスナー)、32
L・W・ブルッゲマン、17
『重荷』、5、20、63
ビュルガー、5、18、19、20、29、31、32、34、44、68、76、80、85、146、165、169
『文体などの風刺』、5、18、143、146
『プロイセンの末代王によって』、『戦争の緩和』を参照。

トーマス・キャンベル、vii、6、75、153、171、180
カーライル、1
『カーネーション』(ゲスナー)、75
カーの『北方の夏』、161

Page 252

チャニング、ジョージ・D.、1
チャニング、W・E.、1、17
『特徴的なスケッチ』など、128
『ヴェルターの墓にいるシャーロット』、19、181
『シャーロットの独白』など、5、19、125
『チェイス』(ビュルガー作)、スコット訳、5、34、76
『アメリカの雑誌一覧』など(P・L・フォード著)、8
『クラウディーネ・フォン・ヴィラ・ベラ』(ゲーテ作)、20、80
『雲の王』、18、19、140、146
『コーガン博士のライン川沿いの旅』、71
コールリッジ、1
コリヤー、メアリー、58
クーパー、J・F.、3
『カウボーイの歌』(Ranz des Vaches)、19、180
クレイマー、ウィリアム、クリーマー、Wm.参照
クリーマー(またはクレイマー)、ウィリアム、1

『ダモンとダフネ』(ゲスナー作)、51
『踊る熊』(ゲラート作)、57、161
『ダフネ=クロエ』、ゲスナーの『最初の牧歌』参照
『アベルの死』(ゲスナー作)、4、20
『ヴェルターの死』、19、126
『オーディンの降臨』、128、175
『アメリカに関する書籍の辞典』(サビン著)、216、219、223
『若きヴェルターの苦悩』(ゲーテ作)、19、24
『魔笛』(モーツァルト作)、75、85
ダンラップ、W.、27
ドワイト、ヘンリー・E.、3

Page 253

アメリカにおけるドイツ文学の初期の影響(F. H. ウィルケンス)、3
地球の分断、17
エラ、130、136
エレノーレ、レオノーラ[α]参照、32
エマーソン、3
エミリア・ガロッティ(レッシング)、ファニー・ホリクロフト訳、4
イングランド、viii、1、3、4、14、19、20、76
警句集(レッシング)、71
ハラー作の墓碑銘、21
エル王(ゲーテ)、vii、5、18、20、34、35、140
エル王の娘、5、18、35、140
エヴェレット、A. H.、3
エヴェレット、エドワード、1、2

寓話(ゲレルト)、27
寓話と物語(ゲレルト)、17
ファウスト、13、18、155
火の王、18、19、140、146
ゲスナーの第一の牧歌――ダフネとクロエ、27
虫(ゲレルト)、54
フォレン、カール、1
フォード、P. L.、8
アメリカにおける教育への外国の影響(B. A. ヒンズデール)、2
外国詩歌・政治概要、170
忘れないで、82
ファウラー(シッカネーダー)、75、85
フランクリン、ベンジャミン、2、13、14

Page 254

フレデリックとアリス(ゲーテ)、20、80
フレデリック大王、16、18、96、99、101、105、106、109、110、112、113、116、117、119、121、138、140、158、161
友情、36
ドイツ語からの翻訳、56
ゲスナーのドイツ語作品からの翻訳、81
レッシングのドイツ語作品からの翻訳、73
ルーン文字からの翻訳、173

ガレレット、ゲラートを参照。
『霊能者』(シラー)、4
ゲラート、1、5、16、17、19、20、27、28、30、54、56、57、58、65、161
『ジェネラル・マガジン』、13
『文化要素としてのドイツ語』(M. D. ラーニッド)、3
『サミュエル・テイラー・コールリッジに与えたドイツ語の影響』(J. L. ヘイニー)、1
『アメリカの学校におけるドイツ語教育』(L. フィエレック)、2
『1790年以前の英語圏におけるドイツ文学』(J. L. ヘイニー)、1
ドイツ、vii、1、2、3、6、14、15、17、19、153、155、191
ゲスナー、4、5、16、17、19、20、21、25、27、29、32、35、36、39、41、43、51、58、61、65、73、75、80、81、85
ゲーテ、1、5、13、17、19、20、23、24、34、80
『ピタゴラスの黄金の詩』、6
『ゴシック城』、138
ゲッティンゲン大学、1、2、3
『ゲッティンゲン報告』、2
グレイ、トーマス、vii、18、128、159、175
幽霊の王グリム、18、152
『守護霊』(マティッソン)、67

Page 255

ハラー、5、16、20、21、25、27、78
ヘイニー、ジョン・L.、1
ハンスからノッチーへの手紙、151
ハーバード大学、1、3、215
『ハヴァルドゥルの幻影』、『ルーン詩』参照。
ホークスワース博士、121、161
ハイデルベルク大学、3
ヘルムート、J. H. C.、2
ハーバート氏、77
ヘルダー、35、140
『ヘルマンとドロテア』(ゲーテ)、13
ヘルツフェルト、ゲオルク、1、20
ヒンズデール、B. A.、2
『ドイツ詩の歴史的概観』(テイラー)、29、32
『ホフヌング』(「アデリオ」)、16、65
ホルクロフト、ファニー、4
フーパー、W.、25、29、35、65、73、75
『ホープ』(「アデリオ」)、66
ホプキンソン、フランシス、1、17、194
『フリム・ソール――または冬の王』、18、152

『牧歌集』(ゲスナー)、4、5、16、20
『喜びへの招待』、59

ヤコビ、5、20、68、85
ジェームズ、E. J.、2
『シレジア旅行記』(J. Q. アダムス)、2、204

Page 256

キアンペ・ヴィーザー、35
プロイセン王、フリードリヒ大王を参照。
プロイセン王の頌歌、18、109
クロップシュトック、1、4、5、6、20、66、75
コッツェブー、5、20、64
クルムマッハー、15、16
クンツェ、J. C.、2

ラッド博士、125、128、130
『美しい女性の恋人』(ビュルガー)、29、32、80
リアーニッド、M. D.、2、3
レフトリー、C.、163、170
『若きヴェルターの悩み』(ゲーテ)、ヴェルターを参照。
『レノーレ』(ビュルガー)、レオノーラを参照、19、146
『レオノーレ[α]』(ビュルガー)、ウィリアム・テイラー訳、5、19、32、34
『レオノーレ[β]』(ビュルガー)、44
『レオノーレ[γ]』(ビュルガー)、68
レッシング、1、4、5、19、20、33、60、71、73
『ヴェルターの悩み』第61通、16、19、23
『シャーロットの手紙集』、19
ルイス、M. G.、vii、5、15、32、34、35、80、140、146、147、152、154、162
米国議会図書館、9、215
『アメリカ独立戦争の文学史』(M. C. タイラー)、10
『ドイツ人の文学産業』、17
ロングフェロー、3
リカス(ゲスナー)、36

Page 257

マクマスター、J・B.、14
マティッソン、5、20、29、67
『ジョン・クインシー・アダムズの回顧録』(C・F・アダムズ)、3
『メシア』(クロプストック)、4、5、66
『ミルティルとティルシス』(ゲスナー)、21
雑録、7
『モンク』、アンブロージオを参照。
モントゴメリー、ジェームズ、76、163、169、175、176
『マンスリー・レビュー』(ロンドン)、3
モーリー、ヘンリー、vii、32
『ザ・モーニング』(ハラー)、16、25、27
『モーニング・ソング』(ゲスナー)、81
『賛美の朝歌』(パツケ)、62
『ザ・モス・ローズ』(クルマッハー)、15、16
モーツァルト、76、178
『ヴォルテール氏の手紙など』、18、116
『ミルティルとダフネ』(ゲスナー)、41
『ミルティッロ』(ゲスナー)、39

『名も知られざる者』(クロプストック)、T・キャンベル著、6、75
ナルシッサ、19、125
『航海』(ゲスナー)、16、61
『ニューイングランド・カレンダー』、13
ゲスナーによる新しい牧歌集、ホーパー、W.を参照。
S・ゲスナーによる新しい牧歌集、5
『ニュー・ウィークリー・ジャーナル』、13
『ニューポート・マーキュリー』、6、75
『ザ・ニュースペーパー』、6、10、11

Page 258

ノーズゲイ、ザー(ゲスナー)、65
オベロン、ヴィーラントを参照。
『晩年のヴィクトリーに寄せる頌歌』など、5、18、99
『逆境に寄せる頌歌』(T・グレイ)、18、159
『死に寄せる頌歌』(フレデリック)、18、121、161
『夕暮れに寄せる頌歌』、71
『春に寄せる頌歌』、62
『ドイツ演劇に寄せる頌歌』、18、159
『北欧語およびウェールズ語からの頌歌集』(T・グレイ)、175
『老人』(ゲスナー)、21、27
『フランス製マフについて』など、108
『新聞を読むことについて』など、18、112
『ヴェルターの悲しみを読むことについて』、19、129
『モーツァルトの「忘れないで」を歌うことについて』、178
『ホーエンリンデンの戦いについて』(T・キャンベル)、171、180
『完全なる勝利について』など、18、96
『死について』など(T・キャンベル)、153
『ハンデル氏の死について』、154
『輝かしい勝利について』など、18、101
オーランド、139

『絵画王』(W・オールストン)、18、19、183、189
『ビュルガーの『エアル・ヴァルター』へのパロディ』、18、76、165
『牧師の娘』(ビュルガー)、『美しい村の娘』を参照。
『クロップシュトックの『メシア』からの一節』、66
パッツケ、5、20、62
『アルプスの農民』、134、140

Page 259

ペンシルベニア・ガゼット、13
ペンシルベニア大学、vii, 2, 194, 215
フィラデルフィア、8, 215
フィラデルフィア図書館協会、9, 215
フィラデルフィア・マガジンズなど(A. H. スミス)、8, 11
フィラデルフィア・リポジトリ、16
フィラデルフィア・ウィークリー・マーキュリー、13, 14
フィランドレイア、96
『ハラーの詩の韻文化』、78
ドイツ語の抒情詩、15
ポート・フォリオ、3, 8
『フリードリヒ2世の祈り』など、18, 158
プリングル氏、2
『Pro Patri Mori』(ビュルガー)、31
戯曲の序文、95
パイ、J. H.、78

クイズ、178

『Ranz des Vaches』、16, 19, 156, 176
『戦争の緩和』(フリードリヒ)、18, 110, 138, 140
『国民文学に関する所見』(W. E. チャニング)、1
教育長官の報告、2
『The Royal Comet』、18, 113
『ルーン詩』、163, 170

サビン、『辞書など』を参照。
『スカンジナビアの英雄』、157

Page 260

シッケンデル、5、76、85
シラー、1、4、13、19
サー・ウォルター・スコット、vii、5、15、34、76、80
スーウード氏、159
「シェラー」、5、82
『靴紐』(コッツェブー)、64
シレジア、『シレジア旅行記』参照
A・H・スミス、8、11
『アルプスの兵士』、179
『歌』(ヤコビ)、85
『歌』(M・G・ルイス)、162
ハーバート氏による翻訳『歌』、77
ドイツ語からの翻訳『歌』、73
『ルーン詩人の歌』、173
『異国にいるスイス人の歌』、19、176、177、181
『スイスの悲しみ』、171
ソザビー、2
『ブラウンシュヴァイク公の演説』など、107
『学術言語についての講演』(フランシス・ホプキンソン議員)、17、194
W・R・スペンサー、レオノーラ[γ]参照
『きしむ幽霊』、18、174、182、188
J・T・スタンリー、レオノーラ[γ]参照
『諸民族の声』(ヘルダー)、35、140
『自殺』(ゲレルト)、56
『ツバメ』(レッシング)、33
『スウェーデンのコテージ』、161
『スイス移民の故郷への夢』、19
『スイス亡命者の歌』、19

Page 261

スイスの農民、169
スイス、vii, 16, 19, 136, 163, 169, 171, 175, 191
スウィッツァーの帰還、19
スウィッツァーの故郷の歌、19

恐怖と驚異の物語(M・G・ルイス)、vii, 5, 32, 34, 35, 80, 140, 146, 152, 154
驚異の物語(M・G・ルイス)、『恐怖と驚異の物語』参照。
ノリッジのウィリアム・テイラー、1, 5, 15, 29, 32, 69。また、ウィリアム・テイラー・フォン・ノリッジも参照。
ヴィルヘルム・テル、ヴィルヘルム・テル参照。
第三詩篇の解釈など、18, 106
テュルシスとクロエ(ゲスナー)、25
ジョージ・ティックナー、3
小さな魔法使いへ(レッシング)、33
クロエへ(ゲスナー)、85
レッシングからの翻訳、60
ドイツ語からの翻訳、83
ゲスナーの牧歌集からの翻訳、43
手紙の翻訳など(フレデリック)、18, 119
ドイツ北部旅行記(H・E・ドワイト)、3
神への信頼、6
チンク、4
M・C・タイラー、10, 11

普遍的賛美の歌(ビュルデ)、63
U.S.マガジン&デモクラティック・レビュー、3
高利貸し(ゲレルト)、17

Page 262

「ヴァン・ヴァンダー・ホーデルクロゲス」、5、83
故プロイセン王の詩、『戦争の緩和』参照。
魔法による妄想の犠牲者(チンク)、4
ヴィエレック、L.、2
美徳の報酬(ゲスナー)、29
ヴォルテールの手紙、『ヴォルテール氏の手紙』参照。
ワレンシュタイン、13
スイスの放浪者、vii、76、163、169、175
水の王、M・G・ルイス訳、5、18、140、146、147
ウェッベ、ジョン、13、14
ヴェルター、5、16、19、20、23、24、34、125、126、127、129、130、141、158、181
ヴェルターの墓碑銘、19、127、130、158
シャーロットへのヴェルターの別れの言葉、19、141
ヴェルター(ゲーテ)、『ヴェルター』参照。
西インド諸島とその他の詩集(ジェームズ・モンゴメリー)、176
ヴィーラント、1、2
野生の狩人(ビュルガー)、85
野生の猟師(ビュルガー)、『追跡』参照。
ヴィルヘルム・テル(シラー)、13、19
ヴィルケンス、F・H.、3、4、5、19、20
ウィリアム・テイラー・フォン・ノリッジ(ゲオルク・ヘルツフェルト)、1
ウィリアム・テル、『ヴィルヘルム・テル』参照。
冬、18、95
冬の王、『フリム・ソル』参照。
願い(マティッソン)、29

Page 263

狼王、18、147
木の脚、[α]版(ゲスナー)、73
木の脚、[β]版(ゲスナー)、80
ワーズワース、ウィリアム、vii、155
トーマス・グレイ著作集、エドマンド・ゴス編、128
W・E・チャニング著作集、1
ドイツにて書かれたものなど、153
ドイツにて書かれたものなど(W・ワーズワース)、155

ゼフィルス、[α]版(ゲスナー)、27
ゼフィルス、[β]版(ゲスナー)、75

Page 264

転記者の注記

明らかなプリンターによる誤りは修正されました。人名の表記の違いはそのまま残してあります。

修正された誤り:

20ページ——「Matthisson」の後に欠けていたカンマを追加
49ページ——タイプミス修正:「lossened」を「loosened」に変更
51ページ——タイプミス修正:「mispent」を「misspent」に変更
62ページ——タイプミス修正:「Labt」を「Lobt」に変更
71ページ——タイプミス修正:「stillet」を「stiller」に変更
108ページ——“at stake!”の後に欠けていたシングルクオートを追加
112ページ——タイプミス修正:「withold」を「withhold」に変更
131ページ——“I—yes,”の前に欠けていたクオートを追加
135ページ——タイプミス修正:「happines」を「happiness」に変更
141ページ——タイプミス修正:「watry」を「wat’ry」に変更
144ページ——タイプミス修正:「hings」を「hinges」に変更
145ページ——“Thomas?”の後に欠けていたクオートを追加
147ページ——タイプミス修正:「their」を「there」に変更
165ページ——タイプミス修正:「Burger’s」を「Bürger’s」に変更
172ページ——“blushing day!”の後に欠けていたクオートを追加
175ページ——“cask’s out!”の後に欠けていたクオートを追加
188ページ——タイプミス修正:「yes」を「eyes」に変更
188ページ——タイプミス修正:「figer」を「finger」に変更
194ページ——“I must see thee”の前に欠けていたクオートを追加
204ページ——タイプミス修正:「Helan」を「Helen」に変更
204ページ——タイプミス修正:「Bulow」を「Bülov」に変更
205ページ——“Memoirs of”の前に欠けていたクオートを追加
211ページ——タイプミス修正:「Wollstencraft’s」を「Wollstoncraft’s」に変更
217ページ——“Scholar’s”の後に欠けていたカンマを追加
229ページ——タイプミス修正:「Willam」を「William」に変更

Page 265

*** プロジェクト・グーテンベルグ電子書籍翻訳の終わり
『1741年~1810年にアメリカの雑誌に掲載されたドイツ詩集』 ***

更新版が旧版に取って代わり、旧版は別の名称になります。

米国の著作権法で保護されていない印刷版から作品を作成する場合、これらの作品には米国の著作権は存在しないため、財団(そしてあなたも!)は許可を得ることなく、また著作権使用料を支払うことなく、米国内でそれらをコピーしたり配布したりすることができます。このライセンスの「一般利用規約」に定められている特別な規則が、プロジェクト・グーテンベルグ™のコンセプトおよび商標を保護するために、プロジェクト・グーテンベルグ™電子書籍のコピーや配布に適用されます。プロジェクト・グーテンベルグは登録商標であり、プロジェクト・グーテンベルグ商標の使用料を支払うなど、商標ライセンスの条件に従わない限り、電子書籍に料金を請求してはなりません。この電子書籍のコピーについて何も料金を請求しない場合、商標ライセンスを遵守するのは非常に簡単です。派生作品の制作、報告書の作成、公演、研究など、ほぼあらゆる目的でこの電子書籍を利用できます。プロジェクト・グーテンベルグ電子書籍は修正したり印刷して無料で配布したりでき、米国の著作権法で保護されていない電子書籍については、米国内では実質的に何でも行うことができます。再配布については、特に商用目的の再配布において、商標ライセンスが適用されます。

開始:完全なライセンス内容

Page 266

プロジェクト・グーテンベルク™ライセンス全文
この作品を配布または利用する前に、必ずこちらをお読みください。

電子書籍の自由な配布を推進するというプロジェクト・グーテンベルク™の使命を守るため、本作品(または「プロジェクト・グーテンベルク」という言葉に何らかの形で関連するその他の作品)を利用したり配布したりする場合、本ファイルに記載されている、またはwww.gutenberg.org/licenseでオンライン上で入手可能なプロジェクト・グーテンベルク™ライセンス全文のすべての条項を遵守することに同意したものとみなされます。

第1節 プロジェクト・グーテンベルク電子書籍の一般的な利用条件および再配布について

1.A. 本プロジェクト・グーテンベルク電子書籍のいかなる部分を閲覧または利用することにより、利用者は本ライセンスおよび知的財産権(商標/著作権)に関する契約のすべての条項を読んで理解し、これに同意し、受け入れるものとします。もし本契約のすべての条項に同意しない場合は、利用を中止し、所持しているプロジェクト・グーテンベルク電子書籍のすべてのコピーを返却または破棄しなければなりません。もしプロジェクト・グーテンベルク電子書籍のコピーの取得やアクセスのために料金を支払ったにもかかわらず、本契約の条項に拘束されることに同意しない場合は、1.E.8項に記載されているとおり、料金を支払った人物または団体から返金を受けることができます。

1.B. 「プロジェクト・グーテンベルク」は登録商標です。この商標は、本契約の条項に拘束されることに同意した人々のみが、電子書籍上で、またはそれに何らかの形で関連付けて使用することができます。本契約の全条項を遵守しなくても、ほとんどのプロジェクト・グーテンベルク電子書籍ではいくつかのことを行うことができます。詳しくは下記の1.C項をご覧ください。本契約の条項に従い、将来的にもプロジェクト・グーテンベルク電子書籍への自由なアクセスが維持されるように協力する場合、さらに多くのことを行うことができます。詳しくは下記の1.E項をご覧ください。

1.C. プロジェクト・グーテンベルク文学アーカイブ財団(「当財団」またはPGLAF)は、これらの作品の編集著作権を有しています。

Page 267

プロジェクト・グーテンベルクの電子作品集です。このコレクションに収録されているほぼすべての作品は、アメリカ合衆国ではパブリックドメインにあります。もし特定の作品がアメリカ合衆国の著作権法によって保護されておらず、かつあなたがアメリカ合衆国にいる場合、プロジェクト・グーテンベルクへの言及をすべて削除する限り、その作品のコピー、配布、上演、表示、または派生作品の作成を妨げる権利は私たちにはありません。もちろん、プロジェクト・グーテンベルクの名前がその作品と結びつき続けるよう、本契約の条件に従ってプロジェクト・グーテンベルクの作品を自由に共有することで、電子作品への無料アクセスを促進するというプロジェクト・グーテンベルクの使命を支援していただきたいと思います。無料で他者と共有する際には、付属する完全なプロジェクト・グーテンベルク・ライセンスと同じ形式で作品を保持すれば、本契約の条件を簡単に遵守できます。

1.D. あなたがいる場所の著作権法も、この作品をどのように利用できるかを規定しています。ほとんどの国の著作権法は絶えず変化しています。アメリカ合衆国以外にいる場合は、この契約の条件に加えて、自国の法律も確認した上で、この作品やその他のプロジェクト・グーテンベルクの作品をダウンロード、コピー、表示、上演、配布、または派生作品を作成してください。財団は、アメリカ合衆国以外の国にあるいかなる作品の著作権状況についても一切保証しません。

1.E. プロジェクト・グーテンベルクへの言及をすべて削除していない限り:

1.E.1. プロジェクト・グーテンベルクの作品のいかなるコピー(「プロジェクト・グーテンベルク」という表現が記載されている、またはそれと関連付けられているすべての作品)にアクセスしたり、表示したり、上演したり、閲覧したり、コピーしたり、配布したりするたびに、完全なプロジェクト・グーテンベルク・ライセンスへの直接リンクまたは即時アクセス手段を含む以下の文句を目立つ場所に記載しなければなりません。

この電子書籍は、アメリカ合衆国および世界のほとんどの地域において、ほとんど制限なく、無料で利用できます。付属するプロジェクト・グーテンベルク™ライセンスの条件に従って、これをコピーしたり、他人に譲ったり、再利用したりすることができます。

Page 268

この電子書籍は、www.gutenberg.orgでオンラインで入手できます。アメリカ合衆国にいない場合は、この電子書籍を利用する前に、ご自身がいる国の法律を確認する必要があります。

1.E.2. もしプロジェクト・グーテンベルクの電子書籍が、アメリカの著作権法によって保護されていないテキストから作成されたものであり(著作権者の許可を得て掲載されていることを示す通知が含まれていない場合)、その作品は一切の料金や手数料を支払うことなく、アメリカ国内の誰にでもコピーして配布することができます。もし「プロジェクト・グーテンベルク」という表現がその作品に付随している、または作品上に表示されている状態でその作品を再配布したり、アクセスを提供したりする場合は、1.E.1項から1.E.7項の要件に従うか、または1.E.8項または1.E.9項に記載されている通り、その作品およびプロジェクト・グーテンベルクの商標の使用許可を得る必要があります。

1.E.3. もしプロジェクト・グーテンベルクの電子書籍が著作権者の許可を得て掲載されている場合、その作品の利用や配布は、1.E.1項から1.E.7項の要件に加えて、著作権者が定めるその他の条件にも従わなければなりません。著作権者の許可を得て掲載されているすべての作品に関するその他の条件は、この作品の冒頭にあるプロジェクト・グーテンベルク・ライセンスにリンクされています。

1.E.4. この作品、またはこの作品の一部を含むファイル、あるいはプロジェクト・グーテンベルクに関連するその他の作品から、プロジェクト・グーテンベルク・ライセンスの全条項を切り離したり、削除したりしてはいけません。

1.E.5. 1.E.1項に記載されている文言を目立つ形で表示し、プロジェクト・グーテンベルク・ライセンスの全文への直接アクセスを可能にしない限り、この電子書籍、またはその一部をコピーしたり、表示したり、演奏したり、配布したり、再配布したりしてはいけません。

1.E.6. この作品を、任意のバイナリ形式、圧縮形式、マークアップ形式、非商用形式、または商用形式に変換して配布することができます。これにはワードプロセッシング形式やハイパーテキスト形式も含まれます。ただし、「Plain Vanilla ASCII」や公式に使用されているその他の形式以外の形式でプロジェクト・グーテンベルクの作品のコピーを提供したり配布したりする場合は、例外です。

Page 269

公式のProject Gutenbergウェブサイト(www.gutenberg.org)に掲載されているバージョンについては、利用者に追加の費用や手数料を一切請求することなく、その作品の元の「Plain Vanilla ASCII」形式またはその他の形式でのコピー、コピーをエクスポートする手段、または要請があった場合にコピーを入手できる手段を提供しなければならない。任意の代替形式を使用する場合でも、1.E.1項で定められているProject Gutenbergライセンスの全文を含めなければならない。

1.E.7. 1.E.8項または1.E.9項に従わない限り、Project Gutenbergのどの作品に対しても、アクセス、閲覧、表示、再生、コピー、配布に関して費用を請求してはならない。

1.E.8. 以下の条件を満たす場合に限り、Project Gutenbergの電子作品のコピーの提供、アクセスの許可、または配布に対して適正な費用を請求することができる:

・Project Gutenbergの作品を利用して得られる総利益の20%に相当するロイヤルティ料金を支払うこと。この料金はProject Gutenbergの商標権者に支払われるべきものだが、同氏はこの項に基づきそのロイヤルティ料金をProject Gutenberg文学アーカイブ財団に寄付することに同意している。ロイヤルティ料金の支払いは、定期税務申告書を作成する日または法的に作成が義務付けられている日から60日以内に行わなければならない。また、その支払いは明確にロイヤルティ料金であることを示し、第4節「Project Gutenberg文学アーカイブ財団への寄付に関する情報」に記載されている住所宛てに送付しなければならない。

・利用者が受領後30日以内に書面(または電子メール)で、Project Gutenberg™ライセンスの全条項に同意しない旨を通知した場合、その利用者が支払った金額を全額返金すること。また、そのような利用者に対しては、物理的媒体に保存されているすべての作品のコピーを返却または破棄し、Project Gutenberg™作品の他のコピーの使用やアクセスを一切中止するよう要求しなければならない。

・1.F.3項に従い、作品または代替コピーに対して支払われた金額を、何らかの欠陥があった場合に全額返金すること。

Page 270

電子版の作品は、作品が受領されてから90日以内に発見され、ご連絡されます。

・Project Gutenberg™の作品を無料で配布するためには、本契約のその他すべての条件を遵守しなければなりません。

1.E.9. もし、本契約で定められている条件とは異なる方法で料金を請求したり、Project Gutenberg™の電子版作品や一連の作品を配布したい場合は、Project Gutenberg™の商標の管理者であるProject Gutenberg Literary Archive Foundationから書面による許可を得なければなりません。詳細は下記の3節をご覧ください。

1.F.

1.F.1. Project Gutenbergのボランティアや従業員は、Project Gutenberg™コレクションを作成するために、米国の著作権法で保護されていない作品を特定し、著作権に関する調査を行い、転写や校正に多大な労力を費やしています。しかし、それでもなお、Project Gutenberg™の電子版作品やそれらが保存されているメディアには、不完全なデータ、不正確なデータ、破損したデータ、転写ミス、著作権やその他の知的財産権の侵害、不良または損傷したディスクやその他のメディア、コンピュータウイルス、またはお使いの機器で読み取れないコンピュータコードなど、「欠陥」が含まれている可能性があります。

1.F.2. 制限付き保証、損害賠償の放棄 –
1.F.3項で述べられている「交換または返金の権利」を除き、Project Gutenberg™の商標の所有者であるProject Gutenberg Literary Archive Foundationや、本契約に基づきProject Gutenberg™の電子版作品を配布するその他の当事者は、法的費用を含むあらゆる種類の損害や費用に対して一切の責任を負いません。お客様は、1.F.3項で定められているもの以外には、過失、厳格責任、保証違反、契約違反に対する救済手段はないことに同意します。また、Foundation、商標所有者、および本契約に基づくすべての配布者は、何の責任も負わないことにも同意します。

Page 271

実際の、直接的、間接的、結果的、懲罰的、または付随的な損害について、かかる損害が生じる可能性を通知した場合であっても、当該損害に対して責任を負います。

1.F.3. 交換または返金の制限された権利 – 本電子作品を受領してから90日以内にその欠陥に気づいた場合、作品を受け取った相手方に書面による説明を送付することで、支払った金額(もしあれば)の返金を受けることができます。物理的な媒体で作品を受け取った場合は、書面による説明と共にその媒体を返却しなければなりません。欠陥のある作品を提供した者は、返金の代わりに代替品を提供することを選択できます。電子的に作品を受け取った場合は、提供者は返金の代わりに再度電子的に作品を受け取る機会を与えることを選択できます。2回目のコピーにも欠陥がある場合は、問題を解決するための追加の機会なしに書面により返金を要求できます。

1.F.4. 1.F.3項に定める交換または返金の制限された権利を除き、本作品は「現状のまま」提供され、明示的または黙示的ないかなる種類の保証も一切ありません。これには、商品性や特定の目的への適合性の保証などが含まれますが、これに限定されません。

1.F.5. 一部の州では、特定の黙示的保証の放棄や、特定の種類の損害の排除または制限が認められていません。本契約に定められたいかなる放棄や制限も、本契約が適用される州の法律に違反する場合、その州法で許容される最大限の放棄や制限として解釈されます。本契約のいかなる条項が無効または執行不能であっても、残りの条項の効力には影響しません。

1.F.6. 賠償責任 – お客様は、財団、商標権者、財団の代理人や従業員、本契約に従ってProject Gutenberg™の電子作品のコピーを提供する者、およびProject Gutenberg™の電子作品の制作、宣伝、配布に関わるボランティア全員に対し、あらゆる責任から免責することに同意します。

Page 272

(a)本作品またはその他のプロジェクト・グーテンベルク作品の配布、(b)プロジェクト・グーテンベルク作品の改変、修正、追加、削除、及び(c)あなたが引き起こすあらゆる欠陥によって、直接的または間接的に生じる弁護士費用を含む一切の費用や経費。

第2節 プロジェクト・グーテンベルクの使命に関する情報

プロジェクト・グーテンベルクとは、古いコンピュータから最新のコンピュータまで、あらゆる種類のコンピュータで読める形式で電子書籍を無料で配布することを意味します。これは、何百人ものボランティアの努力と、さまざまな分野の人々からの寄付によって成り立っています。

ボランティアと、彼らが必要とする支援を提供するための財政的支援は、プロジェクト・グーテンベルクの目標を達成し、このコレクションが今後も世代を超えて自由に利用され続けるために不可欠です。2001年には、プロジェクト・グーテンベルク・リテラリー・アーカイブ・ファウンデーションが設立され、プロジェクト・グーテンベルクと将来の世代のために安全で永続的な基盤を提供しています。プロジェクト・グーテンベルク・リテラリー・アーカイブ・ファウンデーションについて、またご自身の努力や寄付がどのように役立つかについては、第3節および第4節、そしてwww.gutenberg.orgのファウンデーション情報ページをご覧ください。

第3節 プロジェクト・グーテンベルク・リテラリー・アーカイブ・ファウンデーションに関する情報

プロジェクト・グーテンベルク・リテラリー・アーカイブ・ファウンデーションは、ミシシッピ州の法律に基づいて設立された非営利の501(c)(3)教育法人であり、国内税務局によって免税地位を与えられています。同ファウンデーションのEIN、すなわち連邦税識別番号は64-6221541です。プロジェクト・グーテンベルク・リテラリー・アーカイブ・ファウンデーションへの寄付は、米国の連邦法および各州の法律で認められている範囲内で税額控除の対象となります。

Page 273

当財団の事務所は、アメリカ合衆国ニュージャージー州モントクレアのワッチャング・プラザ41番地516号室、郵便番号07042にあります。電話番号は+1 (862) 621-9288です。メールでのお問い合わせも可能です。詳細な連絡先情報は、当財団のウェブサイトやwww.gutenberg.org/contactの公式ページで確認できます。

第4節 プロジェクトへの寄付に関する情報
グーテンベルク文学アーカイブ財団

プロジェクト・グーテンベルク™は、パブリックドメインやライセンスが付与された作品の数を増やし、古い機器を含むあらゆる種類の機器で自由に読み取れる形式でこれらの作品を配布するという使命を達成するために、広範な一般の支援と寄付に依存しています。多くの小額の寄付(1ドルから5,000ドルまで)は、IRSによる免税ステータスを維持する上で特に重要です。

当財団は、アメリカ合衆国の50州すべてにおける慈善活動および慈善寄付を規制する法律を遵守することを誓っています。ただし、遵守すべき要件は州によって異なり、これらの要件を満たし続けるためには多大な労力、書類作業、そして費用が必要です。遵守状況について書面での確認を受けていない地域では寄付の呼びかけを行いません。寄付を送る場合や、特定の州の遵守状況を確認したい場合は、www.gutenberg.org/donateをご覧ください。

呼びかけの要件を満たしていない州からの寄付の呼びかけは行えず、また行ってもいませんが、そうした州の寄付者からの自発的な寄付を受け入れることについては何の禁止もないと理解しています。

海外からの寄付も心より歓迎しますが、アメリカ国外からの寄付の税務処理については一切のコメントを差し上げられません。アメリカの法律だけでも、私たちの少ないスタッフには負担が大きすぎます。

最新の寄付方法や住所については、プロジェクト・グーテンベルクのウェブページをご確認ください。その他にも様々な方法で寄付を受け付けています。

Page 274

小切手、オンライン決済、クレジットカードによる寄付などがあります。寄付をご希望の方は、www.gutenberg.org/donateをご覧ください。

第5節 プロジェクト・グーテンベルクに関する一般的な情報
電子書籍

マイケル・S・ハート教授が、誰でも自由に共有できる電子書籍の図書館というコンセプトのもと、プロジェクト・グーテンベルクを創設しました。40年間にわたり、彼はボランティアの支援だけを頼りにプロジェクト・グーテンベルクの電子書籍を制作・配布してきました。

プロジェクト・グーテンベルクの電子書籍は、複数の印刷版から作成されることが多く、著作権表示がない限り、これらはすべて米国では著作権によって保護されていないと見なされます。そのため、必ずしも特定の印刷版に準拠した形で電子書籍を作成するわけではありません。

ほとんどの人々は、主要な検索機能を備えた当社のウェブサイト、www.gutenberg.orgから始めます。

このウェブサイトには、プロジェクト・グーテンベルクに関する情報のほか、プロジェクト・グーテンベルク・リテラリー・アーカイブ・ファウンデーションへの寄付方法、新しい電子書籍の制作を手伝う方法、そして新しい電子書籍の情報を受け取るためのメールニュースレターの登録方法なども記載されています。

Page 275

PDF language

한국어 https://pdftoflip.com/view.php?t=6e2d67122c78ee4b97a37c3e31330114&bl=ko Translating…
Português https://pdftoflip.com/view.php?t=6e2d67122c78ee4b97a37c3e31330114&bl=pt Translating…
Русский https://pdftoflip.com/view.php?t=6e2d67122c78ee4b97a37c3e31330114&bl=ru Translating…
العربية https://pdftoflip.com/view.php?t=6e2d67122c78ee4b97a37c3e31330114&bl=ar Translating…